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 眼前に広がる光景が信じられず紗霧は何度も瞬きを繰り返す。
 だがそんな心情を見事に裏切るかのように、やはり視線の先には見間違うはずもない王座に君臨するウィルフレッドの姿があった。
 しかもその身を包む衣装は『王子』という王位継承者の身位に似つかわしく絢爛で、不思議なことに常日頃見なれた簡素な隊服などよりも遥かにウィルフレッドらしいとどこか遠い意識の中で納得する自分がいたことに紗霧は驚いた。

(・・・・・・えっと、もしかしてこれって何かのドッキリイベントだったりするの・・・かなぁ・・・?)

 そうであってほしいと軽く眼を細めて現実逃避をしてみたが、この緊迫した場において当然そのようなことがある筈もない。
 実際に眼の前の状況は何も変わることなく紗霧にこれが現実であることを嫌という程知らしめる。
 ギュッと眼を閉じて軽く頭を振り、視線を再び王座に向けた。そこで構えるウィルフレッドの姿は堂々たるもので、人の眼を惹きつけて止まないその雰囲気と相俟って真の王者の貫録というのを紗霧は思い知る。
 そんな姿に熱い溜息が出ると同時に、途端に言い知れぬ不安が紗霧を襲う。
 そこに在るのは確かにウィルフレッドだった。しかしそれは姿形だけのもので、もしや中身は全くの別人なのかもしれないという錯覚に陥ってしまう。
 何故なら常に紗霧に向けられていた優しげな微笑は影も形もそこにはなく、あるのは氷の様に冷めた表情だったからだ。
 それでも紗霧は何かを求めるようにじぃっとウィルフレッドを見続ける。それこそ穴が開きそうなくらい凝視していると、突然交わったウィルフレッドの眼差しがフッと和らいだ。

(あっ・・・)

 見間違いだったかと思わずにはいられないほどの一瞬の出来事。だが紗霧は見逃さなかった。ウィルフレッドの瞳に湛えられたその深い色合いを。
 しかし再びウィルフレッドの表情は厳しいものへと変わってしまう。それでも紗霧にとってはそのほんの僅かな時間で十分だった。
 初めて眼にするウィルフレッドの姿に戸惑いを覚えていたが、やはり『ウィルはウィルなのだ』と、頭ではなくほんわりと暖かくなった心が理解する。理解すると同時に、瞼の裏にある日のウィルフレッドの姿が浮び上がった。
 そう、『何が起きても信じて欲しいと、決して裏切らない』と真摯に願い、誓ってくれたウィルフレッドが。
 ならば紗霧はただ信じればいい。
 傍に在ることを約束し、未来を共に歩むと誓った愛する人を。

「―――まずはお前達を騙した形となってすまなかったと言っておく」

 漸く上がったウィルフレッドの第一声に候補者達は我に返ると、目の前の出来事に動転しながらも慌てて居住いを正す。
 それは流石というべきか。どんなに混乱した状況においても、その動作は自然で優美なものだった。紗霧が身に付けた一朝一夕のものとは年季が違う。
 素直に感心しているとウィルフレッドが再び口を開いた。

「改めて名を名乗ろう。この私こそ、第一王位継承権を有するウィルフレッド・コーウェン・デルフィングである」

 そんな、と候補者の一人から声が漏れる。
 王座に君臨するウィルフレッドを見て薄々とその正体に気付いていただろう。だからといって素直に納得することが出来るかどうかはまた別問題である。
 紗霧もやっぱり、と納得する一方で、どうして、という疑問が尽きない。

「・・・許可なく発言することをお許しください、王子。それではわたくし共がこの一月の間、ご一緒させていただいた・・・その背後に佇んでいらっしゃる御方は一体何者なのでしょう」

 眼の端をキリリと吊り上げ、キッとウィルフレッドの背後の人物を睨みつけたのはローデン家のイリス。口調は冷静だが、燃えるような瞳はイリスの胸中を雄弁に語っている。
 その言葉に他の候補者達も頷いた。イリスの発言は正に2人の言葉を代弁するもので、真実をと彼女等の瞳が訴える。

「いいだろう、発言を許す。――――アークライト」

 ウィルフレッドの背後で佇んでいたアークライトは一つ頷くと一歩前へと進み出る。そして右手を胸に当てると流れるような優雅な仕草で拝礼した。

「私は王子直属の親衛隊隊長、アークライト・ウィン・ウェイナーでございます。以後お見知りおきを」

 にっこりと笑みを浮かべたアークライトの正体にイリス達の瞳が大きく見開かれる。そしてまた、紗霧もイリス達とは違った意味で驚きを隠せなかった。
 親衛隊『隊長』、それはこの一ヶ月もの間、紗霧が修練場に通っても一度たりとも姿を見かけることが出来なかった人物だ。会うことが叶ったら密かに手合わせを願い出ようと思い待ち構えていたものだったが、結局最後まで会うことが叶わなかった。
 今となってはそれも納得が出来る。当然『隊長』として紗霧の前に現れることが出来るはずもない。隊長自ら『王子』を演じていたのであれば。

「っ!―――・・・彼が本物の王子でないことは分かりました。ですが納得はいきませんわ!王子、何故わたくし達を謀ったのですか!?理由をお聞かせ下さい!」

 ざわり、と広間が騒然となる。
 紗霧達の背後で事の成り行きを静かに見守っていた者達がイリスの発言に対して突如怒りを表したのだ。
 それもその筈。例え騙されたのはイリス達妃候補者であっても彼女は所詮ただの一貴族にしかすぎず、王族に対する発言としてはあまりにも無礼極まりなかった。この場で切り捨てられても当然としかいいようがないのである。
 だが、ウィルフレッドは周囲を一瞥しただけで彼等を黙らせた。

「理由、か。簡単な事だ。私はお前達がこの国の王妃足る人物かどうか見極めたかった。民にとっての標足る人物になり得るかどうか知りたかった。だがそれも『王子』という身分でお前達の前に出れば真に見極めることは難しいだろう。欲を持った人間という者はその本質を驚くほど上手く隠す。上辺をつくろうことなど造作もない。そのことを誰よりも理解しているのはこの私だからな」

 クッと口角が上がる。
 自嘲するような薄笑いに紗霧はギュッと強く胸を締め付けられるような痛みを覚えた。

「そして私の思惑通り、お前達は色々と暗躍してくれた。常に『王子』の傍らで政務を執り行う私を片腕と見なしたのか愚かにも買収しようと図ったな。それどころか一筋縄でいかぬと知るや否や誘惑する者まで現れる始末。決して覚えが無いとは言わせない」

 スッと鋭く眼を細めたウィルフレッドの視線に耐えきれず、一歩下がったイリス達の口からはヒィっと小さな悲鳴が漏れる。
 だが同時に、紗霧の眼もスッと鋭く細められた。

(・・・・・・・・・ちょっと待て。今、『誘惑』・・・とか言わなかったか?)

 決して聞き間違いなどではないだろう。確かにウィルフレッドは言った。候補者達の誰かに『誘惑』されたと。
 途端に紗霧の額には幾つもの青筋が浮び上る。

(何、それ。・・・・・・・・ウィル?俺はそんな事、一言も聞いてないよ?)

 ギロリと王座のウィルフレッドを睨み上げる。
 今すぐにでもウィルフレッドの胸倉を掴み上げ、一体どういうことなのかと問い詰めたい衝動に駆られたが紗霧はどうにか耐えた。
 それでも込み上げてくる怒りを抑える為に小刻みに震える拳をグッと握り締める。

(俺が色々グルグルと悩んでいる時にウィルってばそんな羨ましいことされてたんだー。ふーん、そっかー)

「だがそんな中でも私は見つけることが出来た」

 ウィルフレッドの口上は続く。けれどウィルフレッド以外の存在を意識の底からすっかり切り離してしまった紗霧の耳には一切届くことが無かった。

(そりゃ、さ。ウィルが格好いいってのは知ってるし、それにその頃の俺ってまだウィルに対する気持ちを整理出来てなかった時だろうけど・・・。けどな、それとこれとは別問題なんだよね)

「どれ程までに窮地に立とうが他者を思いやる心を忘れぬ者を」

(ふ、ふふふふふふ・・・・・・・ウィル覚えていろよ・・・)

「そして誰にも屈する事のない気高い意志を持つ者を」

(後できっっっちり白状させてやるっ!!)

 そう強く決意すると握り締めた右拳を左側の掌に強く打ち付ければ、パシッと乾いた音が一瞬静まり返った広間に大きく響き渡る。

(ん?)

 不意に視線を感じて顔を上げれば、何故か広場に居た人々の視線が一斉に紗霧へと集中していた。

「え?えぇ??」

 先程まで感じていた怒りが驚きの余り一気にどこかへ吹き飛んでしまう。
 一体何事だろうか。まさか不穏なことを考えていたことが周囲に伝わってしまったのかと焦るが、何故か彼等が一様に暖かい眼差しで紗霧を見つめるものだからその考えが杞憂なのだと悟る。
 ならばどうしたものかとキョロキョロと忙しなく辺りを見渡せば、厳かに立ち上がったウィルフレッドに右手を差し出された。

「えっと・・・何?」

 この手を取れということなのだろうか。
 ウィルフレッドは紗霧に向って手を伸ばすだけで何も言ってはくれない。ただ紗霧に向けて優しく微笑みを浮かべるだけだった。
 紗霧は首を傾げながらも仕方なくウィルフレッドの方へと歩を進める。衆目を集める中でウィルフレッドの元へと行くのは勇気のいることだったが、きっと紗霧が動かなければ何時まで経ってもこの状況が変わるとは思えなかった。
 諦めにも似た思いで恐る恐る王座へと続く階段を上ると、そこで待ち受けていたウィルフレッドの手にそっと自分の右手を乗せる。

「ウィル・・・」

「大丈夫だ。何も心配することはない」

 紗霧の不安を取り除くかのように、ウィルフレッドは口元に浮かべていた笑みを更に深くした。
 そして紗霧の手の甲に口付けを落とすと、正面へと向き直る。

「私はこの場を持って宣誓しよう!デルフィング国第69代次期国王ウィルフレッド・コーウェン・デルフィングの妻と定めたる者はこの者であることを!!」

 大きな歓喜が広間に湧きあがった。
 だがそんな歓声も紗霧の耳には一切届いていない。ただただポカンとした表情でウィルフレッドの顔を見上げた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」

 紗霧の間の抜けた声は、誰の耳に届くことなく湧きあがった大音声に掻き消されていった。









                                            update:2009/06/23






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