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 紗霧はウィルフレッドの後姿が人込みの中に消えた事を確認すると、通行人の邪魔にならないようその場から2、3歩端に寄る。


(待つとは言ったけど、ウィルが戻るまで暇だよな・・・)


 急に手持無沙汰になった為、紗霧はボゥっと忙しく行き交う人の流れを眺めていた。だが、紗霧の立つ場所から50メートル程離れた処で俄かに騒がしくなる。『何だろう?』と、紗霧は様子を伺っていたが、その瞬間、紗霧の耳に微かだが女性の切羽詰ったような甲高い声が耳に届いた。


「――っ!!??」


 それは反射的だった。ウィルフレッドから決してこの場から動いてはいけないと言われていたのにもかかわらず、紗霧の頭の中ではその事が一切忘れ去られる。
 紗霧は声の上がった方へと人込みを掻き分けながら一直線に走り出した。




***




(見えたっ)


 紗霧の視界に一人の女性が数人の男に囲まれている姿が映った。腰で茶色の綺麗な髪が揺れ、今にも泣き出しそうなその表情が庇護欲をそそられて可愛い。
 遠く離れた紗霧の眼からも女性を取り囲んだ男達が明らかに酩酊状態であることが見て取れ、紗霧の眉を顰めさせるには十分であった。


「い、いい加減、離してください!!」


 懸命に涙を堪えていた女性だが、既に限界を超えたのか大きな瞳からは涙が零れ始めた。だが、通行人は誰も女性の声に足を止めることなく見て見ぬ振りをし、その場を足早に通り過ぎる。
 紗霧は唇をギリリッと噛み、目尻が次第に吊りがっていくのが自分でも解った。


「あぁ〜?い〜じゃねーか、こっちへ来て俺達の相手しろよ」


「そ〜そ〜、お嬢様ぶらないで隣に座れや。こんな遅い時間に一人でいるって事は、それが目的なんだろぉ?」


 下卑た笑いで女性をあざ笑う。女性は涙が零れる瞳で男達を睨みつけるが、それも男達は楽しんでいるようだった。


「ぎゃははは〜、俺達は優しいから存分に可愛がってやるぞ〜」


「きゃっ!!」


 男の一人が女性の手首を掴み自分の隣へ座らせようと引き摺る。だが、女性の身体は反対側からかかった力によってその場に踏みとどまった。


「―――なぁ、あんた達。この子を離せよ。嫌がってるじゃん」


 紗霧は女性の片腕を掴み、俯いたまま前に進み出る。突然の紗霧の登場にその場は水を打ったように静まり返った。だが直ぐに我に返った男達は自分達の楽しみの邪魔をした紗霧を睨みつける。


「何だとぉ?・・・・・・へぇ。何だ、お前も俺達に相手にしてほしいってか?」


 男達は値踏みするかのような視線を紗霧に向ける。


「いいじゃん。お嬢ちゃんみたいに可愛い子なら何人でも歓迎だ」


 どうやら男達の間で紗霧は合格点を出されたようだ。俯いたままであったため前髪によって目元が隠れてはいたが、その顔の造りで美人部類だと判断したのだろう。女性の腕を掴んでいた男が、その手を紗霧に向かって手を伸ばす。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・下衆が」


 言うが早いか、行動が早いか。紗霧は俯いていた顔を上げると、自分に向かって伸びる男の腕を掴み取るとそのまま男の背後へと回り腕を捩じ上げる。その所作はあまりにも素早く、男達は何事が起こったのかと一瞬状況を理解する事が出来なかった。


「そこのお嬢さん。危ないから行って」


 紗霧はこの場の状況に呆然と立ち尽くす女性に向かって、安心させるかのようにニッコリと微笑む。その笑みで女性はハッと我に返ると、紗霧の放った言葉の意味を理解して今度は酷く狼狽した。


「で、ですがっ」


 恐怖の所為か、震える手を握り締めながらも女性は懸命にこの場に留まり紗霧の言葉に首を振る。
 紗霧は再度女性を安心させるかのように微笑むと、軽い口調で言葉を綴った。


「い〜から。貴方が居た方が俺は動きが取れないしね。それに一人だったら逃げ切れるけど、貴方を庇ったままでは逃げ切れないから」


「ご、ごめんなさい」


 そう謝罪し、頭を下げると紗霧に背を向けてこの場から走り去った。その背中を笑顔で見送った紗霧だが、男達に再び向けるその視線は冷ややかだ。


「さぁ〜てと。おっさん達は俺が相手ね」


 紗霧は腕を掴んでいた男を突き飛ばすと、まるでボクシングのファイティングポーズの様な構えを取った。
 5人の男達が紗霧の周囲を取り囲む。足元は怪しかったが、その眼はギラギラと充血し紗霧を睨みつけた。


「この××××っ!!よくも!!!!」


 動き出した一人の男の行動に触発されたのか、男達は一斉に紗霧に向かって突進した。


「ん〜、手加減する必要は特にないよね」


 そんな男達を紗霧は一瞥すると、真っ先に紗霧に向かって突進してくる男をヒラリと躱すと違えず急所に一撃を加える。ドレス姿で身動きが取れにくい紗霧だったが、酔いの回った男を地面に沈めるには問題はないようだ。


「―――っ!貴様!!!!!!!!」


 次々と紗霧に向かって飛び出すが、誰も彼もが先程の男と同じ運命を共にするだけだった。足元の怪しい男達を紗霧は持ち前の身軽さで躱していき、迷わず急所に攻撃を加える。
 最後の一人を地面に沈めた紗霧は、手をパンパンと払うと倒れた男達を見回した。


「ったく、これに懲りたら二度と嫌がる女性に絡むなよ」


 最後にもう一度男達を一瞥すると、紗霧は男達に背を向けてこの場を後に歩き出した。


「なっ!?」


 だが、紗霧は何者かに長い鬘の髪を掴まれ後方へと引っ張られる。リルの手によって鬘は紗霧本来の髪としっかり留められている為に引っ張られても外れないのだが、本来の髪を引っ張られるかのようにやはり痛い。
 紗霧は後ろを振り返って髪を掴んだ者を見る。


「――まだ終わりじゃねぇ」


 全員気絶しているかと思ったが、男の一人はまだ意識があったようだ。紗霧の腰まで垂らした長い髪を地面に伏したままの男が力任せに後方へと引っ張る。
 背後からかかった力に紗霧は受身を取る事が出来ず、背中から地面に倒された。だが、持ち前の反射神経で咄嗟に腕を突き出して衝撃を和らげる。


「いっ!」


 地面と擦ったのか両掌はピリピリとした痛みを訴える。咄嗟に受身を取ったが完全ではなかったらしく、右足首に激痛が走った。
 紗霧を地面に倒した男は今までの緩慢な動きが嘘のように素早く起き上がると、背中から倒れた紗霧に馬乗りになる。


「てめぇ、よくもやってくれたな!!女だからといって容赦するほど俺は優しくないぜ!!!!」


 男は顔を歪めながら、紗霧に向かって拳を振り上げる。


(殴られるっ!)


 紗霧は自分に降りかかるであろう衝撃に思わず目を瞑った。









                                            update:2006/5/7






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