――――09




「勝者、ウィル・グレイス!!!!!!!!!」


 紗霧の勝利を告げる審判の声が辺りに響く。
 紗霧と王直属親衛隊第3席アレッド・ディヴァイスの試合は、紗霧が今まで闘ったどの試合よりも長い時間を費やした。


(あ、危なかった〜!この人とは初めて手合わせしたけど、こ、こんなに強かったんだ)


 バトラーが王直属親衛隊の3席目からは格が違うと言った意味がこれで理解出来る。アレッドはこれまでの相手とは比べ物にもならない程の強者であった。見逃してしまう程僅かに出来た相手の一瞬隙を突かなければ、紗霧は確実に負けていただろう。


(でも、どうにか勝てた・・・!次は――――セオドアさんだ。確か化け物並に強いんだよな。普段がアレだから信じられないけど・・・)


 紗霧は退場するアレッドの背の向こうに見えるセオドアを見据えながら、先程の試合で上がった呼吸を整えるべく胸に手を当て深呼吸を繰り返す。
 だが紗霧の呼吸が整う前に、審判が次の試合の合図を告げた。


「では、次の試合を始める!グレイス隊は続いてウィル・グレイス。それに対するのは王直属親衛隊のセオドア・アルバート・シーゲル、前へ!!」


 次の対戦者であるセオドアの名を高らかに告げると会場は拍手でもってセオドアを迎えた。
 大きな拍手の中、セオドアは紗霧の待つ中央へと向かって静かに進み出る。紗霧は煩く鼓動する心臓の音を耳にしながら、セオドアとの縮まる距離をじっと待っていた。


***


「こんにちはセオドアさん。今日は宜しくお願いします」

「あ、あのサギ――」

「しっ!!今の俺はウィル・グレイス」


 紗霧は唇の前に指を一本立てて、セオドアの言葉を遮る。


「あ、はい、申し訳ございません。――って、問題はそこではないような気がしますが・・・」

「え?何か問題あります??」

「・・・・・・・・・・・・・・・・大有りです。この事はウィルフレッド様もご承知なのですか?」


 セオドアには珍しく、その表情は厳しい。紗霧は一瞬目を逸らすが、セオドアに向き直ると目をきゅるんと輝かせ、エヘっと笑う。


「・・・・・・・・・・・・・承知、だよ?」

「・・・・・・・・・・・・・はぁ」


 承知と言った紗霧の言葉は、鈍いといわれるセオドアさえも真実かどうか気付くことが出来る。
 セオドアはガクッと頭を垂れると心で涙を流した。


「まぁ、そんな事は気にしないで試合を始めましょう。せっかく温まった身体が冷えちゃいそうなんで」


 このような重大なことを『そんな事』と一言で片付けてしまう紗霧に、セオドアは又しても心で涙を流す。
 だが剣を構えた紗霧の姿に気付き、セオドアは我に返る。


「えぇぇえぇえぇええ!!??ほ、本当にやるんですか???」

「当然。・・・手加減なんかしたら―――――――解ってますよねセオドアさん」


 にっこりと微笑む紗霧のその眼は笑っていない。


「そ、そんな、サ――ではなくてウィル様!!わたくし棄権しま―――」

「審判!合図お願いします!!・・・・・・俺、不戦勝なんて嫌ですからね」

「ウィル様!!!???し、審判、止めてくださ――」

「準備は宜しいか?――――では、グレイス隊ウィル・グレイス、王直属親衛隊セオドア・アルバート・シーゲルの試合、始め!!!!!!」

「ああぁぁあぁああぁ〜〜〜〜〜〜」


 セオドアの制止も間に合わず審判は試合開始の合図を告げる。
 三度目の涙をセオドアは濁流の如く心で流した。


***


「先手必勝!!」


 常ならば紗霧から先に攻撃を仕掛ける事はあまりないが、今回の相手はセオドアだ。紗霧から先に攻撃を仕掛けなければ、きっとセオドアは何時までもその場に立ち尽くすであろうと判断し積極的にセオドアに攻撃を仕掛けた。
 攻撃を仕掛けた紗霧に、セオドアは慌てて剣を抜くと正面から打ち込んだ紗霧の剣戟を軽く受け止める。


「あの、止めませんか?ほら、真剣ですし危険ですよ?」

「・・・・・・俺の渾身の力を受け止めてこの余裕。・・・ムカツク」

「えぇ!?」


 紗霧は打ち込んだ剣を引くと、今度はセオドアに向かって一直線に突きを繰り出した。


「わっ、わっ!」


 紗霧の目に見えない程の素早い突きをセオドアは全て紙一重で避ける。
 二人のその応酬は最早達人域だ。


「ちょ、セオドアさん!!避けるだけじゃなく俺に攻撃を仕掛けてください!!!!」

「む、無理です〜」


 反撃もせず紗霧の剣戟を避けるだけのセオドアに、紗霧は次第にイライラが募る。その所為で紗霧が繰り出す剣戟は乱れ、紗霧本来の力を存分に発揮出来てはいなかった。


(―――駄目だ!!落ち着け。・・・己を見失うな。集中しろ。静かに、・・・そう水面に広がる波紋の如く・・・)


 己の剣戟の乱れに紗霧は気付く。紗霧はセオドアに息をつくことが出来ないくらい繰り出していた剣戟をピタリと止めると、セオドアから一定距離を取る。セオドアから離れた紗霧はそのまま軽く目を瞑ると深く息を吸い込んで、吐く。
 何度も深呼吸を繰り返した紗霧はスッと目を開いた。


「・・・・・・・行きます」


 そう言葉を発すると同時に、紗霧は再び真っ正面からセオドアに切りかかった。




 武道で教わる最初の基本は、己の呼吸を掴むこと。紗霧はその基本である自分本来の呼吸でもって、セオドア相手に剣を振るう。
 紗霧のガラリと変わった剣戟に、今度はセオドアに言葉はない。ただ必死に紗霧の剣戟を避け、そして受け止める。


「―――っ!!」


 セオドアの左耳上を紗霧の剣が掠る。ハラリとセオドアの茶色の髪が風に舞った。
 それでも一切攻撃を仕掛けないセオドアを紗霧は先程とは違い冷静に見る。


(やっぱりセオドアさんって俺に攻撃を仕掛けない・・・。ただ俺の剣戟を避けるだけ、か。―――仕方ない・・・)


 何時までも決着のつかないこの戦いにも、いい加減終止符を打たなければならい。しかし、紗霧の繰り出す渾身の剣戟を躱すことが出来るセオドアに対して決定打となる一撃を与えるのは何とも骨の折れることだった。
 紗霧はセオドアからスッと再び離れ3メートル程距離を取ると、腰に帯びていた鞘に剣を仕舞う。剣を仕舞った紗霧を見てセオドアはホッと息を吐くが、その次の瞬間紗霧はセオドアに向かって走り出した。


「なっ!?」


 走り出した紗霧の右手は、鞘に収められたままの剣の柄を握り締めている。セオドアとの距離が縮まった今、紗霧は素早く右手に掴んだそれをセオドアに向かって頭上から振り下ろした。
 ガンっ、と鈍い音と共にセオドアは紗霧の振り下ろした一撃を右手で持っていた剣を真横にして頭上で受け止めるが、その時に響いた音は鋼である剣同士のぶつかり合った音ではなかった。


「え!!??」


 セオドアは己の受け止めた紗霧の一撃の正体を見る。セオドアが右手で持った剣で受け止めたのは、紗霧の長剣ではなく紗霧が腰に帯びていた筈の鞘であった。
 紗霧の剣だと思って受け止めたが、その正体が鞘だということにセオドアが茫然としていると、ヒヤリとセオドアの咽元に紗霧の左手に持つ剣先が突きつけられる。


「えへへへへ〜〜、取った」


 可愛くニッコリと笑う紗霧に闘技場の誰もが呆気に取られる。


「・・・ま、参りました」


 剣先を突きつけられたために仰け反った姿勢のまま、セオドアは己の敗北を口にする。
 その瞬間に審判が紗霧の勝利を告げた。だが、闘技場内は歓声もなくシンっと静まり返っている。未だ目の前で起こった事が信じられないのだろう。


 紗霧は左手にある剣を右手で持つ鞘に収める。セオドアも剣を鞘に仕舞うと、紗霧に微笑みかけた。


「おめでとうございます。・・・あの、お聞きしたいことが・・・。サ・・・ウィル様が剣を鞘から抜き放ち、剣と鞘を持ち替える瞬間を目に捉えることが出来なかったのですが、一体どのようになさったのですか?」


 セオドアの疑問は最もである。
 紗霧が振り下ろしたのが鞘ならば、先ず鞘に仕舞った剣を抜き放ち、次に剣と鞘を持ち替えなければならない。しかし紗霧がそれを抜き放ち振り下ろした正体は、何時の間にかその手に持ち替えていた剣ではなく鞘だった。
 更にいうならば、紗霧がセオドアに向かって走った距離を考えると、鞘から剣を抜き放つので精一杯であり、剣と鞘を持ち替える事はあの短時間で行うのは不可能であるのだ。
 だが紗霧は「あぁ」と呟くと、悪戯が成功したかのような『してやったり』という意地の悪い笑みを浮かべる。


「それはですね、簡単な事ですよ。本当は剣を鞘に仕舞ってなかったんですから」

「えぇぇぇえええぇえぇ!!??」


 実は、紗霧は腰に帯びていた鞘に剣を仕舞う仕草をしたが、実際には鞘の中には仕舞わずセオドアから見えない様にただ腰に剣を当てていただけであった。そのことで剣を抜き放つという動作が省かれ、紗霧は剣の柄を握っていた右手を素早く左手に持ち替えると、腰に差していた鞘を掴み振り上げたのである。
 セオドアは紗霧が鞘を振り下ろす事が出来たこの単純なカラクリに驚くと同時に、あの状況下で直ぐさまその様な事を思いつき、実践した紗霧に感嘆する。


「流石です。本当にウィル様には適いません」

「・・・・・・・・・・・・・手加減したくせに。今度やる時は本気を出してくださいよ!」

「え〜と、その、・・・・・・はい」


 ギロリと睨む紗霧に、セオドアはそれ以外の言葉を吐く選択肢はなかった。
 紗霧とセオドアは固く握手を交わし、セオドアは紗霧に背を向け舞台から退場する。


「さ〜て、と。最後はアークだね」


 紗霧は、審判がアークライトの名を告げるのを腰に手を当て静かに聞いていた。









                                            update:2006/4/6






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