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隣の部屋で就寝中であるリルに気付かれる事なく、そっとウィルフレッドと共に部屋へ戻った紗霧は、ウィルフレッドが呼び寄せた医師によって治療を施されている。
少ない明かりの中、紗霧は自分の足首に包帯を巻きつける若い医師の手際に感心し、その様子を飽きもせずにじっと眺めていた。
包帯の下は、本当に大丈夫なのかと紗霧が思わず疑ってしまうようなどす黒い緑色の薬草をペースト状にし、それを痛めた足首に満遍なく塗られていた。その部分が包帯で隠れると医師は紗霧に巻きつけていた包帯にハサミを入れてカットし、最後に包帯が解けないよう結びつける。
手早く治療を終えた医師は包帯とハサミを己の鞄にしまい込み立ち上がると、紗霧とウィルフレッドの顔を交互に見て頷いた。
「これで治療は終わりです。掌にある傷は見事に切れていたので治りも早いはずですが、足首の方は治るのに7日程かかるでしょう」
「7日も、ですか?」
小首を傾げて紗霧は困ったように医師に問うが、実際内心では『7日!?マジかよ!!』と叫んでいた。この場に居るのがウィルフレッドだけなら間違いなくそう叫んだのだろうが、医師が居るのでは本来の紗霧としての態度を取るわけにはいかない。
そんな紗霧に医師は申し訳無さそうに言葉を重ねる。
「はい。シュリア様の足首は少々ヒビが入っておりますので、多少の日数は要すると思います」
ヒビが入っているという医師の言葉に、紗霧は足首に感じる痛みに眉を顰める。
歩けない程までに激痛を訴えていた痛みは、一度氷で冷やして包帯で固定したお蔭で痛みそのものは半減した。それなのに7日もかかるという医師の言葉に紗霧は溜息を吐かずにはいられない。
「痛みが引かないようでしたらご連絡下さい」
では私はこれで、と言って部屋から出て行く医師にベッドの上に座ったまま紗霧は「ありがとうございました」と頭を下げた。既に部屋の外へと足を踏み出していた医師は紗霧の言葉に振り向くと、にこやかな笑顔と「とんでもありませんよ」という言葉を残し、重厚な扉をそっと閉じる。
医師が紗霧の部屋から出て行ったことで、部屋の中は静けさが訪れた。
「・・・・・7日か。うぇ、何処にも行けないじゃんよ」
最初にその沈黙を破ったのは紗霧の溜息と呆然と呟く声だった。その眼はどこか遠い所を見ているのか、空中を見上げて目を細める。
(はぁ・・・ここに滞在する残りの日々を折角ウィル達と有意義に過ごせるかと思ったのに、7日間も部屋に拘束されるなんてなぁ・・・)
紗霧は以前、3日間部屋に閉じ篭っていた時に味わった退屈な時間を思い起こす。やる事の無い時間ほど紗霧にとって苦痛にしかならない。やっと修練場という快適な場所を見つけ、充実した日々を過ごせると思った矢先の出来事に紗霧はがっくりと項垂れる。
そんな落ち込む紗霧の隣に治療の間、始終無言で側に佇んでいたウィルフレッドが腰を下ろした。
「・・・私の落ち度だ。私がシュリアの元から離れてしまったから。―――すまないっ」
「ほぇ?何でそこでウィルが謝るのさ。これは誰の所為でもなくて、不慮の事故ってやつだよ」
「だから、それは私が――」
「はい、スト〜ップ」
紗霧は間近にあるウィルフレッドの唇の上に包帯で巻かれた右手の人差し指を立てて当てると、己の所為だと更に言い募るウィルフレッド口元を塞いだ。そんな紗霧の行動に、ウィルフレッドは驚きを見せる。
「いいか、ウィル。これは誰の所為でもない。それを言うのなら、咄嗟に受身を取れなかった俺が悪いし、それ以前に奴等全員をのしたと思って気を許した俺が一番悪い」
「違う!それはシュリアの所為では―――」
即座に紗霧の言葉を否定したウィルフレッドは、口元を塞ぐ怪我した紗霧の手を優しく握り締め頭を振った。
「そうやってウィルが否定するのなら、この件は誰の所為でもないよ。な?」
何だか渋い顔をして、未だ己の所為だと自問自答するウィルフレッドの表情を見て紗霧は苦笑する。
(ウィルって誰に対してもそうなのかな??)
暗い表情をするウィルフレッドの顔を紗霧は覗き込むと、その整った顔に又しても見入ってしまった。ウィルフレッドのような格好良い男が苦悩する姿は、紗霧に思わずギュッと抱き締めたくなるような感情を沸き起こさせる。
そんな己にハッと気付いた紗霧は、その事実に内心物凄い速さで頭を振って感情を否定すると、その思考を断ち切るかのように慌てて別の話題を持ち出す。
「で、でも何でウィルがあの場所に?俺が待っていろと言われた場所とは大分離れているけど」
「あぁ、それは・・・」
落ち込んだような顔をしていたウィルフレッドは、紗霧の質問に答えるべく顔を上げるとその経緯を解り易く説明しだした。
ウィルフレッドが複数の男相手に紗霧が応戦していた場所へと辿り着いたのは、ウィルフレッドが用を済ませ紗霧の元へと戻ろうとしたその時、大通りで女性が必死になって道行く人々に助けを求めていたからだと言うのだ。
「何やら助けを請うていた女性の声に耳を傾ければ『紺色の髪の女の子が男達に絡まれているから助けてくれ』と必死になって言うではないか。紺色の髪とはここら辺りではシュリアしか思い当たらないからな。それで慌てて彼女の案内で駆けつけたのだ」
「な〜る・・・」
紗霧が行けと言っても中々その場から動かなかった女性は、どうやら最後まで紗霧の事が気に掛かっていたようだ。実際問題、女性がその様な行動をとらなければ紗霧は確実に男に暴力を振るわれ、顔に怪我を負っていただろう。そう考えれば女性に対して感謝してもしきれない。
「・・・でもウィル。たかが殴られそうになっただけって事なんだし、その相手の命を簡単に奪う事はしないでくれよ。頼むからさ」
顔面を殴っただけで命を取られるのはどう考えても割に合わない。しかし絶体絶命時に助けてくれたウィルフレッドの行動に対して、紗霧は怒りを表す事はできなかった。ただ溜息を吐きながらウィルフレッドの顔を見て苦笑する。
紗霧に経緯を説明した事で再び思い出したのか、ウィルフレッドは顔を歪めた。
「―――無事でよかった」
紗霧の言葉が耳へ届いていないのか、返事を返すことなくウィルフレッドは横に座る紗霧を自分の広い腕の中へとギュッと抱き締めて、紗霧の耳元へ息を吐くようにそっと呟く。
「・・・なぁ、聞いてる??」
「・・・・・・・・・・・・」
(そっか・・・かなり心配させたみたいだな)
無言のウィルフレッドに紗霧は困ったように眉を寄せた。
多少怪我したが、紗霧は無事に部屋へ戻る事が出来たのだ。
しかし紗霧を未だ心配するウィルフレッドがいる。紗霧はそんなウィルフレッドの背中に両腕を回すと安心してとでもいうかのようにウィルフレッドを抱き締め返した。そんな紗霧の行動に気付いたのか解らないが、ウィルフレッドは紗霧を抱き締める腕に更に力を込める。
「・・・・・・っ頼むから、私の目の届かぬ処で無茶をするなっ」
紗霧の肩に顔を埋めながら何かを耐えるように言葉を吐く。紗霧を抱き締めるウィルフレッドの腕は微かに震え、あの出来事がウィルフレッドにとってどれ程までに衝撃的なものだったのかと紗霧に身にしみて感じさせられた。
「・・・ごめん」
紗霧の口から自然に謝罪の言葉が出る。それでも震えの収まらないウィルフレッドの背を紗霧はぽんぽんと何度も軽く叩く。
それはウィルフレッドの震えが収まるまで根気強く行われた。
「・・・・・・すまない。みっともない所を見せたな」
暫く紗霧を抱き締めていたが、やっと紗霧の背に回した腕を離すとウィルフレッドは照れたようにはにかむ。ウィルフレッドはどうやら落ち着いたようだ。紗霧は首を静かに横に振ると、ずっと疑問に思っていた事をウィルフレッドに訊ねる。
「ところでウィルは一体俺を置いて何処へ行ってたのさ」
「―――ん?あぁ、そういえば・・・。あの騒ぎですっかり忘れていた―――これをシュリアにと思ってな」
そう言うとウィルフレッドは胸元から綺麗な紫の布で覆われた物を取り出すと紗霧の怪我をしていない左手を取ってその上に乗せる。それは紗霧の掌に収まるほどのもので、それほど重量は無いようだ。
「俺に?」
なんだろうと思いつつ、紗霧は折り畳まれたその布を一つ一つと開いてゆく。
「え?これって・・・」
紗霧が最後に被さった布の端の部分を開くと、そこには真珠と共にこの国の紋章である薔薇を象った乳白石の石が幾つも連なったブレスレットがあった。宝石など装飾品に全く疎い紗霧でも、一見してそのブレスレットが簡単に買えるものではないという事だけは解る。
掌に乗ったブレスレットをウィルフレッドは徐に取ると、紗霧の左手首に巻きつけた。
「うわっ、高そう・・・」
己の手首に巻きつけられたブレスレットが良く見えるようにと、紗霧は頭上に掲げた。
しかしブレスレットを見た第一声が『高そう』とは何とも色気が無い。続いて「有り難う」と笑顔で言う紗霧に、ウィルフレッドは耐え切れずに噴出した。
「何だよ!」
「い、いや、シュリアらしいと思って、な」
先程の暗い雰囲気を払拭するかのような空気の流れに、紗霧はホッと胸を撫で下ろす。
紗霧の放った言葉に対して一思いに笑ったウィルフレッドだが、急に笑いを収めると真顔になり紗霧の顔を正面から見据える。
「え、と。何??」
ウィルフレッドの真剣な眼差しに視線を逸らすことなく紗霧も見つめ返す。先ほどまでの空気とは別の空気が流れ、何だか息苦しい。
熱く、でもどこか切なげに瞳を揺らしたウィルフルレッドは、数秒間の沈黙の末にゆっくりと大気を振るわせた。
「―――愛している」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい???????」
紗霧は一瞬眉を顰める。
とうとう幻聴でも聞こえたのだろうかと咄嗟に聞き返した。
(今ウィルは何ていったんだ??幻聴か??????)
だがウィルフレッドは紗霧の視線を真っ直ぐに捉えたまま再びゆっくりと口を開く。その数秒であるはずの瞬間が、紗霧にとっては物凄く長いような時間を要しているように感じられた。
update:2006/5/17