――――03
誰にも気づかれる事なく紗霧は再び闘技場へと戻ってきた。しかしながらウィルフレッドのいるバルコニーではなく、本日の種目競技である団体戦へと出場する隊の控え室に直接足を向ける。
控え室は闘技場の地下に造られている。そのため、紗霧は薄暗い地下への階段を恐る恐る下り始めた。
地下という環境からじめじめと湿っぽいのかと想像していたが、空調設備はしっかりと造られたようで冷えた心地よい空気が肌を撫でる。
だが日の光が届かない為かその分不足した光は蝋燭の灯りで補っていた。その淡い蝋燭の灯りを頼りに、紗霧はグレイス隊がいるであろう控え室を探す。出場する選手の集中力を邪魔しないようにという配慮なのか、紗霧以外の者が出入りする様子が見られず地下室は閑散としていた。同じような扉が数多く並ぶ地下控え室。そんな中、人に道を尋ねる事も出来ず紗霧はどうしようかと途方に暮れた。
「誰か歩いてる人が一人でもいたらいいんだけどな。あぁもう!第一試合が終わちゃうよ!!」
このまま適当に扉を開けていこうかな。それならば何時かグレイス隊の控え室にもブチ当たるだろうし。
その様な考えにたどり着いた紗霧は一番近いドアの前で立ち止まると、扉をノックすべく右手を上げた。
だが紗霧が扉を叩こうとした正にその瞬間、紗霧の位置よりもう少し先の扉がガチャリと開く。紗霧はその手を止め、中から出てきた少年に目を留める。
(うえぇ!!??)
扉の中から出てきたのは白い隊服を身に付けた少年だ。少年は紗霧と年の頃はあまり変わらないように見える。もしかして、とはやる気持ちを紗霧は抑えられなかった。紗霧の瞳が喜びに大きく開くが、少年は俯いて歩いているためか紗霧に気付かないようだ。溜息を吐きながら少年は紗霧の横を通り抜ける。
(あれってグレイス隊の隊服だよね!?うわぁ〜〜俺って何て幸運なんだろう〜〜!!)
紗霧は自分の強運を神に感謝した。そのまま足取り軽く、だが気配を殺し、出口へと向かう階段を登り始めた少年の後を静かにつけていった。
***
「はぁ、何で俺なんかが選ばれたんだよ」
グレイス隊の5番目の席に選ばれた少年は、その選ばれたというプレッレシャーに耐え切れず何度も溜息を吐く。控え室でも同じ様に溜息を繰り返し吐いた為、隊長に新鮮な空気でも取り込んで来い!と控え室から追い出されたのだった。
「マーテルの奴、本当なら奴が選ばれたのに上手い事逃げやがって。このまま俺も・・・。無理だよな。隊長にどやされる」
はぁ、っと再び溜息を吐く少年の後ろへ気配を殺していた紗霧が静かに近づく。少年は背後に立ち、己に向かって右手を伸ばす紗霧の気配に全く気付いてなかった。
「こんにちは」
声がかかったと同時に、少年は肩をポンと軽く叩かれる。その時初めて紗霧の存在に気付いた。先程まで全く気配のなかった紗霧に少年は驚き一瞬身構えるが、紗霧の人懐っこい笑顔にすぐさま警戒心を解く。
「え?あ、こんにちは」
「もしかして団体戦に出るグレイス隊の人?」
「そ、そうだけど」
「名前は?」
「ナッシュ」
「そう。ナッシュってもしかして5番目に選ばれた人?」
少年は初対面の自分に向かって矢継ぎ早に質問を繰り返す紗霧に訝しむが、質問に答えるべく素直に頷く。
「―――見つけた。・・・ごめん!!」
「は??―――あぅっ」
紗霧は少年の視界から消えると背後に回り込み、目に見えない速さで後ろ首に手刀を入れる。
少年は何事が起こったのか把握することなく、紗霧の最後の言葉を耳に残しながらガックリと地に沈んだ。紗霧は少年が気を失った事を確認すると、脇の下に両腕を差し込み少年を誰の目にもつかない隅へと引き摺って行った。
「本当にごめん。君の代わりに頑張るから許して」
少年を草むらに放置した紗霧は拝むように一度手を合わせると少年が出てきた控え室に向かうべく、再び地下への階段を下りて行った。
***
「誰だ」
グレイス隊の控え室へと訪れた紗霧に、扉を正面にして座った厳つい男はドスの利いた声で紗霧に言葉を放った。男は30代半ばといったところだろうか。リルと同じ赤毛だが、こちらは色がもっと燃え上がる焔の様に赤い。まるで本人の気性を現しているかのようである。紗霧が今まで見たどの男よりも立派な体格をしたこの男は、座っているにもかかわらず紗霧を圧倒する。男から感じるプレッシャーに紗霧は己を落ち着かせようと室内をゆっくりと見回した。
紗霧の立つ入り口からでも控え室はピリピリと張り詰めた空気を感じる事が出来る。だから男のその声音にも紗霧は納得し、相手に警戒を抱かせぬようにとニッコリと微笑んで見せた。
「俺、ナッシュの友達です。実はさっきナッシュが腹痛で倒れてしまって・・・。すぐさま自分の代わりを探す事は難しいと思うから、信頼を寄せている俺に彼が是非とも代わりに出場してくれって頼まれました」
「・・・逃げたな」
「・・・・・・・・」
ちっ、と男は舌打ちした。
本当は逃げたのではなく紗霧が気絶させ動けなくしたのだが、そんな事を正直に言う筈がない。『逃げた』と不名誉な事を言われたナッシュに、紗霧は三度目の謝罪を心の中で呟いた。
男はナッシュの代わりだと控え室に来た紗霧を探るかのように目を細めて見る。紗霧を怪しい者かどうかと見極めようとする男の眼光の鋭さに、きっと彼が隊長なのだろと彼から醸し出す雰囲気も手伝って紗霧はそう結論付けた。
「まぁいい。お前、名は」
「名?」
名を問われ、紗霧は一瞬頭の中が白くなる。
(ヤバイ考えてなかった!!えっと、えっと・・・)
突然問われ、すぐさま思いつく名前なんて限られる。紗霧は真っ先に思い浮かんだ名を口にした。
「ううううう、ウィル!」
「ウィル?下の名は」
「えっと、グレイス」
「グレイス?坊主、グレイス公爵の身内の者か?」
「う、うん」
ほぅ、と手を顎にやった男は再び紗霧を頭の天辺から足の爪先まで視線を向ける。そして納得がいったかのように何度も頷いた。
紗霧の『グレイスの身内』という言葉に当然ながら納得しない者もいる。男の後ろに控えていた青年は紗霧に警戒心を強め、腰に帯びていた剣の柄に手をかけた。
「隊長、この者グレイス公爵の身内などと語る不届きものかもしれません」
だが隊長と呼ばれた男は青年の言葉にゆっくりと首を横に振る。
「・・・・・・・いや。坊主が言っている事は多分真実だろう。見ろ、この坊主の髪色。これはグレイス一族のみに表れる色だ。どちらかというと黒に近いが、まぁ身内というのは間違いない」
(そ、そうなんだ。知らなかった)
男の言葉に危なかったと紗霧は冷や汗をかきつつ胸を撫で下ろす。
「で?坊主。お前のその細腕、鍛えているようには見えないが・・・本当にナッシュの代わりにやれるのか?」
紗霧の小柄な体型に隊長――バトラーは紗霧の視線を真っ向から捕らえて問う。
お前に闘う事が出来るのか―――と。
「無茶です!!こんな剣を握った事の無い様な素人を出すなんて無謀も――」
「黙れ、お前に聞いてない。で、坊主。返事は?」
青年の言葉を鋭く遮り、紗霧に再び問う。
バトラーから視線を逸らさないどころか、逆に睨みつけた紗霧はゆっくりと口を開いた。
「やれる」
瞳の底に宿る強い光を紗霧の中から見たバトラーは、悪戯を思いついた少年の様な目をすると腹の底から突然笑い出した。
盛大な声で笑い出したバトラーに紗霧を始めとする控え室の面々は、呆気に取られたようにきょとんとする。
「そうかそうか!!よし!誰か、この坊主の背丈に合う隊服を貸してやれ!!」
「わわっ!!」
バトラーは立ち上がり紗霧に近づくと、おもいっきり紗霧の髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。
「ですが隊長、入隊してないこいつを出すとなりますと・・・」
「んん?――あぁ、無視だ無視。どうせ弱小な俺達隊のことなんて誰も気に留めないだろうしな」
「・・・・・解りました。おいお前!!こっちへ来い」
「はい!」
よっしゃ!と紗霧が心の中でガッツポーズを決めたのはいうまでもない。
先を行く男の後ろから紗霧はスキップするかの様について行った。
「お〜〜似合う似合う」
白の隊服を着た紗霧をバトラーは拍手で迎えた。
確かに紗霧が白の隊服を着ることによって紗霧の漆黒である髪は更に映え、それと同時に少年と青年の境にいる者だけがもつ、何ともいえない危うい色気が醸し出されていた。
余談だが、それはウィルフレッドやアークライトにも常々言われる事であり、そのためウィルフレッドは好んで紗霧に白い服を与えていた。お蔭で紗霧についた呼び名が『白の王妃』である。
紗霧がバトラーや控え室にいるメンバーから褒めの言葉を投げかけられていたその時、闘技場から割れんばかりの拍手が響く。その拍手は第一試合が終わった合図。グレイス隊の面々は互いに視線を合わせ力強く頷いた。
「そろそろ俺達の番だ。坊主、その剣でいいのか?」
紗霧の手の中にある、すぐにでも折れそうな細身の剣を見てバトラーは眉根を寄せる。
「はい。これが一番手に馴染んでいるんです」
「そうか。ならいい。―――では出撃だ!!!!!!」
隊長であるバトラーを先頭に紗霧達は闘技場へと出陣した。
***
「ではこれよりグレイス隊と王都警備隊の試合を始めます」
「お、次の試合が始まるよ」
アークライトはバルコニーの上から、次の試合の合図を告げる審判に目をやる。アークライトの横で興味がないとばかりにワインを口にするウィルフレッドは、空になったワイングラスに再び自らワインを注ぐ。
第一試合の王直属親衛隊と北方守護隊のローデン隊は2番目の席を埋めているセオドアまで回ったが、セオドアは長い攻防の末に相手の隊長を下した。その活躍ぶりに黄色い声とブーイングの嵐が会場を埋め尽くす。
だが第二試合の東方守護隊のグレイス隊と王都警備隊の面々が会場に姿を現した事によって収まり、人々は両者に対する声援を送り始めた。
「サギリまだ体調が悪いのかな。折角応援しているグレイス隊の番なのに」
「後で様子をみてこよう」
「そうだね。その方がサギリも心強いと思うよ」
「あぁ」
頷くウィルフレッドの言葉の上から被さるように試合開始の合図を告げる音が高く鳴り響く。ウィルフレッドとアークライトはその音に反射的に闘技場へと視線を向けた。
「ではグレイス隊のウィル・グレイス、王都警備隊のジョハン・サントフォール、両者前へ!!」
「・・・『グレイス』??」
「それに『ウィル』って、は??」
審判が告げた名に、ウィルフレッドとアークライトは反応する。
ウィルフレッドとアークライトはこれが国主催の武闘大会であるため個人戦・団体戦へと出場するメンバーは大雑把ながらも把握している。人数が多いため申請された書類に軽く目を通しただけだが『ウィル・グレイス』なんてそんな名はなかった。『グレイス』の名を名乗る者は数少ない為、ウィルフレッドもアークライトもその様な名を持つ者を書類上で確認したのなら記憶に留めているはずであった。
『ウィル・グレイス』と呼ばれた白い隊服を着た少年が中央に進み出る。その時、会場から割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
「・・・・・・・・・・・・やられた」
パリンとグラスが砕け散った音がする。音の出所はウィルフレッドが手にしていたワイングラスだ。それがウィルフレッドの手の中で見事に砕け、中に注がれていたワインはウィルフレッドの手を伝って床にポタポタと雫を落とす。
「――――だな。考えてみればサギリが大人しく黙っている筈はなかったんだよね・・・」
ウィルフレッドは手に握り締めていたガラスの残骸を床に落とすと、がっくりと椅子に凭れかかる。その傍で諦めの表情で溜息を吐き、右手で額を押さえたアークライトが立っていた。
update:2006/3/21