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顔面に襲いかかるであろう衝撃を紗霧はギュっと目を瞑り待つが20秒、30秒と時間は経てどもその痛みは一向に襲ってこない。
(・・・あれ?何で??)
男の様子を探るべく、紗霧は恐る恐る両目を開く。すると、紗霧に向かって拳を振り上げていた腕は不自然な形のまま空中で静止しているではないか。
「くっ」
何故か男は顔を苦悶に歪める。紗霧は男の振りかざしたまま止まった拳を目で辿ると、そこには腕を掴む長い指があった。しかし紗霧の視線からは、覆い被さっている男の所為で視界が遮られており、紗霧の窮地を救った者の姿は見えない。
腕を強く拘束されているのか、男は低く呻き声を上げる。
「・・・・・・・・何をしている」
「その声・・・ウィル!?」
聞き覚えのある声に紗霧は反射的に上半身を起こすと、男の背後に居るであろう人物を見る。やはりというのだろうか、そこには男の腕を掴んで仁王立ちしているウィルフレッドの姿があった。
「何だてめぇは!?」
「私は何をしていると聞いているのだ」
男はウィルフレッドに向かって吼えるが、ウィルフレッドは男の問いに答えることなく再度問いただす。その声は低く、ウィルフレッドという人物を知る紗霧ですらその声音の冷たさに戦慄を覚えたほどだ。
ウィルフレッドは男の腕をギリリっと更に強く掴む。その激痛に耐えられなかったのか、男は声にならない悲鳴を上げながら全身を使ってウィルフレッドの腕から逃れようと必死になって足掻いた。だがウィルフレッドはその叫びに耳を貸すことも、腕を掴むその手を緩めることなく足掻く男をその絶対零度な視線でもって見下ろすだけである。
「何時までシュリアの上に乗っている」
ウィルフレッドは紗霧の上から男を退かすべく、掴んだ腕を後方へと勢いよく引いた。
「ぎゃぁぁあああっぁぁ!!!!!!!」
だがその瞬間、男の腕は『ばきっ』と肩の骨が外れる鈍い音が聞こえ、咄嗟に耳を塞ぎたくなるような絶叫が辺りに響き渡る。
男は溜まらず紗霧の上から退くと外れた肩を庇いながら地面を転げ回った。
「ひぃっいいいぃいい!!!!」
激痛のあまり地面を転げ回っていたが、男はウィルフレッドが自分に向かって近づくのに気付くと地面を這うように逃げ出そうとする。
だが、ウィルフレッドが男を逃すはずもない。
地面を這っていた男の咽を背後から右手で掴み上げると、男を仰け反らせた。
「がっ、はっ!」
「・・・・・・・・貴様は私を怒らせた」
ウィルフレッドの左手には何時の間にか20センチ程の小剣が握られている。その剣先は男の咽元に突きつけられ、今にも咽を切り裂かんばかりだ。
事の成り行きに暫し呆然としていた紗霧だが、ウィルフレッドの左手に握られた小剣を見て我に返る。
「ううううううう、ウィル!!??あぶ、危ないって!!」
「・・・・・・・・・」
しかしウィルフレッドは紗霧の声が聞こえていないのか、更に小剣を男の咽元に突きつける。剣先が当たる咽元からはプッツリと小さな血の珠が出来た。
「やめろ、ウィル!!これ以上やったらコイツ死ぬぞ」
紗霧は先ほど倒れる時に捻った右足がズキズキと痛みを訴えるのを意識から追いやって、痛みに耐え立ち上がると小剣を持つウィルフレッドの左腕にしがみ付いた。
左腕にしがみ付かれた事で、ウィルフレッドはようやく紗霧に視線を移すと暗く笑う。
「構わん」
「は?」
「この者が仕出かした罪は万死に値する。相応の罰を与えなければならん」
そう言うと、ウィルフレッドは男に向かって小剣を振り上げた。
「ちょ、何言って!?―――ウィル、止めっ!!!!」
「!?シュリア!!!!!」
紗霧はウィルフレッドが男に向かって翳した小剣の剣先を咄嗟に右手で握り締めた。
「―――っ!」
「シュリア、この手を離せ!!血が!!!!」
「っウィルが、この剣を退くなら、な」
小剣とはいえ、立派な刃物であることに変わりはない。小剣の刀身部分は紗霧の血で赤く染まる。
「あぁ!!解ったから!早くこの手を離せっ」
「約束だよ、ウィル」
ウィルフレッドが必死になって頷く声に、紗霧はようやく刀身部分を掴んだその手を離した。男は刃を突きつけられた恐怖と、骨の外れた痛みに耐えられなくなったのかどうやら気を失ったようだ。
だが男が生きているという事実に紗霧はホッと胸を撫で下ろす。
ウィルフレッドが男から離れたことにより、紗霧に倒され先ほどまで気を失っていたはずの男達は何時の間に気付いたのかウィルフレッドの行動によって気絶した仲間の周囲に集まる。そしてウィルフレッドの怒りの矛先が自分達に向かない前に一刻も早くこの場を離れるいう意思の表れか、足を縺れさせながらも気絶した仲間を数人で引き摺って行きこの場を去った。
しかしウィルフレッドの頭からは男達の存在は既に消え失せ、今は怪我した紗霧の掌へと意識が移る。
「シュリアっ。手は!!??掌を開け!!」
「うぇ?―――いっ!痛いよウィル!怪我してるんだからもう少し丁寧に扱ってよ」
ウィルフレッドは紗霧の右手を奪うように取ると、握り締めたままでいる掌を開かせた。
「うわ・・・スプラッタ」
開いた掌は血で赤く染まっている。留め止めなく溢れ出す血に、紗霧はどこか他人事のように見ていた。
あまりに見事に切れている所為で痛みは感じないのだ。
「見事にスパっと切れているな」
「・・・・・・・・・・・ホント、意外と切れるんだね。驚いた」
「当然だ。小剣とはいえ剣には変わらん」
そうだよね、としみじみと頷く紗霧に、ウィルフレッドは溜息を吐くと持っていた白い布で紗霧の掌を覆う。
「取り合えずこれで応急処置だな。急いで城へ戻るぞ」
「了〜解。―――――っ痛い!!!!!!!!」
紗霧は利き足である右足を踏み出した瞬間、足先から脳天まで突き抜けるような痛みが走った。咄嗟に右足を押さえて蹲る。
「どうした!!」
「う、ウィル〜〜〜〜〜、足首が痛ひ」
「足首??」
紗霧の押さえる右足をウィルフルレッドは見る。先ほどは暗くて見えなかったが、紗霧の右足首は赤く真っ赤に膨れ上がっていた。
「捻ったのか?」
「くっ・・・忘れていたけどさっきね」
ウィルフレッドが男に剣先を突きつけていた時には痛みを意識から追いやり必死で立ち上がったが、気の抜けた今となってどうやら痛みがぶり返したようだ。
「嘘だろ・・・」
足の痛みに耐えて必死に立ち上がろうとするが、足首に走る激痛にすぐさま膝が崩れ落ちる。何度か繰り返すが、やはり無理なのか紗霧は立ち上がることさえ出来なかった。
「ならば――」
「うわっ!ウィル!!??」
ウィルフレッドは紗霧の側に屈むと、紗霧の膝裏に腕を滑り込ませてひょいっと抱き上げた。俗に言う「お姫様抱っこ」である。
「ぎゃぁぁああぁ〜〜〜!ウィル何やって!!」
ウィルフレッドの腕の中に収まった紗霧だが、このような運ばれ方では男である紗霧が大人しくしているはずもない。既に血で滲んだ布を巻かれた右手と、無事な左手を交互に動かしてウィルフレッドに抵抗する意思を見せた。
「歩けないのだろう?こうして戻るしか方法がないのでな」
「ああああああああああ、あるよ!!!」
「ほぅ・・・。それはどのような方法だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「大人しくしていろ」
「い〜や〜だ〜〜〜〜〜!!!!!!!背負われる方がまだましだ!!」
「却下」
「うがぁぁぁあああぁ〜〜!!!」
紗霧の全ての訴えをウィルフレッドは尽く跳ね返す。
城までの道中、紗霧とウィルフレッドはこのような下らない問答を繰り返し行い、道行く人々を不振がらせたのは言うまでもなかった。
update:2006/5/11