――――41




「や、やっと着いた」


 目的地である修練場の眼前で馬は歩行を緩めると、ゆっくりと建物へと近づいて行く。
 馬の背で大人しく揺られていた紗霧は、小さく呟いた声音に隠すことなく疲労感を漂わせ、『いい加減離せ』とばかりに己をしっかり抱き締めるアークライトとは逆の方へと体重を移動させた。
 だがアークライトはそんな紗霧の行動を予測していたのだろう。離れようと身体を引いた紗霧の腰にすぐさま右手を回すと、力を込めてグイっと再び己の方へと引き寄せる。
 アークライトは力を加減して紗霧を軽く引き寄せたつもりだったのだが、紗霧の体重はアークライトが思ったよりは軽かったようで引き寄せられた勢いのまま再び紗霧はアークライトの胸の中へと抱き締められる形となった。


「なっ!?」

「おや?軽いね」


 目を見開いて驚く様子を見せるアークライトとは逆に、紗霧の眦はキリリと吊り上がった。
 抱き寄せられたアークライトの腕の中から紗霧は慌てて身体を離そうと背を逸らすが、その腰には未だアークライトの腕がしっかりと回っておりその試みは失敗に終わる。


(――コイツ、ふざけるのも大概にしろよ!!)


 目に力を入れ睨むようにアークライトを見上げた紗霧だが、アークライトは紗霧の鋭い視線をさらりと笑顔で軽く流すと。


「まだ馬は歩行中だから危ないよ」


 そう言って、これは飽く迄紗霧の為なのだとアークライトは親切めいた台詞を口にする。
 紗霧の額にピシッと一瞬にして青筋が浮かんだ。


「だからって―――」


 『密着する必要はあるのか?』と、頬を引き攣らせながら紗霧は次の言葉をグッと呑む。
 アークライトは紗霧の落馬の可能性を危惧してとの事だろうが、今の馬の足並みだと危険度はかなり低い。これならばアークライトの支えはなくとも紗霧の優れた平衡感覚ならば落馬という事態とは無縁である。
 常の紗霧なら言葉を呑むことはせずに自分の意見をそう強く主張するのだが、少なからずアークライトと時間を共有した中で、その人当たりの良さそうな外見とは異なり実は一筋縄ではいかない図太い性格だという事を紗霧は身を持って教えられた。
 そんなアークライトに何を言っても徒労となるだけだと理解している紗霧は、心中で悪態を吐くに留める。


(はぁ・・・、俺って意外と繊細なんだよな。その内に胃に穴が空くかも)


 こっそりと紗霧は溜息を洩らすが、アークライトの事を図太いという紗霧も似たようなものであり、それこそ紗霧の杞憂でしかない事に本人は気付いてない。
 ちなみに真っ先にそのような事態になるのは、ウィルフレッドとアークライトに常日頃振り回され、最近では紗霧の予想もつかない行動に頭を抱えているセオドアであり、次いでそんな紗霧の傍で世話しているリルだといえるだろう。
 心中で呟く紗霧の言葉に誰一人示唆する者はなく、アークライトの腕の中で紗霧は一人、しきりに頷いていた。




***




 修練場の中へと馬を進めたアークライトはキョロキョロと周囲へ視線を投げる。しかしアークライトの目的とする人物の姿は見当たらない。
 アークライトが視線を投げた先には照り輝く太陽の下で額から汗を流し、1小隊の兵士達が互いに声を掛け合って必死に鍛錬する姿のみである。
 その姿に感心しつつ兵士達から視線を外し周囲の様子を探るが、やはりこの場にはウィルフレッドの姿形はなかった。


「う〜〜ん、何処に居るんだ?」


 ここに居るだろうと当たりを付けていたアークライトは、ウィルフレッドを見つけ出す事が出来ずに肩透かしを食らうことになる。
 おかしいな、と首を捻り軽く修練場の周囲を馬で駆けたアークライトだが、やはりウィルフレッドの姿はない。
 馬の手綱を引き寄せ減速させたアークライトは、広場で黙々と剣を振り下ろし鍛錬に励む兵達に近づいた。


「君、ちょっといいかな」

「はい?―――えぇえぇええ!!??」


 声をかけられた兵は振り上げていた剣を下ろすと声のかかった方へと顔を巡らせる。そして声をかけた人物であるアークライトと、その腕の中に収まっている紗霧を認識した瞬間、驚きに口をポカンと開け何度も目を瞬かせた。予想外の二人の組み合わせに、我が目を疑ったのだ。
 その叫びに、他の兵達も手を止めて紗霧達に視線を向ける。そして同様にアークライトと紗霧の姿を目に留めて間抜けにもポカンと口を開いた。

 だがその中で動じない者が一人。他の者が動けない中で、一際若い兵がアークライトに近づくと訝しげに首を捻る。


「シュリア様とご一緒とは珍しいですね、隊ちょ――」

「っ馬鹿!!」


 我に返った他の兵が、紗霧達に近づき声をかけた若輩兵の口を慌てて塞ぐ。
 紗霧の前でアークライトは『隊長』でなく『王子』なのだ。『隊長』など言って紗霧にアークライトの正体が露見すれば全ての計画は台無しとなる。
 口を塞がれた事で自分の失態に気付いたのだろう。まだ幼さの残る顔を蒼白に染めた。


「???」


 だが紗霧は突然目の前で起こった二人の兵の行動に首を傾げている。
 どうやら若い兵の失態にも、紗霧はアークライトの正体に気付かなかったようだ。疑問符を浮べる紗霧を見て、アークライトは『大丈夫だ』と安心させるかのように二人の兵に苦笑しながら右手を振ると失態を仕出かした兵の咎をこの場で流した。
 改めてアークライトに立礼した兵達に『気を取り直して』と、アークライトは笑顔を向ける。


「ちょっと尋ねていいかな。ウィルの居所を知らない?」


 ウィルフレッドの居所について尋ねられた兵達は互いに顔を見合わせて頷く。


「確か、副隊長と午後の訓練の打ち合わせをすると仰ってましたので、『軍議の間』にいらっしゃると思います」

「そ。ありがとう」


 アークライトは礼を言うと手綱を引き、敬礼する兵達に背を向けて再び馬を駆った。




***




(ちょっと待て!!俺は聞いてないぞ!!!!!!!)


 修練場に着いたのにも関わらず、その中を馬で駆っていたアークライトの行動を紗霧は不思議に思っていた。だが先程のアークライトと兵達の会話で実はアークライトがウィルフレッドを探していたと知って、その事実に紗霧は一瞬気が遠くなる。


(嘘だろ、嘘だろ、嘘だろぉおぉぉおお〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!話が違う!!!!ウィルに会いになんて、俺は聞いてない!!)


 もちろんアークライトと修練場に訪れる事になった時点でウィルフレッドと顔を合わせることになるだろうと覚悟はしていたが、それは可能性であって目的ではない。


 そもそも紗霧がアークライトと共に修練場へ行く事を了承したのは、アークライト曰く、紗霧という存在が鍛錬を行う兵の士気を非常に高めると言ったからだ。
 紗霧に完膚なまでに打ち負けた兵達はどうやら紗霧の存在を強く意識しているらしく、その場で見学者として在るだけでも兵の士気に繋がる為、修練場に共に行く事をアークライト直々に『お願い』されたからである。
 アークライトの願いに紗霧が断るという事は当然ながら出来るはずもなく、加えて一度じっくりと隊の訓練様子を見学したかったという思惑もあって紗霧はアークライトとの同行に頷いたのだ。


「ふふふ、落馬する体勢によっては掠り傷程度で済む事もあるよな。・・・そう、きっと大丈夫だ」


 スッと目を細めた紗霧の瞳は暗い光を宿し、今度こそプツンと理性が切れた。
 事故を装ってアークライトを馬の背から如何に自然に見えるように投げ飛ばしてやろうかと一瞬にして思考を巡らす。
 幾つかパターンを考え、いざ実行に移そうと紗霧がアークライトの胸座を掴んだ瞬間。


「ウィル!!」

「へ??」


 突然声を発したアークライトの顔を一瞬にして我に返った紗霧は見上げる。
 見上げた視線の先には、何故かアークライトの喜色満面な顔が映った。


(う・・・そ、もしかして・・・・・・)


 紗霧はアークライトの視線の先を恐る恐る辿る。


「あ・・・」


 そこには、今しがた建物の中から出てきたウィルフレッドと、その後ろに控えているセオドアの姿が在った。
 ウィルフレッドはセオドアと同様の隊服に身を包んでいるが、醸し出す雰囲気は全く違う。生まれ持っての輝くような存在感は本人の自覚なく他を圧倒する。
 相変わらずの堂々たる姿に紗霧の全ての思考は吹き飛び、ただウィルフレッドの姿に見惚れた。
 背後のセオドアを振り返りながら話し掛けていたウィルフレッドだが、アークライトの声に視線を紗霧達に向け。
 緑の双眸は共に馬の背に騎乗する紗霧達を捉えた。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何をしている」

「え??何って・・・」


 予想とは異なる態度なウィルフレッドの姿にアークライトは戸惑いを隠せない。
 ウィルフレッドの双眸は、今や見た者を凍らせるよう様な光を宿し紗霧の腰を抱くアークライトの右手へと射抜くような視線を投げた。
 腹の底から発せられた声と殺気を孕んだ視線を向けるウィルフレッドに、紗霧はアークライトを投げ飛ばそうと掴んだ胸座に恐怖の為か無意識に身体を摺り寄せ、アークライトはそんな怯えた紗霧に気付くと腰を掴む腕を引き寄せる。
 アークライトの行動に、ウィルフレッドはアークライトに対して益々冷たい殺気を放つ。


「シュリアの腰を抱いているその手は何だ。何故お前がシュリアと共にいる」

「それは・・・。―――っく!!何だ!!??」


 弁明するべくウィルフレッドに近寄ろうと軽く馬の腹を蹴ったアークライトだったが、近づくことを拒否するかのように突然馬は狂ったように鳴きだした。そして背に乗る紗霧とアークライトを振り落とさんばかりに暴れ出す。
 馬はウィルフレッドの殺気を敏感に感じ取ったのだろう。
 静めようと咄嗟にアークライトは手綱を引くが、アークライトが手綱を力一杯後方へと引き寄せた事で暴れ狂う馬の背で支えを失った紗霧の身体がグラリと傾いた。


「シュリア!!!!」

「シュリア嬢!!!!」

「シュリア様!!!!」

「うわっ!!!!!」


 怯えたように暴れ出す馬の背から投げ出された紗霧の身体は空中に踊り出た。









                                            update:2006/7/3






inserted by FC2 system