――――32
「へへへ〜楽しかったぁ。ウィル、今日は連れて来てくれてありがと。しかもお土産まで買ってくれたしね。本当、感謝してる」
紗霧とウィルフレッドが城下町へ来てもう大分時間が経つ。だが紗霧の表情には疲れなど見えず、始終笑みを絶やすことはなかった。
途中から『フードを被っていたのでは景観もじっくりと楽しめない』という理由から、被っていたフードを下ろしてその顔を曝す。鬘だとはいえ紗霧の紺色の髪は珍しく、皆が紗霧を振り返った。
しかしそんな好奇の目を一切気にすることなく、紗霧は初めて訪れた市場を目一杯楽しんだ。
紗霧は自分より一歩下がって歩くウィルフレッドを振り返りながら満足そうに笑顔を向ける。その足取りは軽く、紗霧は購入した品物を見ては時折鼻歌を歌いながら笑みを零した。
そんな紗霧にウィルフレッドは見入っていたが、ふと何かを思い出したように口を開く。
「そういえば、まだシュリア自身のものは何も手にしていないな。何か欲しいものはないのか?」
「え?俺の??・・・ん〜〜、これで十分満足だし。特にないよ」
「・・・欲がないのだな」
「欲?あったじゃん。―――ほら」
ズイと紗霧は己の手にしていた品物をウィルフレッドの前に突き出す。
「な?俺も十分欲張りだと思うよ」
「・・・そうか」
丁寧に包装された扇・煙管・キャンディーの僅か3品を両手に持って紗霧は満足げな顔を見せる。
ウィルフレッドはその口元に浮ぶ笑みを一層深めると、徐に、微笑む紗霧へと近づいた。
「ウィル??」
紗霧の怪訝そうな最後の声は、ウィルフレッドの胸の中へと吸い込まれる。力強いウィルフレッドの腕に抱き締められた紗霧は、突然のウィルフレッドの行動に目を見開いた。
暫く大人しくウィルフレッドの腕の中に収まっていた紗霧だが、自分を抱き締めたまま何時まで経っても身動き一つしないウィルフレッドに焦れてモゾモゾと身体を動かす。だがウィルフレッドは離さないとするかのように、紗霧を抱き締めるその腕にギュっと力を込めた。
「ちょ、ウィル!?こんな道の真ん中で何してるんだよ??周りの人に変に思われるだろ」
紗霧は抱えていた3品を左手に持つと、右手でウィルフレッドを押し退ける。すると今度は何の抵抗もなくウィルフレッドは紗霧から離れていった。
「ったく、俺だからよかったものを・・・。いいか、ウィル。普通の女の子なら勘違いするぞ」
右の人差し指を顔の横で立ててブツブツと呟く紗霧に、ウィルフレッドは悲しげに眉を寄せると静かに言葉を口にした。
「・・・シュリアは・・・、私の行動を何とも思わないのか?」
「俺?ん〜まぁ、俺は普通じゃないっていうか。俺とウィルとの仲だからというか・・・」
まさか男なんていえるはずもなく、紗霧は適当に言葉を濁す。だがウィルフレッドは紗霧の言葉を耳にすると、一層強く眉を寄せた。
先ほどまでの穏やかな雰囲気から一変して、紗霧とウィルフレッドの間に微妙な空気が流れる。紗霧はこの場に流れた空気に戸惑い、どうしたんだ?とばかりにウィルフレッドを見上げるが、そのままハッと息を呑んだ。
「う、ウィル?」
「あ、あぁ・・・すまない。何でもないよ」
「あ・・・うん」
ウィルフレッドは紗霧の呼びかけに弾かれたように見ると、何かを誤魔化すかのように苦笑した。
その何でもないと言うウィルフレッドの言葉に、紗霧は一瞬だけ見えたウィルフレッドの表情は見間違えだったのだと安心してホッと胸を撫で下ろす。
(―――そうだよな。ウィルが一瞬泣きそうな顔をしていたように見えたなんてさ・・・。見間違えにも程があるだろ俺!あ〜驚いた)
だがもう一度ウィルフレッドの顔を覗き込むが、やはり先程の表情は紗霧の見間違えだとばかりにウィルフレッドは紗霧に微笑む。
「・・・そうだ。ここで少しだけ待っていてはくれないか?」
暫し無言で紗霧とウィルフレッドは対峙していたのだが、ウィルフレッドは突然そう言いだした。
「ここで?いいけど」
ウィルフレッドの唐突な言葉に紗霧は小首を傾げるが、その言葉に素直に頷く。
「直ぐに戻る。決してここから動いてはならん。いいな」
「解ってるよ。俺一人じゃ帰れないもん」
そうだな、とウィルフレッドは紗霧に笑顔を残すと、辿って来た道を戻るべく再び人込みの中へと入って行った。そのウィルフレッドの後姿を紗霧は手を振って見送る。
だが紗霧は気付かなかった。ウィルフレッドのその笑みが、何だか何時もより力無いことを。
update:2006/5/4