――――08




「・・・・・・おい、これは夢なのか?」


 グレイス隊は準決勝相手である王妃直属親衛隊との試合が終わり、自分達の控え室へと戻っていた。
 グレイス隊と王妃直属親衛隊との準決勝は、誰もが予想だにしなかったであろうグレイス隊の勝利で終えた。その勝利は又しても紗霧一人の力によってもたらされる。その活躍ぶりに、紗霧を除く誰もが小柄な紗霧のどこに屈強な男共を倒す力があるのかと興味を抱くのも無理は無かった。
 そんな周囲の喧騒の中、紗霧自身は何処吹く風とばかりに一人淡々としている。

 バトラーは現実に起こっているこの出来事が夢であるかどうか確かるかのように、自分の頬を右手で抓る。だが「痛くない」と小さく呟くとその抓った右手を下ろし、グレイス隊の面々を見回した。そしてバトラーは入り口近くの長椅子に座る紗霧に目を留めると、来い来いとばかりに手招きする。


「なんですか?」


 首を傾げながら紗霧は立ち上がると、中央の長椅子に座るバトラーの元へと近づいた。バトラーの正面より1メートル手前で距離を取って止まり、何の用かとバトラーに尋ねる。


「ちょっと、俺を殴ってくれ」

「はぁ??嫌ですよ!手、痛くなりますし」

「まぁそう言わずに、ガツンと拳で来い!」


 問答無用で殴った事は数えきれない程あるが、自ら殴ってくれと言われたのは紗霧は初めてで戸惑ってしまう。「頭は大丈夫?」と紗霧は口を開いて言いかけたが、バトラーはどうやら冗談で殴ってくれと言葉にしたのではないようで、紗霧を見るその眼は真剣だ。
 紗霧は開いた口をそのまま噤む。


「・・・・・・解りました。ガツンと殴っていいんですね?」


 知りませんよ、と紗霧はバトラーに確認するがバトラーは力強く頷いた。そんなバトラー相手に紗霧も覚悟を決め、指をボキボキと鳴らす。


「歯、食い縛ってくださいね」


 紗霧は拳をつくると軽く二度跳ねる。そして素早く一回転するとバトラーに拳を繰り出した。


「おい!ちょ、ちょっと待っ―――――グハッ!!!!!!」


 バキッ、とバトラーの顔面に紗霧の拳が見事に決まる。そのあまりの鮮やかさに、紗霧とバトラー以外の者が一瞬見惚れたくらいだ。
 バトラーは吹飛ぶとそのまま壁に激突する。背中から物凄い勢いで壁に激突した身体は、ズルズルっと背中で壁を伝いながら地面に座り込んだ。頭が垂れ、身動きしない。どうやらバトラーは軽い脳震盪に陥っているようだ。


「ん。・・・・・・ありゃ?ち、ちょっと強く殴りすぎたカナ??」


 グレイス隊のメンバーは慌ててバトラーの元へと駆け寄ると、気絶したバトラーの顔を何度も軽く叩く。紗霧はバトラーを殴った所為で痛む右手の拳を軽く振った。


「・・・・・っつ」


 どうやら意識を失ったのは一瞬のようで、バトラーはすぐさま目覚めると軽く頭を振る。意識が覚醒したバトラーは真っ先に紗霧を目で探した。


「〜〜〜〜〜〜〜〜坊〜主!!!!誰がここまで強く殴れと言った!!??普通に殴れ、普通に!!!!」

「え、だって先程隊長がガツンって」

「ガツンとは言ったが、渾身の力を込めろとは言ってないぞ!!!!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・同じじゃん」

「断じて違〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜う!!!!!!!!!!!」


 バトラーは拳をつくって勢いよく立ち上がるとその拳をプルプルと奮わせた。紗霧は呆れた視線をバトラーに送る。


「し、しかしこれが夢じゃないって事は身をもって確かめる事が出来た!それにしては、ちと強烈だったがな。―――だが、やはり夢じゃなかった!!」


 腰に手を当てると、わはははは、と高らかに笑い出した。


「坊主、よくぞここまでやってくれた。歴代グレイス隊隊長もやっと報われたってもんだ。なんたって万年最下位の俺達が決勝まで勝ち進む事が出来たんだからな」

「満足するのは早いですよ。まだ決勝戦が残っていますし、優勝の可能性もあります」


 紗霧の強気な発言にバトラーは目を大きく見開くと、信じられないものでも見るかのように紗霧を凝視する。そして、ないない、といわんばかりにバトラーは何度も手を振った。
 何せもう一方の準決勝で勝ち進んだのは、誰もが順当な結果だとする王直属親衛隊だからである。そんな王直属親衛隊相手に勝利するという事は、正にデルフィング国の歴史に名を記すと同等に値する出来事であった。


「おいおい、相手はアノ王直属親衛隊だぞ。俺達が200年間一度も勝利を得る事が出来なかったように、相手はこの200年間一度も勝利を逃した事のない相手だ。いくら坊主でも無理に決まっているだろ」

「そんなの闘ってみないとわからないじゃないですか」


 ムッとした表情で紗霧は唇を尖らせる。そんな紗霧の可愛い仕草にバトラーは「若いな」と呟き、苦笑した。そして紗霧が如何に無謀な事を言っているのか諭すように、優しく言葉にする。


「あのな、昨日の個人戦で奴等の強さを観なかったのか?グレイス隊隊長の俺でも奴等と対等に闘えるのは4席でやっとだ。3席より上の奴等は格が違う。特に1席と2席、この2つを埋めるのは親衛隊隊長と副隊長だが、こいつ等は格が違うとかって言っている場合じゃないぞ。なんたって奴等は化け物なんだからな」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」


 バトラーの『化け物』発言に今度は紗霧が苦笑すると、今朝会ったばかりの二人の姿を思い出した。


(『化け者』だってさ。アークがこの台詞を聞いたならきっと、『化け物なんてひどいなぁ。でも、まぁ褒め言葉として受け取っておくよ』とでも苦笑しながらニッコリと微笑むんだろうなぁ)


 アークライトが髪を掻き上げる仕草でもって、それは自分を褒め称える言葉として受け止める姿が目に浮ぶ。


(でもって、セオドアさんはアークとは正反対で、『とんでもないです!わたくしのような者をそのように過大評価して頂くなんて!』とか、な〜んて言いながら顔を赤らめて首を物凄い速さで振って否定するんだろうなぁ・・・)


 セオドアが顔を赤らめながら焦る様子が紗霧には容易に想像することが出来、思わず、ぷっと噴出した。
 なにやら紗霧が一人で笑う姿に、バトラーは首を傾げつつも気を取り直してこの場に響き渡る声を出す。


「まぁ、ここまで来る事が出来たんだ!!優勝は当然無理でも、俺もやれるところまではやるぞ!!坊主ばっかりにいい所を持っていかせやしないからな!!!!!!!」


 バトラーは右手の拳で左手の掌にパシンと打ち込み気合を入れる。
 決勝戦への開始を告げる者が控え室の扉を叩くのは直ぐであった。


***


「最後はサギリ達と決勝ね・・・。これは俺まで順番が回ってくる可能性が高いな」


 アークライトはバルコニーからグレイス隊と王直属親衛隊が対峙する闘技場を見下ろしながら呟いた。アークライトの視線の先には紗霧がいる。紗霧の顔は今までの疲れが見えるどころか、逆に気合の入った表情をしていた。


「セオドアがサギリ相手にモノになると思えんしな。・・・何故セオドアはサギリの前になると本来の奴が出てこないのだ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・その台詞。そっくりそのままウィルに返すよ」


 紗霧が絡むと冷静さを失う自分を自覚してないウィルフレッドに、アークライトは冷たい視線を向けると、本日何度目になるか判らない溜息を吐いた。


「・・・・・・・さ〜て、それじゃ俺も控え室へ行くか」


 ウィルフレッドの発言を聞かなかったものとして処理したアークライトは、気を取り直すと身体を軽く捻る。それを何度か繰り返し、程よく身体が柔らかくなったのを確かめると闘技場に向かうべくウィルフレッドに背を向けた。


「―――アーク」


 バルコニーから出て行こうとしたアークライトをウィルフレッドは呼び止める。アークライトはその場で振り返るが、呼び止めた声の主であるウィルフレッドの視線はアークライトではなく闘技場にいる紗霧に向けられていた。だがアークライトは気にする様子はない。


「ん、何??」

「解っているだろうが・・・」


 暗に含まれた言葉は当然ながら『紗霧を傷つけることなかれ』である。


「あ〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・、善処します」

「善処ではない。――やれ」

「・・・命令ね。はいはい」


 我侭な王様だ、とアークライトは胸中で呟く。


(とは言ったものの、ウィルの言った通りに手加減すればサギリに嫌われるし、かといってサギリに少しでも傷を負わせばウィルが黙ってないし・・・)


 かつて無い難題にアークライトは痛みを訴える頭を押さえながらバルコニーを後にし、闘技場での己の陣営へと向かった。









                                            update:2006/3/31






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