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「おはよう、シュリア嬢。ウィルから怪我をしたと聞いたけど大丈夫?」


 紗霧の容態を気遣いながら室内へ足を踏み入れたのはアークライト。紗霧に向けるその笑顔は、きっと万人をも魅力せずにはいられないだろう。
 その爽やかな笑顔に、アークライトの突然の訪問で緊張していた紗霧も思わずフッと笑みを浮かべた。


「はい、痛みは多少ありますが大丈夫ですわ」


 だが柔らかい物腰で対応する紗霧のその脳内は、ただひたすら同じ言葉を繰り返し言い聞かせている。


(優雅に!美しく!)


 最近ウィルフレッドや親衛隊の前では素でいた所為か中々調子が整わない。それでも必死になってアークライトの前では貴族の娘らしく優雅に振る舞おうと、指の先まで神経を集中させた。
 アークライトをソファーに促して座らせると、アークライトとはテーブルを挟んで紗霧もソファーに腰掛けてリルに給仕をお願いするべく合図を送る。リルは「畏まりました」と一礼すると部屋から出て行った。
 部屋には紗霧とアークライトの二人だけとなる。


(・・・って、ソファーに促したのはいいけど、何て話し掛ければいいんだ?今日は良いお天気ですね、とか??う〜〜ん・・・)


 会話の糸口をどうしたものかと悩んでいた紗霧に、アークライトは「はい」っと左手を差し出した。


「これ、お見舞いにね」


 差し出された品を反射的に受け取った紗霧の手の上には、蔦の細工が施された四角い器が乗っていた。器には菓子が盛りつけられており、ウィルフレッドから貰った菓子とは違ってフルーツ菓子のようだ。
 ここでは病人に菓子を贈る習慣があるのだろうかと内心首を捻りながらも感謝の意を示すため、引き攣る口の端を軽く上げて優雅に微笑む。


「御心遣い、感謝致します」

「いいよ、そんな堅っ苦しいことは。俺とシュリア嬢の仲なんだしね」


 どんな仲だよ!と紗霧は思わず胸中で突っ込みを入れるが、それでも表面上は穏やかな笑顔を浮かべたままだ。


「あれ?これって・・・もしかしてウィルから?」


 ふと、テーブルの上に向けたアークライトの視線を追うように、紗霧もテーブルに視線を向ける。


「えぇ、・・・どうしてご存知なのですか?」


 確かにテーブルに置かれている菓子は、今朝ウィルフレッドから贈られた品だ。だが、それをウィルフレッドから贈られた品だと何故アークライトが解るのかと、紗霧は右方向に首を傾げる。


「だって、この器の模様は・・・」

「模様、ですか??」


 器の模様は薔薇の木の細工。
 それがどうしかたのかと、紗霧は更に反対側へと首を傾げた。


「ん?・・・あぁ、解らないのなら気にしないで」

「?」


 そう言われてしまえば余計気になるのが人というものだ。更にアークライトに疑問を投げかけようと口を開きかけたが、話を逸らすかのようにアークライトは別の話題を紗霧に振る。
 疑問を残しつつも紗霧自身、別にしつこく問い詰める事ではないなとアークライトの新たな話題に乗った。
 その間にリルがお茶を運び、邪魔にならないようにと離れた場所へ控える。


 アークライトに対しどこか表情の固かった紗霧だが、何時しかアークライトの巧みな話術に乗せられていた。紗霧がアークライトに対して無意識に持っていた苦手意識が跡形も無く消える。
 作り笑みだった笑顔も消え、紗霧本来の笑顔が覗いていることに紗霧は気付かない。
 アークライトは初めて見る紗霧の笑顔にただ驚き、内心ウィルフレッドに対して『だから俺が近づくのを牽制してたのか』と愚痴を零していた。


「―――ところで、今日は修練場には行かないのかい?」


 唐突に話は変わり、その質問内容に紗霧は内心焦る。


(・・・ウィルの奴、どこまで話しているんだ?)


 ゴクリと唾を呑みこんだ紗霧の背中から、冷たい汗が一筋流れた。
 ウィルフレッドとアークライトの間では、修練場での出来事はほぼ全て筒抜けだという事を紗霧は知らない。


「えぇ・・・、この足では修練場までの距離を歩く事は出来ませんので・・・とても残念です」


 当り障りのないよう、紗霧は慎重に言葉を選んで悲しげに目を伏せた。
 半分は正直な気持ち。半分は偽りである。
 修練場へ行こうと思えば何としてでも行けたが、そこでウィルフレッドに遭遇する事だけは今は避けたかった。
 どんな顔をして会ってよいか解らないし、まして何て言葉を掛けてよいか解らない。
 答えは解りきっているはずなのにそれをウィルフレッドに早々に告げ、その所為でウィルフレッドとの関係が疎遠になってしまう事を紗霧は知らず知らず恐れていた。
 そんな紗霧の内心に気づかず、アークライトは紗霧の言い分に納得する。


「そうだね、ここからは大分距離があるし。んー、それなら俺が運んであげよう」

「はい?」


 アークライトの言葉に、紗霧は反射的に顔を上げる。
 目を見開き驚いたその表情には、先程の悲しげな演技がすっかり剥がれ落ちていた。


「退屈と言ったよね?」

「言いましたが・・・」


 確かに先程の会話の中で、それとなくポツリと零したが。


「なら構わないでしょ」


 何が――という言葉を紗霧が放つ前にアークライトは素早く立ち上がるとテーブルを回って紗霧に近づき両手を伸ばす。
 紗霧はアークライトが何を仕出かすのだろうかと状況を把握しようと脳をフル回転させるが、次の瞬間アークライトの腕の中に抱き抱えられ、その所為で思考することを放棄させられた頭の中は真っ白となった。
 アークライトが紗霧に行った行為は、昨夜のウィルフレッドの行為に続き人生2度目の『お姫様抱っこ』である。
 あまりの事態に紗霧は呆然としていた。
 紗霧の抵抗が無いのを良いことに、アークライトは紗霧を抱き抱えたままスタスタと足取り軽く歩き出す。だがようやく状況を呑みこんだ紗霧はこの状況を打破すべく必死になって暴れるが、掌の怪我と足首の怪我の所為で思うように抵抗が出来ない。それに加え自身をアークライトにガッチリと固定されている。


「ちょ、下ろしてください王子!!」


 キッとアークライトの顔を睨み上げた。


(っつか下ろせ!!!!!)


 近くなったアークライトのその顔は腹が立つほど男前で、ウィルフレッド同様に紗霧のコンプレックスを酷く刺激する。


「暴れると落ちて怪我するから危ないよ」

「ならばっ」


 下ろしてください、と暗に言葉を込めた。だがアークライトは気付かぬ振りして紗霧に微笑むだけである。


「遠慮しなくていいよ」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ふっつ!!!!」


 紗霧の言いたい事が解っている筈だがそれでも惚けるアークライトに、紗霧の拳はブルブルと震える。


(遠慮じゃない!!!!!!!)


 だが紗霧の抵抗を物ともせず、主人の危機にオロオロするリルに背を向けてアークライトは紗霧を抱き抱えたまま修練場を目指し部屋を後にした。









                                            update:2006/6/7






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