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「いっ!?」


 突然背中から全身に走った衝撃で紗霧の意識は急激に覚醒した。
 床に力一杯叩きつけられた所為か、傷を負う掌と足首にも激痛が走る。


「か、はっ・・・っ」


 意識は覚醒したが混濁し、その上全身に走った激痛の所為で紗霧の身体は上手く酸素を取り入れる事が出来ずにいる。しかも心臓は驚くほどの速さで脈打ち今にも破裂しそうだ。
 紗霧は身体を震わせて激しい痛みに耐える。眼をぎゅっと閉じ、額にはうっすらと脂汗を滲ませた。


「く、そっ!!」


 小刻みながらも必死になって呼吸を繰り返す。
 すると荒かった呼吸も次第に落ち着き、心臓からは規則正しい音が聞こえてくる。
 身体に痺れが残るものの耐えられない痛みではない。紗霧は閉じていた眼をそっと開け、素早く周囲に視線を巡らせた。


「何が起こった、んだ?」


 蝋燭の僅かな灯りで浮び上がったのは紗霧の見知らぬ部屋。
 首を傾げ、紗霧は何か見覚えのあるものをとばかりに室内へと眼を凝らす。しかし辺りを探ろうにも部屋は薄暗く、全体を見通す事は叶わなかった。


「・・・どこだよ、此処?」


 紗霧は未だ痛みを訴える傷にこれ以上障らぬようゆっくりと身体を起こしたが、何故か途中で不自然に動きを止める。


「!?何これ!!」


 紗霧は己の手が縄の様なもので後ろ手に縛られている事に今更ながら気付いた。縄を解こうと試しに身体を捩るが、よほどしっかりと結ばれている所為か結び目はミリ単位も緩まない。
 カッと頭に血がのぼった紗霧は、横に倒れたままの体勢では力の半分も出し切れないとして辛うじて自由になる両足を使い器用に起き上がると再び縄と奮闘する。


(っつか、何で俺は縛られてるんだ!?あ〜・・・そういえば誰かに連れ去られたんだっけ。・・・って、冷静に分析している場合じゃない!!何で俺がこんな目に!!!!)

「ようやくお目覚めかしら。お久しぶりね、シュリア様」

「え?」


 何時の間に紗霧の側に在ったのだろう。縄に意識を集中させていた紗霧は、直ぐ側に立つ存在に声をかけられるまで気付く事が出来なかった。紗霧は反射的に声のかかった方へと顔を上げる。
 見覚えのある女性だ。
 そう、確か名はヴェレスといったか。
 ヴェレスは長い金髪を頭上高く結い上げると多種類の宝石で装飾し、一瞬で目が覚めるような深紅のドレスという出で立ちで紗霧の前に現れた。
 彼女も同じように連れ去られたのだろうか。
 だが、そう考えを巡らせたのも一瞬だ。紗霧の正面に立ったヴェレスは、その背後に数人の男性を従える。中には紗霧と部屋で一戦交えた二人も控えていた。
 一瞬にして紗霧は全てを悟る。悔しげに唇を噛み締めると、ヴェレスを通り越して二人を睨みつけた。


「まぁ・・・何て恐ろしげな顔をなさるのでしょう」


 その声で、紗霧は再びヴェレスに視線を向ける。
 するとヴェレスは隠すことなく嫌悪も露わに紗霧を見下ろしていた。


「・・・・・・」


 紗霧は無言でヴェレスに向けていた視線を外し、軽く目蓋を閉じる。そして優雅な仕種で姿勢を正すと、床に座り直した。
 両手は後ろ手に縛られているも、恐れることなく凛とした姿勢の紗霧にヴェレスは思わず息を呑む。
 だが直ぐにハッと気が付くと、己の失態を隠すかのように紗霧を睨んだ。
 ヴェレスの視線を痛いほど身に感じつつ、紗霧は一度深く息を吸い込むとゆっくりと吐く。
 そしてゆっくりと目蓋を開けた紗霧は、その顔に柔らかな笑みを浮かべた。


「・・・確かヴェレス様、でしたわよね。―――何故わたくしを拘束し、無理矢理この様な場所に連れてきたのか」


 一旦言葉を切った紗霧は視線だけを鋭くし、ヴェレスを見据える。


「―――わたくしに理解出来るよう是非ご説明をしていただきたいものですわ」


 そうして改めて辺りを見回すも、やはり紗霧には見覚えがなかった。
 部屋には一通りの家具は揃っているようだが、埃が被らない為にと家具には全て白い布地がかけられてある。床に眼をやると、そこは薄く白い埃が積もっていた。
 今度は窓の外へと眼をやるが、そこに見えるのは無駄に伸びた木々のみ。
 僅かな情報のみで紗霧は屋敷の位置を探ろうとしたが、どうやら無駄なようだ。紗霧は気付かれぬよう舌打ちし、視線をヴェレスに戻す。


「ふふふ。もちろんですとも。―――わたくし、貴方と一度お話をしてみたかったの」

「それではこの様な真似などせず、直接屋敷にいらっしゃってくださればお相手差し上げましたのに」


 この様な真似をして『お話』だけで済むはずも無い。
 それが解っているからこそ湧き上がる怒りを表情に出さないまでも、紗霧の言葉には険が含まれていた。
 基本的に女性には優しくあろうとする紗霧にとってそれは非常に珍しい事であり、いうなればそれほどまでにヴェレスに対して紗霧は怒りを覚えているといっても過言ではない。
 しかしヴェレスはそんな紗霧の静かな怒りに気付かず、己の優位な立場を見せつけるかのように紗霧を見下ろす。


「いいえ。シュリア様のお屋敷では無理ですわ。何故ならこの後すぐ、貴方には消えていただく予定ですもの」

「・・・とても物騒な事をおっしゃるのね」

「そうかしら。でも事実ですもの」


 紗霧は一瞬眉を顰め、何が楽しいのかころころと鈴を転がすように笑むヴェレスを見た。


「ではシュリア様、本題に入らせて頂きますわ。―――わたくし貴方に一つ質問がありましてよ」


 紗霧の身体に緊張が走る。
 それでも変わらず態度を崩さない紗霧だが、ヴェレスの『質問』という言葉に半ば混乱状態にあった。
 紗霧にとって、何が何でも隠し通さなければならない己が『偽者』という秘密。
 それがまさか露呈したのでは、と最悪の事態を想像しながらも何とか平静を装い言葉を返した。


「・・・どの様な質問でしょうか。わたくしにお答え出来る内容であれば、快くお答えしましょう」


 紗霧の背にじっとりとした汗が流れる。
 だが、ヴェレスは違った。
 負けずにっこりと微笑み返し、一向に怯える様子を見せずにいる紗霧の態度にヴェレスは顔を醜く歪める。


「・・・貴方、生意気ね」

「ヴェレス様に誉めていただけるなんて、とても光栄ですわ」


 紗霧は一瞬眼を大きく見開き、そして意外そうに眼を細め微笑んだ。
 その態度にカッと顔を赤らめたヴェレスは徐に紗霧に近づくと、足を横に添えて座っていた紗霧の怪我した足首に靴の踵を力一杯押し付けた。


「―――っ!」


 紗霧は脳天に突き抜けるほど身体に走った激痛に唸った。しかし悲鳴だけは上げてなるものかと紗霧は懸命に堪える。
 ここで少しでも叫んでしまえば何故かヴェレスに対して負けを認めた気がするという、それは半ば紗霧の意地だった。
 だが叫び声一つ洩らさない紗霧にヴェレスは益々苛立つ。
 ヴェレスは憎しみに顔を歪めて紗霧の足首に乗せた踵に更に体重をかけると、何度も執念深くグリグリと踏みつける。


「く・・・つ、っ!!」


 それでも紗霧は決して叫ばなかった。これ以上声を洩らさないようにと強く噛み締めた唇は切れて血が滲む。
 目の端に溜まった涙が紗霧の頬を伝って流れた。


「あまりわたくしに不愉快な思いばかりさせると、その分死期が早まりますわよ」


 苦悶に歪む紗霧の顔に満足したのか、ヴェレスは紗霧から離れる。勝ち誇ったようなヴェレスに言葉を返す気力は紗霧には残ってはいなかった。
 だが返ってそれが良かったのかもしれない。
 内心怒りで頭に血がのぼっていた紗霧だが、痛みが薄れていくと同時に少しずつ冷静さを取り戻していった。


(俺の馬鹿・・・。相手を挑発してどうする)


 囚われの身となった己を相手はこの後『消えてもらう』と言っていたではないか。
 肩で息する紗霧は、ぐったりと力無く身体を床に倒した。
 その視線は空を彷徨う。


(・・・屋敷では俺が居なくなった事にリルは気付いたはず。部屋もめちゃめちゃに破壊されちゃったし、緊急事態だと察してくれるよな)


 でも、またリルに心配かけてしまったと、紗霧は胸中で何度目になるか数えきれなくなった謝罪をする。


(ならば俺に出来る事は―――助けが来るまでの時間を少しでも稼ぐこと)


 再び瞳に光を取り戻した紗霧は力を振り絞って身体を起こす。
 緩慢な動作で起き上がる紗霧に、何事も無かった様に待っていたヴェレスが言葉を放った。


「ではお尋ねしますわ。―――貴方」


 例え己の正体が露呈したからといっても、決してヴェレスにだけは屈しないと紗霧は強く決意し、ヴェレスを見据える。
 そして次に放たれるであろうヴェレスの言葉を紗霧は固唾を呑んで待った。









                                            update:2006/9/04






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