――――06




「――――くっ。・・・・・・・降参だ」

「はぁはぁ、はぁ〜〜」


 右手で剣を握っていた王都警備隊隊長はその手を緩める。手を緩めた事によって握られていた剣は重力に従って落下し、高い音を立てて地面に転がった。息を切らす紗霧の真っ直ぐに伸びたその右手には愛用の長剣が握られており、鋭く尖った剣先は王都警備隊隊長の眉間にピタリと当てられている。
 酸素を求め激しく上下する胸を紗霧は静めようと一度大きく息を吐いた。


「勝者!!ウィル・グレイス!!!!!!!!」


 審判が紗霧の勝利を告げた瞬間、紗霧と王都警備隊隊長の息が詰まるような長い戦いの終わりに会場からは拍手の嵐と歓喜の声が飛び交った。中には小柄な紗霧の戦い振りに感動し、涙を流す人まで現れる。
 紗霧は王都警備隊隊長に向けていた剣を下ろすと一振り払い、腰に帯びている柄に戻す。紗霧が向けていた剣先を下ろした事で、王都警備隊隊長は肩に入っていた力を抜くと地面に転がった自分の剣を拾い上げ同じように柄に収める。
 二人の額からは闘いの激しさを物語るかのように大量の汗が滴っていた。しかしながら真剣での勝負にも関わらず二人はどこにも切り傷を負ってはいない。それは二人の卓越した戦闘スキルによるもので、常人なら有り得ない事であった。 


「おめでとう。まさか私まで君の前に倒れるとは思わなかった」

「ありがとうございます。でも今回は俺の方が少し運がよかっただけです。次にもう一度闘ったら倒れるのは俺の方だと思いますよ」


 紗霧の最後の言葉に「そんな事はないよ」と王都警備隊隊長は緩やかに首を左右に振る。
 安定した紗霧の実力をその身でもって体験したのだ。もう一度剣を交えても、再び倒れるのは己だと王都警備隊隊長は確信していた。
 王都警備隊隊長は胸に手を当て呼吸を整える紗霧に右手をスッと差し出す。紗霧も慌てて右手を差し出し、王都警備隊隊長と固く手を握り合って互いの健闘を讃えた。


「本当に惜しい。もう一度勧誘しても、やはり私達の元へ来てはくれないかな」

「はい。申し訳ございません」

「そうか」


 王都警備隊隊長の諦める事のない勧誘に紗霧は苦笑する。何度も自分を欲しいと言ってくれる彼の言葉は正直にいって嬉しい。だが、例え紗霧自身が王都警備隊への入隊を望んでも入隊する事は絶対に不可能でしかないのだ。何といったって最高権力者であるウィルフレッドがその力でもって全力で阻止するだろう。


「私達を倒した君には是非とも上まで行ってもらいたい。君の戦いを会場の何処からか応援しているよ」

「はい!!」


 最後に握り合っていた手に力を込める。そうして手を離すと王都警備隊隊長は紗霧に背を向け仲間の元へと戻って行く。紗霧はその背に一度深く礼をすると自分を待つグレイス隊の元へと帰って行った。


***


「うぉぉぉぉぉおおぉぉぉ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!坊主!!よくやった!!!」

「ふぇ?―――っうぎゃぁぁぁぁあああぁぁ〜〜〜〜〜!!!!!」


 グレイス隊へと戻った紗霧はバトラーの胸の中へと抱き締められた。いや、抱き締められたという表現は優しい。なんといってもバトラーは見上げるほどの立派な体格の持ち主だ。その胸にすっぽりと収まった紗霧を力一杯抱き締めたバトラーは、正に紗霧を潰そうとしているという表現がピッタリとくるだろう。
 普段なら軽く回避する事が紗霧には出来たのだが、物凄い勢いで突進してくる大柄なバトラーに身体が硬直して動く事が出来なかった。身体の硬直した紗霧にバトラーはすかさず体当たりをするかのように紗霧を腕の中に収める。


「信じられん!!俺達が初戦を突破することが出来るなんて!!お前は何て凄いんだ!!!」

「っっく、くる、し」

「初戦突破だぞ!!この200年間グレイス隊の誰一人として成し遂げる事が出来なかった偉業を坊主はたった一人でやってのけた!!!」

「だ、だから・・・く、くる」

「次の試合に勝てば決勝だぞ!!俺達ブロックには王直属親衛隊がいないんだ。決勝に進む可能性は高い!!!!」

「こっの、いい加減に、しろ!!!!!!!」

「ぐっ!!!!」


 紗霧は辛うじて自由になっている両手で、相手の左右の首に手刀を入れる。大したダメージにはならないが紗霧を拘束する両腕を解く程の効果はあった。バトラーは紗霧を抱き締めていた両手を離すと、手刀を入れられ激痛の走る首を押さえる。


「マズっ!!大丈夫ですか隊長!!??」

「痛たたたた!!――やるな坊主!!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ」


 バトラーの意外な熱血振りに紗霧は溜息を吐く。あはははは、と豪快に笑うバトラーだったが、一瞬その身をブルっと振るわせた。


「隊長??」

「な、なんだ??今何か悪寒が走ったような・・・」

「風邪ですか?具合が悪いのなら無理しない方が・・・」


 突然顔色が悪くなったバトラーの体調を心配するかのように、紗霧はバトラーの顔を覗き込む。


「??そ、そうだな、坊主が頑張ってくれたお蔭で俺の出番はなかったが、午後から始まる次の試合までちょっと仮眠でも取っておくか・・・。さぁ、お前等!控え室に戻るぞ!!」


 不思議そうに何度も首を傾げるバトラーを先頭に、グレイス隊の面々は自分達に与えられた控え室に戻るべく闘技場を後にした。


***


 太陽が中天にかかるまでに、第3・第4試合を終えた。午後からはそれぞれのブロックから勝ち進んだ隊の準決勝戦が行われる予定となっており、その組み合わせは第1試合で勝利を収めた王直属親衛隊VS第3試合で勝利を収めた南方守護隊のレスター隊、第2試合で勝利を収めた東方守護隊のグレイス隊VS第4試合で勝利を収めた王妃直属親衛隊である。
 紗霧はこの組み合わせをバトラーより告げられた。耳にした瞬間、紗霧の表情が喜びを見せ、次に複雑な表情へと変わる。
 
 紗霧が次の試合で当たるのは自分の為に結成された隊である。少数精鋭を基本とする王妃直属親衛隊の入隊試験はアークライト曰く王直属親衛隊と張るほど物凄い倍率で、試験で落とされ涙を呑んだ者が多かったそうだ。だが目下、未だこの国の事を勉強中である紗霧は、公式に国外だけではなく国内をも出歩いた事はない。そのため王妃直属親衛隊が王妃護衛の任務として機動したことはなかった。それでも毎日切磋琢磨と腕を磨く親衛隊に紗霧は申し訳なく思い、隊の結成時に一度兵と対面したきりで王妃としての紗霧との交流は全くなく、紗霧自身の足も彼等の練習場から遠のいていた。
 その王妃直属親衛隊と準決勝戦で真っ先に剣を交える紗霧が複雑な思いを抱いたのも仕方がなかった。


(あ〜、次が俺の親衛隊とって、何の因果だよ。でも勝ち進んでくれたのは素直に嬉しいかな。・・・・・・・・・・・俺と当たる以上容赦はしないけど)


 紗霧は緩む表情を引き締め、グレイス隊の一員として再び闘技場へと足を踏み出した。


***


「これより準決勝を始める。グレイス隊のウィル・グレイス、王妃直属親衛隊のエミリオ・ クロンディン、両者前へ!!」


 中央へと進み出た紗霧の反対側から赤の隊服を着用した少年が進み出た。王妃直属親衛隊の隊服はどちらかというと赤というよりは深紅といってよいかもしれない。その艶やかな深紅の隊服を違和感なく着こなした少年と対峙した紗霧は、目の前の少年――エミリオを不躾だと解りながらもジッと見る。
 エミリオ・クロンディンは紗霧と年・背格好ともに非常に近い。第一試合の5席であったジョハンもやはり紗霧と同じ年頃だったのだが、一人前の大人として体格は出来上がってないながらも、それでも紗霧よりは背が高くしっかりとした体格をしていた。だが、エミリオは紗霧と身長・体重共に差は見られない。つまり紗霧同様に軽量級である。
 紗霧の直視する視線に、一見少女と見間違われるような可愛らしい顔の眉間に皺が寄った。


「・・・・・何か」

「あ、ごめんなさい。何でもないです!」


 剣を握っていない左手を何度も左右に振った。
 エミリオは首を傾げたが、審判がスッと頭上高く右手を上げたので剣を構える。紗霧も慌てて同様に構えた。
 「始め」という声と共に審判の右手が試合開始の合図を告げるために素早く下ろされた。


***


 キンッと真剣同士がぶつかりあう音が響く。右から素早く切り込んだエミリオの剣筋を紗霧は足を踏みしめ受け止める。今や二人の顔の距離は僅かだ。唇を噛締めながらエミリオの剣戟を受けた紗霧に、エミリオはフッと表情を和らげる。


「やっぱり。第二試合で見て思ったが、私達の戦い方って似ているな」

「そう?それは嬉しいな――っ」


 右から打ち込んだ剣筋を止められたエミリオはすぐさま一回転すると、今度は紗霧の隙を突くかのように左側から剣を打ち込んだ。紗霧はこれも反射的に受け止める。


(―――速い!確かに俺達は似てる)


 体重が軽い紗霧はどうしても重い剣を打ち込む事はできない。そのため速さでもって相手を翻弄して隙をつくり、勝利をもぎ取るのだ。だが、エミリオは紗霧と同じ戦闘スタイルである。この勝負はエミリオが5席だからといって油断できるものではなかった。


 紗霧達の闘いは驚く事に隊長クラスの打ち合いと何ら変わりはなかった。戦闘スタイルが似ているというだけあって、互いに次の行動が予測できるのである。その両者の一進一退の攻防に会場の皆は固唾を呑んで見守っていた。

 剣を素早くエミリオに繰り出していた紗霧だが、目の前のエミリオがグラリと後ろに傾く。紗霧の激しい打ち込みに後退りしていたエミリオの両足が絡んだのだ。予想もしない出来事に驚いたのか、後ろ向きに倒れ込もうとしているエミリオは咄嗟に目の前にある紗霧の腕を掴んだ。


「えっ!?」


 紗霧もエミリオに引っ張られるようにして地面に倒れこむ。その際に右手に持った剣がエミリオに突き刺さるかもしれないという事を咄嗟に思考し、紗霧は慌てて剣を放り投げた。
 エミリオを下に紗霧は覆い被さるようにドサリと地面に倒れこむ。


「痛っ!―――大丈夫!?エミリオ」

「――っ。あ、ああ」


 覆い被さったエミリオの上から退こうと紗霧は手をついて素早く身体を起こす。

 むにゅ。


「むにゅ?・・・むにゅって!!!???」


 慌ててエミリオの上から退こうと手をついた紗霧の右手は、地面ではなくエミリオのその胸の上にあった。紗霧の右手の下にあるエミリオの胸は柔らかい。胸が平らな男性が持つはずもない感触が紗霧の手の中に今はある。
 その手に感じる感触に紗霧は茫然自失となり、右手をどけるなんて事は頭からさっぱりと消えていた。


「き、君、ももももももも、もしかして――」

「黙れ!!」

「――むぐっ」


 紗霧の下敷きになっていたエミリオは身体を突如起こすと、今度は紗霧を下敷きにしてその口を両手で塞ぐ。エミリオの茶色の髪が紗霧の顔にかかった。
 エミリオの突然の行動を紗霧は只呆然と享受するしかなかった。









                                            update:2006/3/26






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