――――55




「ウィル、ちょっといい?」

 アークライトは遠慮がちに扉を軽く叩くと声を掛け、寝室へと足を踏み入れた。
 入室したアークライトの視線は先ず寝台の傍らに座るウィルフレッドへ、そしてその上で眠る紗霧へと向けられる。

「・・・まだ苦しそうだね」

「あぁ・・・、だがこれでも昨夜よりは大分落ち着いている」

「・・・そう」

 アークライトは、可哀想にと呟くと柳眉を寄せた。
 かなり発熱しているのだろう。そこには荒い呼吸を繰り返す紗霧が横たわっていた。
 ヴェレスが起こした騒動から丸2日。
 あの場で意識を失った紗霧の瞳は閉じられたままだ。
 医師の診断だと紗霧の身体には特に異常はなく精神的な疲労によるものだと言うが、しかしながらアークライトは不安になる。
 このまま目覚めることはないのではないかと。
 だが紗霧の傍を一時も離れずに付き添うウィルフレッドによれば、時折意識は浮上し、うわ言を呟くと再び意識を失うということを繰り返しているようだ。
 アークライトは頬を朱に染めた紗霧をじっと見つめる。

(こんな小さな身体で君は・・・)

 アークライトの脳裏に、向けられた刃を恐れることなく毅然たる態度でヴェレスを庇い立てする紗霧の姿がフッと浮かんだ。
 譲ることのない意志を瞳に宿して見上げる紗霧はとても気高く美しかった。
 死をも覚悟し、それでも頑なに己の信念を貫こうとする者はあれほどまでの強い輝きを放つものだろうか。
 驚くべきことは、紗霧がアークライトより一回りも年の離れたまだ子供だということ。
 だが紗霧自身を知れば知るほど、『子供』という小さな概念に閉じ込めてしまうことが如何に下らないか思い知らされる。
 紗霧はアークライトが知り得る中で誰よりも己の信念に忠実であり、人の意に屈する事のない気概の持ち主だった。

「『ヴェレスと同じ運命を辿るまで』ね・・・」

 屈強な戦士とて無防備に刃の前に立てば恐怖に慄くのが当然だ。
 だが紗霧は違った。
 黒曜石のように黒く輝く瞳をまるで挑むように睨みつけ、それは決してアークライトから逸らされる事はなかったのだ。
 その瞳に強く惹きつけられてしまう自身をアークライトは諦めにも似た想いで感じていた。

「―――ウィル、この子はとても強い子だよ」

「そうだな。そして誰にでも等しく与えることが出来る優しさも持ち得ている」

「ふふ、これはかなり苦労しそうだね」

「それも本望だというものだ」

「あ〜〜〜〜・・・・・はいはい」

 もう十分だとばかりに溜息を吐いたアークライトは軽く手を振った。
 アークライトが紗霧を見つめる中でウィルフレッドは布で紗霧の身体の汗を拭うと、少しでも苦痛を取り除くかのように優しく何度も髪を梳く。
 そこには紗霧が就寝する時以外には決して外そうとしなかった鬘が取り払われ、紗霧本来の艶やかな黒髪があった。

 そう。ウィルフレッドとアークライトは紗霧の正体を知った。
 シュリアではないこと。
 名が『紗霧』であること。
 そして、全てはグレイスの為に起こした行動であることを。
 侍女のリルから事情を聞いた時、ウィルフレッドは一言だけ『そうか』と呟いたきり、この件に関してはアークライトにもこれ以上何も言わなかった。
 こうして今、甲斐甲斐しく紗霧の傍らに付き添うウィルフレッドは何を考えているのかアークライトには解らない。
 ウィルフレッドの心境を慮ることは出来ないが、あの時、寂しげに瞳を閉じた姿だけは鮮明に目に焼きついていた。

「そうだ、忘れるところだった」

 アークライトはこの部屋に来た目的を唐突に思い出すと、ほら、と持っていた厚さ2センチ程の書類を手渡した。
 ウィルフレッドはアークライトから受け取ると表紙をパラリと捲る。

「その内容を簡単に要約すると、今回ヴェレス嬢が起こした事件。どうやらヴェレス嬢単独の行動でレスター家は全くの無関係だとさ」

 どこまで信頼していいかは解らないけど、とアークライトは付け加える。
 アークライトがウィルフレッドに渡したのはヴェレスと同様に捕えた者達の自白調書だ。
 そこには、この度起こした暴挙は全てヴェレスの一存である、との供述がされていた。

「・・・切り捨てられたか」

「まぁ、そう考える方が妥当だよね」

 レスター家の長の命なく、その家に仕えている者を例え血の連なるヴェレスとて勝手に動かすことが出来ないのが周知されている事実であった。
 ならば考えられることは唯一つ。
 全てヴェレスの暴挙だとして、レスター一族は己が一族の保身を考え実の娘を切り捨てたのだ。
 皮肉にもこの非情さこそが、これまでレスター家を常に5大貴族の頂点へと君臨させ続けていたといっても過言ではない。
 だからといって、ウィルフレッドもアークライトもヴェレスに対して同情を寄せたりはしなかった。
 寧ろ、浅はかにもそんな短絡的な計略に乗ったヴェレスをアークライトは愚かだと考えている。
 だがヴェレスが一族から切り捨てられたと知った紗霧はどう想うのか。
 否、考えるまでもない。
 アークライトは紗霧を瞳で捉えて微笑した。

「この件に関しては引き続き調査を進めるよ・・・それよりもウィル。看病もいいけど少し休んだほうがいい。これじゃウィルの身体が持たないからね」

だがアークライトの心配を余所にウィルフレッドはゆるやかに頭を振った。

「眼が覚めた時、傍にいてやりたいからな」

「そう・・・。でも無理は禁物だよ」

「承知している」

「じゃ、これを」

アークライトはもう一つ抱えていた書類を手渡した。

「俺はウィルの分までやらなければならない政務があるから戻るけど、取り合えずこれだけは目を通して署名しておいて。後で人を寄越すから」

「あぁ」

 ウィルフレッドは受け取るとすぐさま書類に綴られた文字を目で追う。
 無理は禁物だというアークライトの忠告に『承知している』と返したウィルフレッドだが、本当に聞き入れてくれるかは甚だ疑問だ。
 だが紗霧の傍に付いてやりたいというウィルフレッドの想いを誰よりも理解することが出来るアークライトは、ウィルフレッドの様子にやれやれとばかりに溜息を吐くと静かに部屋を後にした。









                                            update:2007/8/12






inserted by FC2 system