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紗霧は唖然と広間を見渡した。
何故か人々から祝いの言葉が送られていた。
何故か人々から惜しみない拍手が送られていた。
けれど紗霧には眼の前で起きている状況が一体どういうことなのか全く理解することが出来ない。鈍った頭で必死にこうなるに至った原因を考えるが、残念ながら答えは出なかった。
首を傾げつつ説明を求めるかのように隣に並ぶウィルフレッドを見上げれば、不安に思う気持が顔に出ていたのだろうか。大丈夫だ、とばかりにギュッと右手を握りしめられる。
「ウィル・・・、これ何?一体何が起きているんだ?」
紗霧の手を容易に包み込むことが出来る大きな手と、その確かな温もりを感じながら問う。
すると眼も眩むような笑みが返された。
「私の妻――つまり王妃として迎え入れるとこの場で宣誓したのだ」
「へーそうなんだ。それは嬉しいなー」
それでこの歓声なのかと紗霧は漸く納得がいった。
「・・・―――って、いやいやいやいやいやちょっと待った!!何言ってるんだよウィル!!何言っちゃってくれてるの!?」
さらりと言われた言葉にギョッと眼を見開く。
ウィルフレッドに預けていた自分の手を慌てて引くと、紗霧は首を勢いよく横に振った。
あまりにも理解不能な言葉に頬の筋肉が思いっきり引き攣ったのがわかる。
「お、俺を王妃にって・・・、それってもちろん冗談だよ・・・な?」
淡い期待を抱きながらウィルフレッドを見上げる。
白昼夢が見せる悪夢にしても、これはいくらなんでも洒落にならなかった。だからこそ否定の言葉が紡がれるのを期待を込めて待つ。
しかしウィルフレッドは軽く頭を振るとそっと紗霧の両肩に手を乗せた。
「私は本気だ」
「!?―――っそんなの許される筈がないっ!!」
バシッと肩に乗せられたウィルフレッドの手を払い落すと一気に怒りが爆発する。
何故そんなことが言えるのか不思議でならなかった。紗霧の与り知らぬところで勝手に話を進めるウィルフレッドに本気で腹が立った。
「何だよそれ・・・何で勝手に決めるんだよ!?お、俺はウィルが好きだ!ウィルの傍にいるって誓ったし、信じるとも言った!けどなっ、俺を王妃にってあまりにも馬鹿げている!それだけは絶対に駄目なんだ!!」
まるで捲し立てるかのように言葉を吐く。
もう紗霧には訳が分からなかった。
確かにウィルフレッドの正体が王子と分かった時は物凄く驚いたし、初めて眼にするウィルフレッドを一瞬だけ遠く感じもした。けれどすぐにそんな彼も紗霧が愛したウィルフレッドなのだと心で理解することが出来たし、思いが通じ合ったのは間違いなく王座に座るウィルフレッドなのだと確信して嬉しかった。
なのに突然紗霧を王妃にという。次期国王であるウィルフレッドと思いが通じ合ったからといって、それでこの国の王妃に紗霧をだなんてあまりにも達の悪い冗談にしか思えなかった。
一気に吐き出した言葉に沈黙が落ちる。不味かったと思ったのはその後。
そっと窺うようにウィルフレッドを見れば、その顔は酷く悲しげに歪んでいた。
「あ、俺・・・」
形の良い眉根がギュッと絞られ、瞳が悲しみに揺れるのを紗霧は至近距離で見てしまった。
たちまち後悔の念に襲われる。
決して傷付けるつもりはなかった。悲しませるつもりはなかったのだ。けれど紗霧にとって決して譲ることが出来ない物事もある。
だからこそ思わず口を衝いて出そうな謝罪を紗霧はグッと呑みこんだ。
「ごめん、ちょっといいかな?」
突如、紗霧とウィルフレッドの間に漂う張り詰めた空気を裂くかのようにアークライトが間に割り込んできた。
「本当は王妃に選ばれるなんてこの上ない名誉なことなんだけど・・・。でも、ま。今回の場合はちょっと特殊だしね。それに二人にはどうやら話し合う時間が必要のようだ」
ポンポンと優しく頭に手を置かれて紗霧は眼を丸くする。
アークライトの手もやはりウィルフレッドの手と同じように大きく暖かった。それがまるで救いの手であるかのように感じた紗霧が縋る思いでアークライトを見れば、何故か柔らかく微笑まれてしまった。
「さて、そうと分かれば大臣方々には早々に退出して頂きたい。―――セオドア、彼等を隣室へと誘導してやってくれ」
アークライトは広間に集う人々に向かって声を張り上げた後、近くに控えていたセオドアへと指示を出す。セオドアは小さく頷くと広間に控えていた隊員に素早く指示を出し、大臣達を先導して『王座の間』から退出した。
そのあまりの迅速な行動に紗霧は状況も忘れ感心したようにセオドアの背を見送る。
「さて皆には退出してもらったけど・・・。ウィル、まさかとは思うけど、まだ自分の正体を明かしていなかったとか言うんじゃないよね?」
「・・・・・・・・・・」
「・・・言っていなかったんだな」
ウィルフレッドの沈黙を肯定と読みとったアークライトは肩で大きく息を吐く。
「ちゃんと俺は忠告したよね?『あまり多くの時は残されていないよ』、と」
それでも無言のウィルフレッドにアークライトの溜息が益々深くなった。
「馬鹿だな。それじゃサギリが混乱するのも無理はないよ。これは全面的にウィルが悪い」
「・・・わかっている」
「いや、全然わかっていない。お前はこの世に誕生した瞬間から強制的にこの国を背負っていくという運命を義務付けられていた。だからこそ、国を統べるその覚悟や方法を物心付く前からそれはもう徹底して叩き込まれてきたよね。でもその甲斐あって、前王が崩御された時には悲しんだかもしれないけど次期国王としての不安や抵抗を感じなかった。そうでしょ?」
「当然だ」
「それは良かった。でもね、サギリは違う。まして男の子だ。いくらウィルと添い遂げるって覚悟は出来たかもしれないけれど、それは王妃として民の上に立つ覚悟とは全然違うんだよ。承諾を得ていないにも関わらずこうやって騙し討ちみたいにサギリを王妃の座に据えようというなら・・・」
突如、アークライトを取り巻く温度が急激に下がる。言葉を切ったままアークライトはウィルフレッドに近づくと耳元に口を寄せて低く囁いた。
「・・・いくらウィルだって俺は許さないよ」
地を這うように低い声だ。
アークライトは一歩離れると真正面からウィルフレッドと視線を絡ませる。ただしアークライトがウィルフレッドに向ける視線はどこか殺気をも孕んでおり、先ほど紗霧に向けた柔らかさは微塵も感じられない。
しかしウィルフレッドはそんなアークライトに怯むことなく、ただ黙って己を睨みつけてくる視線を受け止めていた。
「あ、あの〜〜〜〜」
互いに無言で睨みあいを続けるウィルフレッドとアークライトに紗霧は恐る恐る声を掛ける。
あまりの空気の重さに紗霧は耐えられなかったのだ。頼むから余所でやってほしいと他人事のように思ってしまう。
「あぁ、ごめんね。本当、ウィルってば勝手だよね」
「は、はぁ」
振り返って紗霧を見たアークライトに先程までの剣呑さは無い。
ホッと安堵の表情を浮かべる紗霧にアークライトはフッと笑った。
「じゃぁ俺もそろそろ退散しようかな。ウィル、もう一度ちゃんとサギリの意思を確認するんだ。いいね?」
「わかっている」
そう念を押すとアークライトは紗霧とウィルフレッドを残して広間から出て行った。
update:2009/06/27