――――05




 「あんたにはこれ、必要ないよね」


 紗霧は右手に持っていた剣を地面に放り投げると腰に帯びていた剣の鞘を替わりにその手に持ち替えた。手より放たれた剣はカランと音を立てて地面に転がる。剣の軌跡を最後まで目で追っていたジョンは地面に落ちた剣を見届けると同時にその表情からは笑いが消え、紗霧を無表情に睨み返す。


「小僧、何の真似だ」

「ん?別に」

「・・・その鞘で俺を相手にしようっていうのか?」

「そうだけど」

「っふざけるな!!!」


 ジョンの瞳は、今や紗霧に対する怒りで燃えている。取るに足らないと見ている紗霧を初めから見下していたジョンは、剣を投げ捨てた紗霧に逆にジョンこそが紗霧にとって取るに足らない相手と態度で示されたも同然だ。ジョンは顔を真っ赤にして叫ぶ。


「おい!俺様は弱者には優しいからな。今なら投げ捨てた剣を拾う時間を与えてやる!!」

「いらない」

「〜〜ってめぇ!!」


 ジョンの顔はますます赤みを帯びながら顔面を醜く歪ませた。剣を構え直したジョンは、紗霧に向かって正面から突進してくる。


「うおおおぉおおおぉぉお!!!!!!!!!!」

「・・・・・・・単純筋肉馬鹿」


 やれやれ、と突進してくるジョンに紗霧は肩をすくめる。紗霧とジョンの距離まで僅か1メートル弱。それでも構えようとしない紗霧に、会場にいる皆は紗霧がジョンの剣の前に血を流して倒れるという想像をしてしまい思わず目を背ける。審判もこの試合を止めるべきかと一瞬にして思考を巡らした。死人を出すわけにはいかないのだ。その様な事は誰もが知るルールなのだが、冷静さを欠いたジョンの頭の中にはすっぱり忘れ去られているかもしれない。
 審判はこの試合を止めなければと結論に達し、紗霧とジョンの間に割り込もうとしたが既に遅し。紗霧の前に立ちはだかったジョンは、その手に持っている剣を頭上から力一杯振り下ろした。


「これで仕舞いだ!!!!!!!!!」


 紗霧に向かって振り下ろされた剣は、審判の目にはスローモーションのように映る。口を大きく開け、紗霧に精一杯右手を伸ばした審判のその手は紗霧に届く事はなかった。紗霧が地面に倒れたからではない。審判のその手の先から消えたのだ。そう、正に消えたという表現が当てはまる。その次の瞬間、地面に倒れたのは紗霧ではなく剣を振り下ろした筈のジョンであった。


「え・・・?????」


 審判は目の前で起きた一瞬の出来事に、我が目を疑った。会場の皆もドサリという音に背けていた目を会場の方へと向ける。そして地面に倒れたのが紗霧ではなくジョンだと知ると何事が起こったのかと騒ぎ始めた。
 一瞬目の前の出来事に戸惑った審判だが、すぐさま己の職務を遂行する。


「あ・・・・・、勝者、ウィル・グレイス!!!!!」

「よしっ」


 紗霧は左手でガッツポーズをつくる。倒れたジョンを一瞥すると地面に投げた剣を取りに戻るべく背を向けた。


***


「た、隊長。今の見ました・・・?」

「・・・・・・・あぁ。あいつ何者だ」


 最後まで目を背けることなく試合を見ていたグレイス隊には目の前で起こった出来事をその目でしっかりと見ていた。
 頭上から振り下ろしたジョンの剣は誰もが紗霧を切りつけるとして疑わなかったに違いない。
 だがその剣が紗霧を切り捨てる瞬間、紗霧は手に持っていた剣の鞘で右から素早くジョンの手首を叩いて剣の軌道を逸らした。軌道を逸らされた事でジョンは驚き一瞬の隙をつくる。正面から突進したジョンを紗霧は右に避け、そして身体を半回転させるとジョンの急所に鞘を打ち込んだ。紗霧の身体は軽く本来なら大したダメージを受けないのだが、身体を半回転させた事によってその力は人を倒す事が出来る力となったのである。


「ウィル・グレイス。面白い」


 バトラーは剣の鞘を再び腰に帯びる紗霧の行動から目を離すことなく一挙一動見ていた。


***


 ジョンを倒した事で、王都警備隊は紗霧に対して5席目埋めた新人という目で見ることなく一人前の兵として対峙した。だが紗霧の前では3席、2席共に次々と倒れて行く。
 そして当然ながら最後に残るのは1席目を埋める王都警備隊隊長。王都警備隊隊長の名が呼ばれ、彼は紗霧と対峙した。想像していたより若い王都警備隊隊長に紗霧は驚く。どう見ても20代後半で、アークライトと同じ年の頃だろう。爽やか好青年といった表現がよく似合う人物だ。


「・・・前代未聞だな。5席のお前が私を相手にするという事が起きるなどとは」

「あ、やっぱりそうですか?ん〜」


 王都警備隊隊長の硬い声に、紗霧はポリポリと頬を掻くと困ったように唸った。紗霧の緊張のない声と仕草に王都警備隊の隊長は突然噴出す。


「ぷっ。あははははは〜!!」

「え、え??」

「くくくくくく、いや、笑ってす、すまないっ」


 目の前で突然お腹を抱え笑い出した王都警備隊の隊長に紗霧は訳もわからず戸惑った。


(な、何でそこで笑うんだよぉぉぉ〜〜〜)


 紗霧はどうしていいのか解らず、止まらない笑いにとうとう膝を着いた王都警備隊隊長の前で呆然と立ち尽くす。その様子を見て王都警備隊隊長が笑いを強めたのは言うまでもない。
 王都警備隊隊長の笑いが収まるまで紗霧は首を傾げつつひたすら待つ。そしてどうやら徐々に笑いが収まってきた彼は、紗霧に対して両手を合わせると頭を軽く下げた。


「ほ、本当に申し訳ない!!馬鹿にしたのではないんだ!!まさかそんな気の抜けたような態度に出ると思わなかった。てっきり己の力を傲るようなもっと傲慢な奴かと思ったんだ」

「そんなことしないよ。俺より強い奴は沢山いるしね」


 そう、ウィルとかね。
 紗霧は声に出さず胸中で呟き、その唇を尖らす。王都警備隊の隊長は紗霧の謙虚な言葉と可愛らしい態度に好感を持った。


「そうか。ウィル、とかいったな。どうだ?これが終わったら私達王都警備隊に来ないか?副隊長の地位を用意してやるぞ」


 副隊長とは破格の待遇だ。何せ紗霧は5席目を埋める新人としてここに立っているのだ。そんな紗霧に行き成り副隊長の地位を用意するというのは考えられないことである。


「その申し出は嬉しいのですが、俺はもう在るべき処を決めているので」

「・・・そうか、残念だ」


 紗霧の『在るべき処』とは当然ながらウィルフレッドの隣だったのだがそれを知らない王都警備隊隊長は、紗霧はよほどグレイス隊を気に入っているのかと肩を落とした。


「ならばもし気が変わる事があったなら何時でも私達の元へ来てくれ。歓迎するぞ」

「俺なんかにそのような言葉を仰ってくださって有り難うございます」


 王都警備隊隊長は「それに値する人物だからな」と最後に一言付け加えた。


「では、そろそろ始めるか」

「はい」


 審判に王都警備隊隊長は目礼すると剣を構えた。紗霧も同様に審判に目礼し、剣を両手で構える。
 二人の準備が整った事で審判は開始の合図を送った。


***


「おい!!どこへ行く!ウィル!!!」

「この試合を止めてくる。いくら腕に覚えのあるサギリとて隊長クラスでは危険だ」


 王都警備隊隊長が進み出たと同時にウィルフレッドは闘技場に向かうべくバルコニーから出て行こうとするが、その肩をアークライトに掴まれる。


「馬鹿っ。冷静に考えろ!無理だ!!」

「何故だ」

「いいか、よく聞け。お前は『王』だからこの試合を止める事は簡単だ。ならばその理由は?サギリが『王妃』だから、自分の『妻』だから危険な目に合わせたくないとでも言うのか!?」


 アークライトのその台詞にウィルフレッドも一瞬にして状況を把握し、眉を顰める。


「・・・理由を言わずとも止める事が出来る」

「確かにな。だけど、これまでのサギリの試合振りに興奮しきったここにいる全員はウィルのその行動に納得しない。今のサギリは『ウィル・グレイス』としてこの大会に出場している。お前、彼は自分の愛人で、だから危険な目に合わせたくないとでも言うのか」


「・・・・・・・・・・・・」

「大丈夫だ。王都警備隊隊長は信用していい。サギリを傷付けることは絶対しない」


 所属隊は違えども王都警備隊隊長とは何度も酒を酌み交わした事がアークライトはある。二人は知らない仲ではない。だからこそウィルフレッドを安心させる為の嘘ではなく、本当に王都警備隊隊長は信頼出来る人物だと言うことが出来、紗霧を傷つける事はしないと言い切れるのだ。


「・・・・・少しでもサギリが傷付いたのばなら容赦はしない」

「解った。その時は俺もウィルを止めない」


 ウィルフレッドが諦めて元の場所に戻ったのでアークライトもホッと肩の力を抜く。そして椅子に座りなおしたウィルフレッドの背を見て溜息を吐いた。


「ったく、サギリが絡むと直ぐに切れるんだから。普段の冷静なウィルは一体何処に行ってんだ??」


 再び溜息を吐いたアークライトは、闘技場を凝視するかのように見るウィルフレッドに呆れた視線を向けた。









                                            update:2006/3/24






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