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 紗霧とアークライトを共にその背に騎乗させた白馬は、普段紗霧が修練場へ向かう時に使用するコースから大きく外れ、『散歩を兼ねて』と称したアークライトの提案で今は城壁を沿うような行程で目的地へと向かっていた。
 アークライトは、高く積み上げられた石の城壁に沿う形で人工的に植林された森の中へと馬の歩を進める。
 新緑の生い茂る季節となった今、我先にと争わんばかりに日の光を浴びようと空に向かって木々はその枝を高く伸ばし、その恩恵に浴していた。


 風によってサワサワと葉を揺らす心地よい音と、音と共に運ばれる木々の匂いに先程から紗霧の眉間に縦に刻まれていた複数の線が心なしか減ったように見受けられる。
 緑にはリラックス効果があるとの事だが、どうやらそれは紗霧にとって非常に有効なようだ。
 だがそれでも紗霧の脳内は沸騰寸前なほど混乱していることには変わりなく、無事な左手で眉間を軽く摘まみあげると円を画くように揉みだした。


(何でこんな事になったんだっけ・・・)


 紗霧は現在の状況に至った原因を探るべく先程から何度も自問自答を試みるが、紗霧の中に答えはなく、更に深く眉間の皺を刻むだけであった。


(今まで王子を避けてきたという俺の必死の努力は何処へ?なぁ何処へいったよ??・・・避けるどころか、こんなに密着しているし)


 紗霧が落馬する事のないようにと、アークライトは手綱を掴むために伸ばしたその腕の中で紗霧の身体が少しでも動かぬよう自分の身体の方へと引き寄せていた。そのため二人の密着度は非常に高い。


(・・・これは、今まで俺が王子を避けてきたっていう付けが一気に回ってきたとでもいうのか。そうなのか?)


 己の顔の距離から、僅か30センチ程度の距離にあるアークライトの整った顔を紗霧は気付かれぬよう上目で盗み見る。
 アークライトはその視線を前方へ向けたままだったが、何が楽しいのかその口元は締まりなく、時折忍び笑いする声が紗霧の耳へと届いていた。
 アークライトの何やら楽しげな様子に、紗霧は更に深く思考の渦へと嵌っていく。
 そして何度も自分に同じ問いを繰り返しては、『解るわけがないだろ!』と内心拳を握り締めていた。
 だが紗霧の自問自答も、そう長い時間を費やしなかった。とうとう紗霧の思考の許容範囲を超えたのか、ショートしたように頭に霞みが立ち込め始める。


(・・・・・・・・・・・・止めた。そもそも俺が王子の考える事なんて解るはずがないんだよね。・・・―――もう勝手にしてくれ)


 早々に原因を追求する事を止めて諦めたように一人溜息を吐く。
 馬の背で静かに揺られながら紗霧は脱力したかのように肩を落とすと、目の前を横切る景色に目を向けた。


(あ〜・・・。今日もホント、良い天気だなぁ)


 木の葉の間から時折注ぐ暖かい夏の日差しを浴びながら、紗霧はアークライトの存在を頭の隅へと置き、今は目の前に広がる素晴らしい景色を堪能すべく全意識を集中させた。
 馬は紗霧の心情に我関せずとばかりに、緑の生い茂った路を快活に均整のとれた足で歩を進めて行く。
 目的地までは後僅か。
 そこで何が起きるとも知らず、紗霧はアークライトの腕の中で暫しの平穏な時を過ごしていた。




***




 先程からアークライトは己の腕の中に大人しく収まっている紗霧の様子を観察していた。そして何かを諦めたかのように溜息を吐いた紗霧を見て、アークライトは苦笑する。


 紗霧を馬の背に横向きのままで騎乗させ、アークライトの腕の中に今では大人しく収まっている紗霧だが、騎乗させるまでは一苦労だった。
 何故なら丁寧な口調ながらも、紗霧は頑なにアークライトと共に馬に騎乗する事を拒み続けたのだ。だが相手を上手く言い包めるのに長けたアークライトの話術によって、渋々ながらも共に騎乗をする事を了承する。
 してやったりと、アークライトが細く微笑む姿を残念ながら紗霧は目にすることはなかったが、もし目にしたのならば紗霧は即座にアークライトに背を向けたであろう。だがアークライトには幸運な事に、紗霧には不幸な事にその出来事は起こらなかった。


(俺がシュリア嬢と一緒にいることを知ったらウィルどんな顔するかな〜。何だかシュリア嬢のこと気に入っている様子だしね。―――ふっ、騙し討ちのように俺一人に重責を押し付けた報復だよ、ウィル)


 ウィルフレッドの渋く表情を歪めた姿を思い浮かべ、アークライトは込み上げてくる笑いを堪えるかのように手綱を握るその手に力を込めた。
 紗霧にとっては訳の解らないアークライトの行動は、単にアークライトのウィルフレッドに対する悪戯心を満足させるべく実行されたものであったのだ。
 紗霧にとっては迷惑極まりない事である。


 もちろんそれだけでなく、アークライトにはもう一つの思惑があった。
 それはウィルフレッドとアークライトの間で何かと話題の尽きない紗霧との親交を深めたいという意図があったのである。
 何せ紗霧は王子としてのアークライトと接触する事を徹底的に避けている。
 それに加え過去、アークライトは他の妃候補者を撒いて紗霧に会いに修練場まで足を運んだのだが、紗霧の見えないところでウィルフレッドに追い払われしまったという経緯がある。
 懲りずにティータイムを楽しんでいた紗霧とウィルフレッドを訪ねても、やはりウィルフレッドに邪魔をされ、最後には妃候補者にも邪魔されるという、とことん紗霧と接触を妨げられるアークライトであった。
 そのため、アークライトが紗霧と親しくしたいと思っても、今回の様に強引に紗霧を連れ回さなければ今後も接触する事が出来る確率はほぼ皆無だったであろう。


 紗霧が怪我をしたという事をウィルフレッドから伝え聞いた時には、これは親交を深める絶好の好機だと、アークライトはウィルフレッドには内密で見舞の品を手に紗霧の部屋へと訪ねたのだ。


(でもシュリア嬢を見る限りでは、俺はまだまだのようだね)


 諦めたようにアークライトの腕の中に収まる紗霧だがその警戒心は解かれることなく、アークライトが少しでも余計なちょっかいを出せば怪我した足首の事を考えずに躊躇なく馬から飛び降りてしまうだろう。
 そんな紗霧の一筋縄ではいかない性格に、アークライトは逆に好感を持った。


 ウィルフレッドの比ではないが、王位継承権を持つ者の一員として誕生したアークライトの周囲には、実力でもって手にした『親衛隊隊長』を務めるウィルフレッドの親衛隊隊員以外にはその背後の権力に目が眩んだ輩が媚び諂う姿しか目にした事はない。
 生まれ出でた頃より誰もが同一の笑みを顔に浮べて傅かき、その者達にもて囃(はや)された。
 だが笑顔を絶やさないまでも、腹の中では何を考えているか解らないのが上流階層であり、そして如何に人を貶めて上り詰めるかの世界である。


 アークライトもウィルフレッドと共にその中で生きる術を身につけ、利用しようとする者を逆に利用してきた。
 そうする事でしか、この世界では生き残る事は出来ないのだ。


 そのような中で、ウィルフレッドの口から毎日といってよいほど語られる『紗霧』という者に対し、ウィルフレッド同様アークライトも興味を持った。当然ともいうべきだろうか。
 身分を隠匿してもウィルフレッドの生まれついた威厳というものは隠しきれない。いくら身分を偽ろうとも、人は自然にウィルフレッドに対して頭を垂れるのだ。
 そんなウィルフレッドに対し、自然体で接する事の出来る紗霧の話を聞いた時、アークライトの心の奥底にこれまでなかった何とも複雑な感情が湧いた。
 アークライトが今まで欲し得られなかった者をウィルフレッドが得たことに、嫉妬さえ覚えてしまったのである。


 王子として扮するアークライトの周囲に群がる4人の妃候補者の媚びるような態度に半ば辟易していたアークライトにとって、紗霧という存在は稀有であり、そして新鮮であった。


 顔に笑顔という名の仮面を貼り付けてアークライトに近づく者等よりも、『王座の間』にて出会った当初からアークライトの向ける笑顔に警戒心を表す紗霧に、アークライトは逆に肩の力を抜く事が出来たのだ。


(こんな子もいるんだな・・・)


 紗霧を見つめるアークライトの瞳は色を秘めてゆらりと揺れたが、身の内に湧き上がったその感情はアークライト自身には覚え知らぬものであったため、今は未だ紗霧に対して興味深げな眼差しを送るだけであった。









                                            update:2006/6/18






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