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 窓から降り注ぐ朝の優しい日差しは室内を余すところなく照らすが、紗霧の周囲だけはその明るさをも跳ね返すかのように空気が重い。


「はぁ・・・」


 だらしなくソファーに寝転んだ紗霧は、落ち着かないのかその上で何度も身体の向きを変える。
 怪我をした右掌と右足首を庇いながら身体の向きを変えては、その度に力の抜けたように溜息を吐いて何か考え込む様子を見せた。
 己の思考に耽る紗霧の視線は、空を彷徨っている。


「ふぅ・・・」


 又しても紗霧の溜息が室内に響いた。
 そんな紗霧の様子を心配し、紗霧に張り付いて世話を焼いているリルは何度も同じ台詞で紗霧に問う。


「サギリ様、御加減が優れないのですか?それとも傷が痛むのですか?」


 リルの問いに紗霧は緩慢な動作で顔を上げると、リルの放った言葉を理解すべく一瞬考え込んだ。


「ん?・・・・・・・あぁ・・・、や、大丈夫だよ」


 不安そうな表情のリルに紗霧は力無く笑む。だが次の瞬間にはフッと真顔になって何度目か判らない溜息を吐いた。
 リルは普段と違った紗霧を見ては心配げに顔を曇らせて、医師を一度呼び寄せた方がよいかと思案し始める。

 今では紗霧の怪我の負担にならないようにと甲斐甲斐しく世話を焼くリルだが、今朝紗霧に就寝を促すため近づき、その右掌の包帯と右足首の包帯に気付いたリルの反応といったら凄かった。
 昨夜、一人になった紗霧はウィルフレッドからの突然の告白にどうしたものかと唸り、そして今後ウィルフレッドに対してどのような態度で接すればよいかと悩んでいた所為で明け方近くまで寝付く事が出来なかった。ようやくウトウトと睡魔が襲った時に、リルのむせび泣く声で一気に覚醒したのだ。
 リルの精神にこれ以上負担をかけないようにと怪我した理由を有耶無耶にしつつ何とかリルを宥め、機嫌直しではないが昨夜紗霧が選び、ウィルフレッドに買ってもらった品を『知人から貰った品』という事にしてさり気なく渡す。
 中味を一つ取り出させ、紗霧はリルに味わうよう促す。そのキャンディーの甘さを堪能するリルの表情は次第に柔らかくなり、そうしてやっとリルの興奮は収まった。


(甘味って偉大だ・・・)


 ホッと紗霧は胸を撫で下ろしたが、この騒動で完全に睡魔は吹き飛んでしまう。仕方なく何時のように起床するが、それでも気付かぬ内に昨夜の出来事へと意識は飛んでいた。


 ソファーに寝転ぶ紗霧の視線は、無意識に今朝ウィルフレッドから『見舞品』として届けられた品へ向けられた。
 ウィルフレッドから贈られた品は両掌に収まる小さな器。過度な装飾はなく薔薇の木をデザインした細工がされ、その中には女性が好みそうな琥珀色した甘い菓子が零れ落ちそうなほど盛られていた。
 その菓子に手を付けることなくぼんやりと眺め、紗霧自身気付かぬ溜息が洩れる。


 何することなくソファーに横たわっていた紗霧の耳に、扉を軽く叩く音が聞こえた。
 紗霧の部屋を訪問する者は限られ、それは決まった時間に食事を運ぶ者以外に訪れる者は全く無い。今朝は例外的にウィルフレッドからの見舞品を届けに来た者の訪問があっただけで、今扉を叩く者の訪問理由に全く思い当たらない紗霧とリルは珍しいとばかりに互いに顔を見合わせる。
 鈍い動作で身体を起こした紗霧はリル対して頷き、その合図を受け止めたリルは扉に近づくと僅かに開いた。


「はい」


 紗霧の位置からは訪問者の顔は見えない。だが僅かに聞こえる声は何故か焦っているようだった。


「―――えぇ!!??は、はい、解りました」


 リルは焦る気持ちを抑えるかのように震える手で扉を閉める。
 扉が完全に閉まるの確認したリルは、勢いよく紗霧を振り返った。


「ん?どうしたの」


 紗霧はリルの様子に怪訝そうに首を傾げる。
 問われたリルは口を開くが、混乱のあまり言葉が出ないのか空気が洩れるだけだった。リルは己を落ち着かせようと両手で胸を押さえて深呼吸を繰り返し、何とか言葉を放つ。


「い、今、こちらに王子が向かっているそうです」

「へぇ〜、王子が。何の用だろうね。―――・・・って、えぇえぇえええぇ王子!!??ちょ、本気で!!!???」


 驚くあまり怪我の事をウッカリ忘れた紗霧は、思わずソファーから勢いよく立ち上がってしまう。その瞬間、右足首から全身に走った鋭い痛みに苦悶に顔を歪め低く唸った。
 だが、そんな痛みに構ってる場合じゃないとばかりに紗霧は慌てて両手を上げ、寝転んでいた為に乱れた髪と格好を正す。


「サギリ様、御髪が!それにドレスも!!」

「わ、解ってる!」


 リルの手も借りて紗霧は急いで身なりを整える。
 その協力もあって素早く整え終えたが、同時に扉を叩く音が室内に響き渡った。
 緊張の面持ちで紗霧とリルは顔を見合わせる。


「ど、どうぞ」


 紗霧はゴクリと唾を飲み込むと、右足首に負担をかけないように左側に重心を置きながら姿勢を正し、扉を叩く者を室内へと招き入れた。









                                            update:2006/6/4






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