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「何が可笑しい」
「とうとう正体を現したわねこの牝狐!!ふふふふ、やはり王子は貴方に騙されていたのよ!!そう、やはり王子は最後にわたくしを選ぶわ!!」
ヴェレスは今でも、王妃の座に相応しいのは誰よりも己だと自負している。だからこそ『王子に選ばれなかった』という、ヴェレスにとってはこれ以上ない程の屈辱的な敗北で己の自尊心が傷付けられたことを決して認めたくなかったのだ。だがヴェレスは確信した。
己に魅力が無かった訳ではない。
全ては紗霧が周囲を欺いていた所為だったのだ、と。
ヴェレスは嬉しさのあまり、腹の底から湧きあがる笑いを止めることは出来なかった。そしてとうとう腹部を手で押さえて僅かに前屈みとなる。
そんな何時までも笑い続けるヴェレスを見て、紗霧は脱力したかのように肩の力を抜くと溜息を吐いた。
「・・・・・・・・・どうしてもそこに辿り着くんだ・・・。そんなんじゃ何時まで経っても貴方は王子の好意を得る事はできないよ」
ヴェレスを見上げ、紗霧は哀れみの眼差しを向ける。
先程までグレイスを卑しめたヴェレスに猛烈な怒りを感じていた紗霧だが、勝ち誇ったかのように笑い転げるヴェレスを見ていると怒りの炎は次第に鎮火していった。
だが落ち着きを取り戻す紗霧とは正反対に、ヴェレスは己より劣るとしている紗霧に憐憫の眼差しを向けられてカッと熱くなる。
「貴方如きがわたくしを憐れむなど差し出がましいのよ!一体何様だと思っているのかしら!?―――もしや貴方!自分の方が王妃の座に相応しいとでもいうつもりなの!?」
「馬鹿馬鹿しい。俺は王妃の座になんて最初から興味ないよ」
「まぁ!!」
「なら聞くけど、貴方はこんな事を仕出かしてまで何で王妃になりたいんだ?王子の事が好きなのか?」
「・・・・・・・・・・とても可笑しなことを問うのね」
ヴェレスは眼を細めると鼻で笑った。
「そう?でも俺をどうにかしたいと考えてまで王妃になりたいんだろ?その理由を聞いても不思議じゃないと思うよ」
嘲り笑うヴェレスを見ても、今や紗霧の感情は揺れ動かない。紗霧は冷静にヴェレスを見据える。
紗霧が揶揄嘲弄するとした意味で問うた訳ではないことをヴェレスは解ったのだろうか。紗霧に真摯なまでの眼差しを向けられ、ヴェレスも心に思う事を素直に口にする。
「王子に好意を抱いているわ。当然でしょう?何といってもデルフィング国王家において、ただお一人の直系ですもの。それこそ国中の女性にとって王子は憧れの的ですわ。王子に選ばれる者こそ、この国で最も尊い女性となるのよ」
「それだけ?」
「それだけ、ですって?」
ぴくりとヴェレスの片眉が上がる。眼を逸らさず真っ直ぐ視線を向けてくる紗霧をヴェレスはまるで奇怪なものを見るかのようにマジマジと見つめ返した。
「貴方はどこまで愚かなのかしら。王妃となる、即ちデルフィング国において次位の権力を有し、王以外の誰もがその位の前に跪くのよ!これ以上の快感があるかしら!全てが思うままとなるのよ!」
事実、王以外にデルフィング国にて王妃より位の高い者は存在しない。王妃がその膝を折るのは王のみであるが、王以外は誰もが王妃に膝を折るのだ。
ヴェレスは王妃となって己の足元に一斉に平伏する者達の光景でも思い浮かべたのだろうか。眼を爛々と輝かせてうっとりとした表情を見せる。
「やっぱり王子は貴方を選ばないよ」
ヴェレスの様子をジッと見つめていた紗霧だが、首を緩やかに左右に振った。
恍惚として思い巡らせていたヴェレスは、紗霧の言葉によって先程までの高揚した気分はそのまま怒りとなって一気に爆発する。
「なんですって!?」
「王子は愚かじゃない。そんな自己満足を得る為に王妃になりたい女性を王子は決して伴侶としないよ」
「あら、随分と王子の事を理解していらっしゃるのね!」
「解るよ。正直王子は苦手だし、貴方ほど王子との交流はない。でも、それでも解る」
紗霧にはきっぱりと断言できるどこか確信めいたものがあった。以前ウィルフレッドに語ったように、尊敬の念を抱くグレイスが『王子』に対して全幅の信頼を置いていること。それに加えて紗霧自身が城に滞在するこの半月の間に『王子』について様々な事を耳にし、やはりグレイスが語ったとおり民の信頼に応える人物だと思ったのだ。
「王子の親衛隊の皆が色々と教えてくれた。どれだけ王子が素晴らしい方かをね」
「言うまでもないわ。あのお方の血こそ至高のもの!」
「・・・貴方にとってはそれが一番の魅力的かもしれない。でも俺は貴方の考え方には共感することが出来ない。知ってる?前王が崩御してから約二ヶ月余り。その間、王子は何もしてなかったわけじゃない。それこそ寝る間を惜しんで働いているよ」
紗霧達が城へ滞在する1ヵ月の間、てっきり『王子』は正妃候補者の相手ばかりをしていると思っていた紗霧だが、セオドアを始めとする親衛隊の皆が何故かこぞって『王子』について詳しく話を聞かせてくれたお蔭で関わりは断っても必然的に耳に入ってきた。また紗霧自身も興味があったこともあって、随分情報が紗霧の元へと届いたのである。
「王子は前王が臥せっていた時に無断で編成された使途不明な国家予算の洗い出しから始まって、己の私腹を肥やす為に領地の民を虐げる重臣等の配置換え、前王が崩御した今時分に揺れているこの国へ攻め入らんとする隣国との水面下での攻防、それに・・・・・・やっぱり貴方は王子が執る政務には興味無い?」
「っ!?」
紗霧の話を退屈そうに聞き流していたヴェレスは図星を指され唇を噛む。
ヴェレスを見据えるように真っ直ぐ注がれる紗霧の視線から、ヴェレスは思わず顔を逸らした。
「王子の魅力は高貴な血じゃない。まして権力じゃない。その手腕や采配、そして何といっても国をより良いものへと導かんとするその堅い意志とその理想。そして最も素晴らしいのは常に国民を思いやることを忘れないその想いだ」
「・・・さも己だけが王子を解っているような口振りを!!王妃の座に興味がない振りなどして、それはわたくしの刃から逃れたいがための虚言だったのね!?」
「あのな。さっきからいい加減に――」
「王妃の座はわたくしのもの!王子の傍に在るのもわたくしよ!決して貴方には渡さないわっ!!」
「・・・・・・・・・俺はそんなの少しも望んではいない」
ヴェレスの絞りだすような心からの叫び声を聞いて、初めて紗霧はヴェレスの心の奥底にある脆い部分を知った。
幼い頃から貴族としての教育を受け、何不自由なく成長したヴェレスにとってはきっと初めての挫折だったに違いない。己より他者が優遇される、それはヴェレスにとって許せる事ではないのだ。紗霧を亡き者にして、そしてようやくヴェレスは心の平穏を取り戻す事が出来るのだろう。
醜く顔を歪めて全身を震わせるヴェレスを紗霧は悲しげに見る。
何故そこまでして王妃の座に拘るのか紗霧は理解する事が出来ない。紗霧にとって地位よりも、共に在りたい者が『誰か』が重要であった。
「俺が共に在りたいと願うのは・・・」
ふっと脳裏に浮かび上がったのは、煌めく黄金の髪にデルフィング国でも珍しい緑の瞳。何時でもその口元に微笑を湛え、紗霧に温かい手を差し伸べてくれる人物であった。
update:2006/10/01