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「貴方、王子にどの様な手口で取り入ったの」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」


 紗霧は間抜けにもポカンと口を開けた。
 眼はこれ以上ないほど大きく見開かれ、その眼で踏ん反り返ったヴェレスを見上げる。
 被っていた猫が一気に剥がれ落ち素の紗霧が表れたが、頭の中は真っ白で表情などに気を配る余裕などは無い。
 ヴェレスを凝視したまま呆けてしまった紗霧に、ヴェレスは苛立ちながらも再度問う。


「惚けるおつもり?」

「え、と。惚けるもなにも・・・ヴェレス様が何を仰っているのか・・・」


 理解できません、と紗霧は頬を引き攣らせて答えた。
 手が自由であれば、ズキズキと痛み出した頭を押さえただろう。だが紗霧を戒める縄は先程から少しも緩むことなく、紗霧はクラクラと今にも倒れそうな身体を必死になって支えた。


(取り入るって・・・。何だよそれ・・・)


 紗霧には、ヴェレスがこれまで王子との接触をあからさまに避け続けた紗霧の行動のどこを見てどの様に解釈すれば『取り入る』なんて言葉が出るのか理解不能であった。
 紗霧にとって王子と懇意な間柄になればなるほど正体が露見してしまう恐れがあり、スパッと首が飛ぶ確率が高くなるのだ。
 それは洒落にならない、と紗霧は一人真剣に唸る。


「だって他に考えられませんわ。5大貴族の中でもグレイス家は下位。わたくしレスター家ならいざ知らず、王家にとってグレイス家は何の魅力もございませんもの。シュリア様を相手にするだけの時間が惜しいわ」


 グレイス家に魅力がないと馬鹿にされ紗霧はムッとした。
 だがヴェレスの言葉のとおり、実際にグレイス家には突出した魅力はない。
 しかし5大貴族の中でも常に頂点へと君臨するレスター家は何といってもその財力が魅力的だった。
 今や王家も蔑ろに出来ないほど莫大な財力は、これまで他国の侵略に備えるため軍事面に於いて国費を湯水の如く費やし、その為に傾きかけた国の財政を幾度となく救ってきたのである。


「貴方にも解るでしょう?このデルフィング国は周辺諸国にとって咽から手が出るほど欲して止まない国。だからこそ、いつ何時戦が起きても不思議ではないわ。ならばデルフィング国をより堅硬にしたければ王子は迷うことなくわたくしを王家の一員として向かい入れ、レスター家からの援助を受けようと考えるのがこれまでの定石」


 ヴェレスはレスター家がどれ程までに王国に影響を与えるかを十分すぎるほど理解している。それこそ幼い頃から誇りに思ってきたのだ。
 だがヴェレスは緩やかに首を振る。


「でも何故?王子はわたくしを気にかけるどころか見向きもせず貴方ばかりを構う。でも貴方は直ぐに王子の前に姿を現す事はなかったわね。・・・その時は安心したわ。これで王子はわたくしだけを見てくれると。きっとわたくしを選ぶと」


 眼は虚ろで声音には感情の起伏がない。だがそれが返って紗霧の背筋に悪寒を走らせた。


「・・・そしてその願いは脆くも崩れ去ったわ。王子はわたくしを見てくれるどころか、そんな貴方を益々気にかけた。どうしてかしら?」


 心底不思議そうにヴェレスは首を傾げると、凛とした姿勢を崩さず真っ直ぐ見上げる紗霧に問う。
 だが紗霧にはヴェレスの問いに答える事は出来なかった。


(・・・そんな事は俺の方が聞きたいよ!!避けても避けても何故か近づいて来るし!)


 紗霧は大声で叫びたいのを堪え、一言だけ「わかりませんわ」と答え俯いた。
 しかしヴェレスはフンと鼻で笑う。


「ならば答えは一つですわ。貴方、わたくし達の見えないところで王子に色目を使ったのね。その貧弱な身体で王子に迫り、ありとあらゆる手管でもって王子を虜にした。そう・・・、そうよ。それしか考えられませんわ!―――おぉ、何と汚らわしい!!」

「へ?・・・ちょ、ちょっと何を――!?」


 何故か紗霧の考えてもいなかったところにヴェレスの結論が行き着いたようだ。
 勝手に推測し、勝手に自己完結したヴェレスを冗談でも言っているのだろうかと紗霧は奇妙に顔を歪めマジマジとヴェレスを見る。


(・・・・・・うえぇええぇぇええ〜〜!!??なななな、何でそんな事を考えるんだ!?例え剣で脅されても、それだけは絶対に有り得ないよ!!!!!!!)


 それこそ身体の関係を持つなど紗霧にとって論外だ。一瞬、色気を振りまいて迫る己の姿を想像してしまい、紗霧は身体中にブワッと鳥肌を立てた。
 これ以上思考する事を放棄した紗霧はとうとう床に倒れ込み、『・・・有り得ない、有り得ない』とブツブツと口の中で何度も呟く。
 どうやら、崖っぷちまで追い詰められた者は時に突拍子もない思考に行き着く事を紗霧は身を持って学んだようだ。
 胸中で濁流の如く涙を流し、ぐったりと床に倒れた紗霧の様子にヴェレスは気付くことはなく扇を持つ手に力を込める。


「他の候補者がどんなに懸命に努力しようとも、身分・教養・品格・美貌でわたくしに優る者はいないわ。だからこそ真っ向から勝負を持ちかけられたとしても彼女達を打ち負かし、最後にわたくしが選ばれるという自信がありましたのに」


 ミシミシっとヴェレスの手に持つ扇は音を立てる。


「貴方のやり方は卑怯よ!!愚劣極まりないわ!!それが貴方の常套手段なの!?」


 これ以上ないほどまでに精神的に追い詰められていたヴェレスは一方的に紗霧を罵った。さらにヒステリックに叫び続けるヴェレスに対し、床に倒れた状態のままの紗霧は怒りを通り越して憐れみの視線を送る。
 それでも半狂乱で叫び続けたヴェレスだが、鬱憤を晴らすかのように紗霧を罵倒して満足したのか、ようやく冷静さを取り戻す。


「―――そう、もう一つ思い出したわ。・・・貴方、王子だけでは飽き足らず、王子の親衛隊にも取り入っていたわね。特に贔屓しているのは―――確かウィル、といったかしら。王子に見劣りしないほど見目の素晴らしい者だわ。彼と数多くの親衛隊の者に媚び、手玉にとるなんて一体どんな手腕かしら?彼等の篭絡振りをみても相当なものなのでしょうね。その手管、今後の参考のためにも是非教えて頂きたいものですわ」


 ヴェレスは高らかに笑った。
 そうして一思いに笑った後にチラリと紗霧の顔を見る。
 さぞ悔しげに顔を歪めているだろうと信じて疑わなかったヴェレスだが、そこにあったのは予想に反して恐ろしいまでに冷えきった表情をした顔であり、しかしその瞳には表情とは正反対に燃えるような炎を宿していた。


「・・・わたくしを卑下するだけならまだしも、ウィル、様や親衛隊の皆様まで愚弄するなんて許せませんわ」


 背後に白いオーラを醸し出し、紗霧はゆらりと上体を起こした。
 一瞬にして冷たく張り詰めた空気だが、ヴェレスは周囲の様子には全く気付かない。
 それどころか紗霧がヴェレスの思い描いた行動を取らなかったことに、ヴェレスの収まったはずの怒りが沸々と沸き起こってくる。


「貴方程度の者が、あくまでわたくしに逆らうというのね。・・・ふぅ。グレイス公爵は一体貴方にどのような教育をなさったのかしら。王子に色目を使うだけでなく下賎の者の肩を持ち、まるで高貴なわたくし達と同じ様に扱う」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「5大貴族としてのしての威厳も名誉も地に落ちたわ!!グレイス公爵はよくも平然と貴方をここへ送り込めたものね!同じ5大貴族としてその愚行にゾッとするわ!!グレイス公爵はわたくし達の誇りを汚した大罪人ね!!」


 嫌悪に顔を歪めたヴェレスは、両手を交差して腕を擦り、頻(しき)りに『おぞましい』と呟き続ける。
 何と言われようとも、それが真実でない事を誰よりも理解していたために耐えていた紗霧だが、とうとうブチっと血管が切れた。
 怒りでふるふると身体が小刻みに震えて止まらない。


「・・・今の言葉は聞き捨てならないな。即刻撤回しろ」


 『女性に対しては常に優しくあれ』と幼い頃から紗霧に語りかけてくれた父親の言葉が頭を掠めたが、そんなのは時と場合と相手次第だ。
 紗霧は眼光鋭くヴェレスを睨み上げ、腹の底から唸るように言葉を吐く。
 だが突然豹変した紗霧にヴェレスは怯む事はない。寧ろ紗霧の粗雑な言葉使いにヴェレスは『してやったり』とばかりに口角を上げると、狂ったように笑い出した。









                                            update:2006/9/20






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