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「ウィルっ!!」

 緊迫した空気が張り詰める中。
 ウィルフレッドによって破壊され、開け放たれた扉の外から上がったその声に紗霧を始めとする皆の意識が一斉に向けられる。
 だが突然の闖入者はそれらの多くの視線を一身に浴びながらも動じることなく室内へと荒々しく足を踏み入れ、そして己の視線を紗霧、ウィルフレッドへと素早く走らせた。

「・・・はぁ〜〜〜〜〜〜。良かった。まだ生きている」

 その先で二人の姿を見出した闖入者は深々と長い溜息を吐いた。どうやら紗霧とウィルフレッドの無事な姿を確認してホッと胸を撫で下ろしたようだ。
 部屋への闖入者は言わずと知れたアークライトその人である。その背後にはセオドアと数人の親衛隊の姿もあった。
 綺麗に後ろへと撫で付けていたアークライトの金の髪は汗の所為で解れて顔にかかり、肩はぜえぜえと荒い呼吸を繰り返している。その姿は、アークライトが此処に辿り着くまでに如何に必死だったかを物語っていた。当然、他の者も同様の有様だ。
 アークライトが安堵したのも束の間。息を整えるとすぐさまその表情を厳しいものへと変えて二人から視線を外し、そのまま流れるようにヴェレス、そしてヴェレスの手の者へと向けた。

「ヴェレス嬢、そしてヴェレス嬢に仕える者に告ぐ。このまま大人しく投降するならばそれで良し。もし抵抗するというのならば―――容赦なくこの場で切り捨てるよ」

 男達から視線を外すことなく、アークライトは腰に帯びていた剣の柄を握り締めるとスラリと抜き放つ。
 部屋の隅々まで静かに響き渡ったアークライトの言葉に、時の止まっていた室内が一気に騒めいた。だがそれは圧倒的にヴェレスの手の者が多い中、『この人数で何が出来るのだ』といった嘲笑などであり、男達は未だ己の優位性を確信していたのである。
 だがアークライトの次の言葉で男達は凍りつく。

「そうそう。俺達を切り捨てて逃げようたって無駄だよ。屋敷全体を取り囲むようにして部下を待機させたしね。・・・ふふふ、さぁお前達。どうする?」

 アークライトは艶然と笑んだ。
 まるで死へと誘うその笑みに男達は戦慄を覚え、この場は騒然となる。

「お、うじ・・・っ!?」

ヴェレスの唇が恐怖のあまり戦慄いた。先ほどまで興奮して赤く染まっていたヴェレスの頬は徐々に血の気が引き、今や紙の様に白い。

「ヴェレス・・・!?」

 紗霧の視線の先で、ふらっとヴェレスの身体が傾ぐ。膝の力を失ったのか、とうとう地に崩れ落ちた。
 ヴェレスは身体を小刻みに震わせ、その表情は絶望の色に染まる。先ほどまで身体の奥底から漲るような力に満ち溢れていたヴェレスと今の彼女とでは同一人物には到底見えるものではない。
 紗霧はヴェレスのそんな姿に心がギュっと絞られるように痛んだ。
 これまでヴェレスから受けた仕打ちを思い起こせば彼女に同情の余地はないだろう。紗霧は訳も解らず突然攫われ、危うく殺されかけたのだ。本来ならば激憤ものである。
 だが紗霧は、ヴェレスに対して今は何の憤りもない。寧ろ同情的である。
 やり方はかなり度を越えているが、このような愚行を犯してまでも譲れないものがヴェレスにはあったのだ。
 それが例え己の矜持を守る為だとはいえどもヴェレスを非難することは、彼女の心の奥底に眠っていた弱い部分に触れてしまった今の紗霧には出来なかった。

「・・・っ」

 紗霧はヴェレスから受けた酷い仕打ちを一先ず心の奥底に押し込め、何とかヴェレスを救おうとウィルフレッド、アークライトへと視線を投げかける。だが2対の瞳がヴェレスに向ける視線は冷ややかだ。
 その時、怒号と共に突然男達の一人がアークライトへと襲い掛かった。
 王子の妃候補者に手出ししてしまった以上、どのような理由があろうとも5大貴族のヴェレスでさえ最悪『死罪』である。そのような厳しい沙汰が下されるのに、男達は己らが問答無用で極刑に処される事を誰よりも理解していたのだった。
 だからこそ戦意喪失状態となったヴェレスを見切り、ならばと、『王子』であるアークライトを楯に取って何とか屋敷から突破する作戦へと瞬時に切り替えた男達は死に物狂いでアークライトに襲い掛かりはじめる。

「そう・・・、なら容赦はしないよ!!」

 己に向かって振り下ろされた剣をアークライトはいとも簡単に弾き返す。
 それを合図に、部屋の中は両者の間で戦場と化した。

「っ!?ウィル、駄目っ!!」

 紗霧の切実なる訴えがウィルフレッドに届く。

「解っている。―――誰一人と殺すことなく全員を生かして捕えろ!!」

 部屋中に金属音や悲鳴が響く中で、背後に動けずにいる紗霧を庇いながら応戦していたウィルフレッドはアークライト達に向かって怒号に近い命令を下した。

「ウィル!?何を言ってんだ!こいつらは!!」

「・・・・・・・・・・・・・」

「・・・っ!?あ〜、もう!―――解ったよ!!」

 ウィルフレッドの無言の視線を受け止めたアークライトは大きな溜息を一つ吐くと、狼狽する親衛隊の面々に向かって目配せをし頷いた。
 『解りました』と、頷き返すセオドア達の瞳は未だ戸惑いの色を見せるがアークライトは全て黙殺し、再び挑んできた敵の攻撃を軽やかに躱すと流れるように華麗に剣を振るっていく。
 敵味方となく見惚れるほどの見事な剣捌きをアークライトは披露するが、その意識は紗霧を敵の手から守るように剣を振るうウィルフレッドへと向けられていた。
 相手を殺すことなく、だが確実に急所寸前のところを切りつけていくウィルフレッドの凶悪なまでの眼差しと、口元に冷笑を浮かべながらも全身から発せられる殺気には味方であるはずのアークライトでさえ身が竦む。
 しかしそんなウィルフレッドの活躍によって戦況は刻々と変化し続け、最早ウィルフレッド側が勝利を手にするのは時間の問題だった。

(・・・終わる。良かった・・・)

 ウィルフレッドの背後で守られていた紗霧も又、戦いの幕が閉じかけるのを見守っていた。
 紗霧は安堵と共に深い溜息を吐くと、自然強張っていた力を抜く。その途端忘れていた足首の激痛を強く感じ、咄嗟に右足を押えて蹲った。

(―――っ!・・・痛い。そっか、忘れていた・・・)

 紗霧はくしゃりと表情を崩す。
 僅か数分前まで己に死が迫っていたのだ。死んでしまえば『痛み』などの感覚を当然覚える事もない。だがズキンズキンと足首から発する激痛は今正に紗霧が生きているという事実であり、この世に生を繋ぎとめることが出来たという証なのだ。
 じわじわと生きていることを実感する紗霧の瞳からは止まっていた涙が再び溢れ出し、頬を伝って静かに流れ落ちた。

(ウィル・・・)

 一度目蓋を閉じると紗霧は視線をウィルフレッドへ向けた。如何にも余裕で剣を振るうその背を紗霧はじっと見つめる。
 ウィルフレッドにはこれまでに己の危機を何度も救われた。小さな出来事から上げれば切りがないだろう。
 対等の立場で在りたいと思ったウィルフレッドの存在は、この度の出来事で何時の間にか紗霧にとって単にそれだけではなく、何か心に占める大きな存在であることを自覚させられた。
 だが紗霧は、未だその想いにつける名を知らない。

(!?そうだ!―――ヴェレス!!)

 ハッと紗霧は己の置かれた状況を思い出し、先ほど床に崩れ落ちたヴェレスの方へと顔を向ける。

「なっ!?」

 その瞬間、紗霧はビクッと身を震わせた。
 紗霧が驚いたのも無理はない。顔を横に向けた直ぐそこに、気配なくヴェレスが静かに佇んでいたのだ。

(う、嘘だろ!?何で!?気配が全く感じなかったぞ!?)

 青褪めた顔色に生気のない虚ろな瞳。まるで幽鬼の様なヴェレスの姿は今にもこの世から消えんばかりに儚く紗霧の傍らに在った。









                                            update:2007/3/19






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