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 紗霧の視線を正面から受け止めるウィルフレッドの表情は怖いくらい真剣だった。それは思わず顔を背けてしまうくらいのもので、紗霧が耐えきれずに膝の上に視線を落せば、そこには自分の手を握り締めたままのウィルフルレッドの手が眼に映る。
 暖かく、大きな手だ。思い返せばこの手には何度も何度も助けられた。手を取られ、何時も優しく導いてくれた。
 そう、この手と同様にウィルフレッドは決して紗霧を傷付けることはないのだ。恐怖心など紗霧の錯覚でしかない。
 自身の心に嘘を付きたくない、ウィルフレッドの言葉に何故か動揺を隠せずにはいられない自分を紗霧は知らなければならなかった。
 勇気を振りだして顔を上げる。澄み切った緑色の瞳と再び視線が絡んだ。
 すると途端に心臓は早鐘のように打ち、呼吸が乱れてくる。瞳には理由もつかない涙が薄っすらと滲んできた。
 紗霧は震える指先でドレスの胸辺りを握り締める。一体この身に何が起きているのか解らなかった。

(・・・・・・俺は心に嘘を付いているとでもいうのか?)

 ズキンと心臓がまた締め付けられる。やはり自分では何も分からなかった。

「・・・ウィル、心に嘘を付きたくない、そう言ったよね。俺も・・・自分の心に嘘を付きたくない。でも自分の心が分からない。だから聞かせてほしい、何で俺のことを好きになったのか。そうすればこの気持がどういうものなのか答えを出せる・・・と思う」

 紗霧は下唇を噛みしめた。
 正直にいえばこのまま逃げ出してしまいたかった。ウィルフレッドの言葉を聞いてしまえば何かが変わるかもしれない。今の自分ではいられないかもしれない。
 だがそれは逃避だ。
 このまま自分の心に向き合うことを恐れてしまっては前には進めないということを紗霧は理解していた。紗霧の性格上、それを解っていながら逃げることなど決して出来なかった。

「そうか・・・そう、だな。我ながら間抜けだとは思うが、確信したのはサギリに初めて想いを告げた時だった。・・・あの時、私はサギリに怪我させてしまったな」

 すまなかった、とウィルフレッドは改めて謝罪の言葉を口にする。
 慌てたのは紗霧だ。何かに耐えるように眉根を絞ったウィルフレッドの表情は本当に辛そうだった。

「だからあれは誰の所為でもないって―――!」

「違うのだ、サギリ。夜の城下町は危険だということを私は知っている。だがそれがどういう結果に繋がるか理解していなかったのだ。楽観視していたといってよい。そしてその浅はかな考えがサギリに怪我をさせるという事態を招いてしまった。・・・とても後悔したよ」

「それでもやっぱりあれはウィルの所為じゃない。あの時の俺は自ら考えて行動した。あいつ等の前で自分の力を過信してしまった。その結果として怪我を負った。それは誰の責任でもなく俺自身が反省しなければならないことだ」

「・・・やはりサギリは優しいな」

「だぁ〜〜もうっ!違うのに!!」

 嬉しそうに眼を細めたウィルフレッドに紗霧は思わず頭を抱えた。ウィルフレッドの所為ではないと何度も言っているにも関わらず、それでも理解してくれないウィルフレッドの頑固さに紗霧は頭を掻き毟りたくなる衝動を何とか抑えた。
 どうしたものかと唸る紗霧をジッと見つめていたウィルフレッドはフッと笑みを浮かべる。

「そう、私はサギリのその優しさに魅かれたのだ。それだけではない。揺るぎない信念、他者を思いやる心。そして何事も恐れず立ち向かう勇気。その全てが私を魅了した」

 不意打ちのような褒め言葉の連続に紗霧の顔がカァと一瞬にして朱に染まる。

「っっっっつ!!??ででででで、でも!!多分それは俺を女の子だと思っていた時だよね!?でも見ての通り・・・っていっても今は女装しているけど、それでも中身は男だ!それを知ってもウィルの気持に変化がなかったとでもいうの!?」

「ない。それだけは断言出来る」

「・・・そ、そうなんだ」

「あぁ。私が魅かれたのはサギリが女性だからではない。サギリとの会話、そして共にした行動。その全てを通して私はサギリという人物を知った。それなのに何故サギリが女性ではなかったからといって気持が遠ざかるのだ。私は上辺だけの判断でサギリに愛していると伝えたわけではない」

 正常に戻りつつあった紗霧の心臓が再び激しく鼓動する。
 これ以上ないくらい真剣な表情で紗霧はウィルフレッドに見据えられた。だが今度は顔を背けたりなどしない。ウィルフレッドがどれだけ紗霧を想ってくれているのか知ってしまった今となっては。

「そう、それに・・・私の立場は簡単に愛を囁けるほど軽くはないのだ」

「へ?」

「いや、こちらの話だ」

 何でもない、と首を横に振るウィルフレッドに紗霧もこれ以上追及は出来なかった。それはどこか悲しげな表情にも見える。
 何がウィルフレッドを縛っているか紗霧には解らない。解らないが、それでもウィルフレッドを縛る枷を少しだけでも軽くすることが出来ないだろうかと思う。

(・・・あぁ、何だこんな単純なことなのか)

 その時、紗霧は唐突に理解した。
 誰よりもウィルフレッドと共に在りたい気持ち。支えたい気持ち。友情とはまた違う胸が締め付けられるようなこの想い。
 抱きしめられた時など、実は心のどこかで嬉しかった。力強い腕に守られているような気がして全身の力を抜くことが出来た。支えてもらう喜びを感じていた。
 でもこの手は誰にでも差し伸べられるものかもしれない。そう思うと紗霧が気付かないまでもその心には少しずつ、だが確実に影を落としていった。
 ウィルフレッドの優しさを享受できるのは自分だけでいいと思ってしまう傲慢さ。自分だけを見て欲しいと思う強欲さ。
 紗霧はもう認めなければならなかった。
 ウィルフレッドが紗霧を愛してくれているように、自分もウィルフレッドのことを愛しているということを。
 自分の心に素直になればこれまで見えてこなかったことも見えてくる。そう、ウィルフレッドが言うように、会話そして共にした行動の全てに置いて紗霧はウィルフレッドに惹かれていた。
 きっと最初は対抗心。それからもっとウィルフレッドのことが知りたくなった好奇心。それに友情も。最初の出会いが最悪で、でも次に会った時には剣を交えてウィルフレッドという人物を理解した。そして常に紗霧を気遣ってくれる優しさに触れた。暖かかった。

「あはは、俺って馬鹿だな。こんな簡単なことだったのに」

 無意識に嵌めていた心の枷が取れればこんなにも楽なことだった。

「ウィル、俺もウィルのことが好きだ」

「!?・・・今、何と・・・?それは・・・本当、なのか?」

「うん。今まで待たせてごめん」

「そんなことはいい!それより先ほどの言葉を・・・もう一度聞かせてほしい」

「俺はウィルを愛している」

「っサギリ!!」

「ほわぁ!?―――ちょ、ウィル!く、苦しい〜〜〜!!」

 骨が軋むほど強く抱き締められた。あまりの馬鹿力に息が出来ない。紗霧は涙目になりながらもウィルフレッドの背中をバシバシと叩くが、それでもウィルフレッドの力は弱まることなくとうとう紗霧の気が遠くなりかけたその時になってやっとウィルフレッドの腕が解かれた。
 どうにか肺に酸素を供給出来た紗霧はぜぃぜぃと肩で息をする。眦に涙を溜め、一言文句を言ってやろうかと恨みがましくウィルフレッドを睨み上げるが、ウィルフレッドのこれまで見たことのない満面の笑みに紗霧はそのまま言葉を飲み込んだ。

(・・・・・・ずるい。これじゃ、文句も言えないよ)

 紗霧は悔しげに唇を尖らせるが、その頬はほんのりと紅く染まっている。
 これは俗にいう惚れた弱みってやつかな?と、考えていた紗霧の前で突然ウィルフレッドが立ち上がったかと思えばすぐさま膝を折った。

「う、ウィル?」

「―――サギリ、これから何が起ころうとも私を信じてほしい。決してサギリを裏切らないと誓う。だから約束してほしい。これからも私と共に在ることを」

 ウィルフレッドの真摯なまでの表情。
 これは約束という名の強い願い。
 簡単に頷けるものではない。だが紗霧はその想いに答えるため、ウィルフレッドと同等の強い意思でもって頷いた。

「うん、ウィルを信じる。そして俺も約束する。俺はずっとウィルの傍に居るよ。もう家に帰れなくてもいい。もちろんそれは寂しいけど、ウィルの傍ならきっと悲しくないから」

「・・・有難う」

 ウィルフレッドは紗霧の手を恭しく取ると、その甲に口付けを落とした。

「私はここに誓約しよう。これから先、私の命を賭してでも全てのものからサギリを守ることを」

「何か大げさだな〜。いいよ、自分の身は自分で守る。だって俺、男だし」

「そうだな。では、これからもサギリを支えていきたい。どうだ?」

「あはは、それなら文句無しだね。じゃあ俺も。―――まだ俺では頼りないと思うけど、これからもっと強くなる。心も身体もね。強くなってウィルを支えていきたい。だから俺を頼っていいよ」

「大いに期待している」

「ウィル、好きだよ」

「あぁサギリ。私も愛している」

 唇に下りてくる熱を紗霧は真摯に受けとめた。
 ウィルフレッドの強い想いが伝わってくる。だがそれは最早一方的なものではない。
 紗霧もウィルフレッドに想いを返すように口付けを深くした。









                                            update:2008/10/31






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