――――67
何だか沈黙が重かった。
紗霧はその気まずさに耐えきれず俯くとドレスのスカートをグッと握り締める。
本当は正面から向き合って話し合わなければならなかった。けれど傷付けてしまったという後ろめたさから、紗霧はウィルフレッドと視線を合わせることが出来なかった。
「・・・・・・此度の事、本当にすまなかった」
掛けられた言葉に紗霧の身体がビクリと跳ね上がる。
意を決して顔を上げれば、視線の先には酷く苦しげな表情を浮かべるウィルフレッドがいた。
「私が愚かだった。サギリと思いが通じ合ったことで思い上がっていたのだ。私の妻としての立場を受け入れることは当然なのだと・・・拒まれる可能性など万に一つないのだと自惚れてしまった」
「ウィル・・・」
「このような事を言うのは身勝手だと重々承知している。だが私を許してほしい。決してサギリ自身の意思を軽んじた訳ではなかった」
「・・・分かっている。ウィルにそんなつもりはなかった事くらい。だからもういいよ。それに俺もウィルを一方的に責めて悪かったと反省している。ごめん。結局俺も同じ事をしていたのにさ・・・だからいいんだ」
もう怒っていない、と紗霧は精一杯ぎこちないながらも笑みを浮かべる。するとウィルフレッドは安心したのかホッと胸を撫で下ろすと眼を細め、その口元に弧を描いた。
それはまるで宗教画に登場する大天使のようだと紗霧は思った。そのあまりに絵になりすぎるウィルフレッドの姿に思わず見惚れてしまう。しかも何時もと違って今のウィルフレッドは正装姿なのだから効果は倍増だ。
「・・・ウィル、本当に『王子』なんだね」
「あぁ」
「そっか・・・」
再び沈黙が下りる。けれど先程まで感じていた気まずさはそこには無く、ただ視線だけが絡み合う。
暫く無言で見つめ合っていたが、不意にウィルフレッドの右手が動いた。気付いた時には紗霧は自分の頬に温もりを感じていた。もちろんウィルフレッドの体温だ。
突然のことに身体は驚いて跳ねたが今度はその手を払うことはしない。紗霧は頬から伝わる優しい温もりをただ静かに享受した。
「サギリ、私はサギリを心から愛している。この命を賭してでも守ると誓ったのは・・・支えていきたいと誓ったのは決して偽りではない。だから私を信じてこれからも傍に居て欲しい。この国を共に支えて欲しい」
怖いくらい真剣な表情。
ウィルフレッドの想い、そして願い。それが痛いくらいに伝わってくる。
紗霧は射るようなウィルフレッドの視線を真っ向から受け止めた。逸らすことなんて出来なかった。
「・・・ありがとう。でもごめん、駄目なんだ。俺はウィルの傍に居るって約束したけど守れなくなった」
本当は素直に頷きたかった。叶うことならその想いに答えたかった。
だけど、と紗霧は内から聞こえてくる言葉に耳を傾けることなく蓋をする。
「それは私が『王子』という身分だからとでもいうのか?」
「っ当たり前だろ!!・・・妃候補者達は一体何のために集められたと思っているんだ?ウィルが王になるための伴侶探しだろ?俺はそもそも『男』だ。俺にはウィルの跡継ぎなんて生むことは出来ない」
「っそんなものは―――!」
「―――それに!!・・・それに、さ。もし本物の『シュリア』が戻ってきた時、俺が『シュリア』の名を語ったままだと彼女はどうなるんだ?俺は本物の『シュリア』という存在を消してしまう。名も無い存在にしてしまう。それはグレイスさんに恩を仇で返すようなもんだ。それだけは絶対に許されない。俺が・・・許さない。そうするくらいなら、俺は自分の感情を全て捨てる」
「・・・・・・」
そう。
これがウィルフレッドの想いに答えることが出来ない最大の理由。
決して『シュリア』を存在無き者にしてはならない。それだけは誰が何といおうと紗霧自身が許さない。
「だから俺には無理だよ。・・・ウィルの申し出に答えることは出来ない」
ごめん、と消えるような声で小さく呟く。
「・・・ウィルの事は好きだ。傍に居られるのなら元の世界に帰れなくてもいいと思った。・・・でもさ、一緒に居たいっていう俺の我儘は皆に迷惑をかけちゃうんだ。・・・グレイスさんやこの国の人々を裏切ってまで俺はウィルの傍に居ることなんか出来ないよ」
ウィルフレッドは言葉なくただ静かに紗霧を見ていた。
「約束守れなくてごめん。俺って本当、嘘つきだよな」
「そんなことは欠片も思ってはいない。それがサギリの優しさだからな」
「ありがとう、ウィル」
ヘラっと紗霧は表情を崩す。
「これまで楽しかっ、た!」
笑おうとしたて失敗した。紗霧は自分の頬が引き攣ったのがわかった。
「ウィルのことだからきっと素晴らしい奥さんを迎えられる!そしたらその人をとても大事にするだろうし、その内に子供もだって出来て・・・さ」
耐えきれないくらい酷く心が痛んだ。呼吸することさえ儘ならなかった。けれどそれを決してウィルフレッドに気付かれてはならない。
紗霧は心の痛みに耐えるように強く拳を握り締めた。掌に爪が食い込む痛みなんて胸の痛みに比べれば些細なものだ。
(だ〜〜〜〜っ俺の馬鹿!!笑えよ!ウィルが変に思うだろう!!)
自身に向かって散々悪態をつきながらも溢れ出ようとする涙、そして心の痛みを誤魔化すかのように紗霧は必死になって笑みを浮かべた。
ウィルフレッドが不審に思わぬよう精一杯の笑顔を。
「ウィルの子供か〜。男の子だったら物凄く美形に、女の子だったら物凄く美人になるんだろうなぁ。うん、俺が保証・・・するよ」
あぁ、もう我慢できないと思った瞬間、くしゃりと顔が醜く歪む。
もう駄目だった。これ以上は限界だった。
ウィルフレッドの幸せを願う心は本心だ。でもそれと同じくらい否定する自分がいることに紗霧は気付いた。こんな自分を醜いと思った。
止めることが出来なかった一筋の涙が紗霧の頬を伝って零れ落ちる。
「・・・」
「・・・って、は、ははは。やだな〜、俺。こんな時に何か眼に入っ―――」
突如、紗霧の全身が暖かな温もりに包まれる。
最後まで言い切れなかった言葉はウィルフレッドの腕の中に吸い込まれるように消えていった。
update:2009/07/01