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「いいいいいい、今!何て!?」

 紗霧は動揺を隠せなかった。
 それもその筈。眼覚めてみれば見覚えのない部屋で寝かされていた上に、何時から傍にいたのか分からないがウィルフレッドの姿。そして常に離さなかった鬘が消え、ウィルフレッドが『サギリ』という名を口にしている。
 未だ完全に目覚めていない紗霧の頭では到底処理出来ない事柄の数々に思わず意識が遠退きかけたが、ハッと一つ思い当った事実に紗霧は納得したとばかりにポンと手を打った。

「そっか。俺、まだ寝ぼけているんだよな。あ〜びっくりした。うんうん、それは有り得ないって。何だよ、驚いて損し―――」

「サギリ?」

「へぁう!?」

 寝台の上で紗霧の身体が僅かに飛び上がった。
 やはり聞き違いではなかったようだ。紗霧はそれを今、はっきりと自分の耳で聞いた。確かにウィルフレッドは『シュリア』ではなく『サギリ』と呼んだのを。

「う、ウィル?」

「ん?」

 震える声でウィルフレッドを見返せば、微笑みながら紗霧の顔を覗くようにして首を傾げている。そんなウィルフレッドの姿に紗霧は狼狽した。
 何故、お風呂の時以外に外すことのなかった鬘がないんだとか。どうして『シュリア』ではないと知って何時もと変わらない態度で接してくれるのかとか、紗霧はウィルフレッドに聞きたいことが色々とあった。
 それでもやはり先に聞きたかったことは他でもない。

「ちょ、何で!?どうしてウィルが俺の名前っ・・・!」

「何故、と?初めて出会った時にサギリが自ら名乗ったではないか」

「そ、そうだっけ・・・?」

 あっさりと答えを返され、そういえば、と紗霧が思考を巡らせれば確かに思い当たるような出来事はあった。
 だがあの時は一瞬の出来事で、ウィルフレッドとて紗霧がうっかり口走ってしまったその名を後に追及することはなかったのだ。それなのに何故今になって、と紗霧の疑問は尽きない。

「・・・な、なら、俺が『シュリア』の身代わりだってことは・・・」

 紗霧の手が小刻みに震えだした。心臓の音が異常なほど大きく聞こえてくる。
 大きな不安を抱きつつ、紗霧は緊張の面持ちでウィルフレッドの言葉を待った。

「知っている。そうしなければならなった理由は侍女から聞いた」

「王子も・・・俺のこと」

「無論承知だ」

「っ!?」

 最悪だ、と紗霧は口の中で呟いた。
 知らぬ間に紗霧にとって何が何でも避けなければならない、絶対有り得てはならない状況が出来上がっている。
 『王子』に真実が露見したのであれば紗霧だけではなく、紗霧の計画に手を貸したグレイス達も辿らなければならない道は最早『極刑』でしかないのだ。
 紗霧自身、露見してしまった時の覚悟は始めから出来ていた。
 自分が言い出した計画だからこそ、待ち受ける結果がどうなろうと真摯に受け止めることは出来る。その残された道が例え死罪だとしても。
 だが大恩人であるグレイス達だけは巻き込みたくなかった。それだけは紗霧にとって決して許せることではなかった。

(そんな、どうしよう!俺はどうなってもいいっ。でもグレイスさん達だけは!)

 焦れば焦るほど紗霧の思考は纏まらない。この状況をどうにか打開しなければと思うほどに気だけがせって紗霧を追い立てる。
 その時、ふとグレイスの言葉が紗霧の頭を過った。

『だが一つ約束して欲しい』

 記憶の中に、何時になく真剣な表情のグレイスが居た。

『もし君がシュリアではないと露見した場合、何があっても真っ先に逃げなさい。間違っても私達の事を庇うなんて事は考えるのではないよ』

 紗霧はそのグレイスの言葉にふるふると頭を振る。
 確か紗霧が『シュリア』の身代わりを買って出た時だ。グレイスのこれまで聞いたことのなかった固い声は紗霧の計画がどれだけの危険を伴うかを顕著に現わしていたといっていい。
 それでもグレイスは紗霧の意を酌んでくれた。そしてこの身を誰よりも案じてくれた。
 だからこそ真っ先に逃げるなんてそんなこと出来るはずがない。グレイス達の恩をこのような形で返すわけにはいかないのだ。
 ならば紗霧がやるべきことは一つ。

「・・・俺、行かなきゃ。行って話しを・・・」

 焦点の合わない眼でベッドから降りようとした紗霧はウィルフレッドの腕に止められる。

「どこへ行くつもりだ。まだ安静にしていなくては・・・」

「退いてウィル!!そんなことをしている場合じゃないんだ!俺は王子のとこへ行かなければっ。行って、これは全部俺が仕組んだってことを言わなきゃ―――!!」

「落ち着け、そう興奮するではない」

「俺は冷静だ!だって俺が偽物だって王子は知っているんだろ!?だったら俺にはやらなければならないことがある!グレイスさん達は何も関係ないんだって、ちゃんと王子に申し開きをしなきゃいけないんだ」

 紗霧は勢いのまま肩に置かれたウィルフレッドの手を払う。
 一瞬だけウィルフレッドの表情が悲しげに歪んだが、視線を扉へと向けていた紗霧は気付くことができなかった。

「・・・安心しろ。今度のことでサギリが心配することは何もない」

「・・・心配・・・ない?それ、どういうこと?」

 やがて落着きを取り戻した紗霧は、安心させるような表情を浮かべているウィルフレッドを呆然と見上げた。









                                            update:2008/8/16






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