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 ウィルフレッドとの約束の15分前。
 紗霧は明かりの落ちた自室からリルに気付かれる事なくそっと抜け出した。途中、棟を護衛する兵の巡回時間と被り危うく見つかりかけたが、持ち前の反射神経でもってその危機を逃れる。
 ホッと紗霧は胸を撫で下ろしたが、『でも』っと思考した。


(まぁ見つかっても、ちょっと記憶を飛んでもらうだけか・・・)


 などと物騒な事を呟く紗霧に、果たしてどちらの危機が救われたのかは言うまでもない。
 ようやく紗霧がウィルフレッドと約束した庭へと辿り着くと、そこには既にウィルフレッドが木の下で気配を断ち佇んでいた。


「ウィルっ!ごめん遅れた」


 紗霧はウィルフレッドの姿を視界に捉えると、慌ててウィルフレッドに向かって駆けて行く。紗霧の気配に気付いたウィルフレッドは、俯いていた顔を上げると口元に笑みを湛えながらゆるやかに首を左右に振った。


「いや。まだ約束の時間前だ」

「え、そう??よかった、遅刻したのかと思ったよ」


 その言葉に安堵した紗霧だが、月明かりの下で浮かび上がったウィルフレッドの格好を見て首を捻る。


「・・・・・・・・・・・・・・ウィル、ところでその格好何?物凄く怪しいんだけど」


 黒色のフード付きコートを頭からすっぽりと被り、顔の部分だけが覗くウィルフレッドの格好は正直変質者に間違われてもおかしくない。紗霧はウィルフレッドの姿を頭の天辺から足の爪先まで何度も視線を走らせた。


「そうか?だがこれが一番目立たないのでな」


 目立つか?と不思議そうに己の格好を確かめるウィルフレッドの姿に、紗霧は『ある意味物凄く目立つと思うけどね』と胸中で呟いた。
 だが、呆れる紗霧に向かってウィルフレッドはスッと右手を差し出す。そこには、ウィルフレッドの被るコートと同じ物が手の上に乗っていた。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もしかして、俺にも被れってか?」


 差し出されたコートを見て紗霧の顔が引き攣る。
 嫌だと言っては駄目だろうかと紗霧は恐る恐るウィルフレッドの顔を窺うが、しっかりと頷いたウィルフレッドに紗霧の表情はそのまま固まった。


「そうだ。そのドレスではシュリアが貴族出身の娘だということを誤魔化せないからな」

「仕方ないだろっ。これでも一番地味なやつを選んできたんだからな」


 レースや宝石等の装飾品が一切ない水色のドレスを紗霧は選んで身に着けて来たのだが、シアナが紗霧の為にと仕立てたドレスは全て上質な布地で作られており、一見して紗霧が上流階級のご令嬢だということが解ってしまうものだった。


「早く着ろ、時が惜しい」


 ウィルフレッドの言葉に従って、紗霧はしぶしぶながらも差し出されたコートを身につけると頭の上からフードを被る。「変質者に間違われたらウィルの所為だ」と紗霧はウィルフレッドに聞こえよがしに呟く事を忘れなかった。
 紗霧の準備が整った事を確認したウィルフレッドは、周囲に目を走らせて誰も居ない事を確かめると紗霧の背に腕を回してそのまま前へと促す。


「行くぞ」

「ちょ、ウィルっ。行くって何所に?」


 月の光が周囲を明るく照らし出しているといえども、それでも足元は覚束無い。その中を迷わず進むウィルフレッドの顔を紗霧は慌てて見上げた。だがウィルフレッドは口元に笑みを浮かべて紗霧を見る。


「それは着いてからのお楽しみだ」


 悪戯に目を細めたウィルフレッドは楽しそうだ。
 ならばと、ウィルフレッドに促されるまま紗霧は黙って歩を進めた。




***




「こここここここここここここここここ、ここは!!!???」


 賑やかな城下町の市場。ここは夜が更けても尚、人々の活気が衰える事はなかった。左右に並ぶ露店は店主が自慢の品を売り込む声が飛び交い、その声に誘われて立ち止まる客は好みの品を探し出す為に商品を手に取って品定めする。
 そんな光景が紗霧の目の前に広がっていた。


「す、凄い・・・」


 紗霧はフードの隙間から目を大きく見開いて賑やかなその光景に魅入る。
 そんな紗霧の様子を見て、満足そうに笑みを浮かべたのはウィルフレッドだ。口をポカンと開けてその場に立ち止まる紗霧の肩をポンと叩く。


「何時までも立ってないで行くぞ」

「う、うん」


 紗霧は促され市場の中に足を踏み入れるが、まだこの場に居るということが信じられないのか上の空だ。だが、中へ進む程に瞳はきらきらと輝き始める。紗霧は持ち前の好奇心がウズウズと湧き起こるのを止められるはずがなかった。
 紗霧は露店の前で足を止めては品物を指差し、ウィルフレッドにコレは何かと質問を繰り返す。何せ紗霧はこの世界の住人ではない。見るもの全て物珍しく、又全てのものが不可思議であった。
 小さな子供のように好奇心一杯で市場を見て回る紗霧をウィルフレッドは優しげな双眸で見守っていた。


「ところで、何か欲しいものはあるか?何でも好きなものを買ってやるぞ」

「本当!?やったね!」


 実は幾つか目に止まった品物があったが、まさかウィルフレッドが城下町へ降りると思わなかった紗霧は、グレイスから念の為にと手渡されたこの国の通貨を部屋へ置いてきたままだった。その為、ウィルフレッドその申出に、紗霧は感謝の気持ちを持って素直に頷く。
 人の波に揉まれながらも、紗霧は一軒一軒じっくりと店先に並べられた品物を見て回った。すると紗霧の視界に端に一瞬だけ映った品物に視線が留る。紗霧は手を伸ばし、目に映った品をその手に取った。


「うわっ・・・綺麗」


 紗霧が手に取ったのは扇だ。派手な飾りなど一切付いてないその扇は、細かな花弁の刺繍が施され、どこか日本の伝統的な美を連想させるような色合いである。
 扇に下がる値段を見るが、この国の時価相場が全く解らない紗霧には扇の価値がどれ程のものか見当も付かない。
 仕方なく紗霧は、適当に他の扇を手に取って値段を見比べる。5つ程扇を手に取り見分するが、どうやら紗霧の目に留った扇は他の扇よりも2倍から3倍程高価なようだ。それを裏付けるかのように、紗霧の手にする品に気付いた露店の主人は、慌てて紗霧達の前へと飛んで来て扇の素晴らしさを訴える。
 その声に耳を傾けながら、紗霧は手に取った扇をジッと見た。


「それが欲しいのか?だが少しシュリアには地味すぎる気もするが・・・。あぁ、こちらの扇の方がシュリアには相応しい」


 紗霧の後ろから覗き込んだウィルフレッドは別の扇を指差す。
 ウィルフレッドが指を差した扇は、紗霧の選んだ品と同じように余計な飾りなど一切無い。だが紗霧の選んだ品よりは紗霧くらいの年頃が持つに相応しい清楚な扇で、扇には白い薔薇が刺繍されている。その扇から下がった値札には、紗霧が持つものより高い値段が貼られている。
 だが紗霧はふるふると首を横に振ると、手に持っている扇をウィルフレッドに差し出した。


「ううん、これが欲しい。だって俺が持つんじゃなくて、シア、じゃなかったお母様へのお土産だからね」

「・・・は?」

「―――俺、これが良い。駄目?」


 甘えるかのように紗霧は小首を傾げる。つまり久々のシアナ直伝で、今や紗霧の得意技となった『秘儀猫被り』をウィルフレッド相手に披露したのだ。


「いいぞ」


 紗霧の甘えたような仕種に動揺することなくフッと笑ったウィルフレッドは、紗霧の頭をフードの上から撫でる。そしてその手を紗霧が持つ扇に伸ばし手に取ると、店主に勘定させた。
 支払いを済ませ、ウィルフレッドは包まれた扇を紗霧に手渡す。扇を手にして喜ぶ紗霧のその横でウィルフレッドも又、その笑みを深めた。


 シアナへのお土産を手に入れた紗霧はホクホク顔で次の店へと入る。
 そこに並べられていたのは様々な形をした煙管だった。紗霧はグレイスが吸っていたのを思い出し、グレイスへは煙管にしようと決めた紗霧は、店の奥から飛び出して品物を懇切丁寧に説明する店主の話を聞きながら品物を一つ一つ手に取りじっくりと品定めをする。
 その後ろで不思議そうに眺めるウィルフレッドは、紗霧の肩越しからその手元を覗く。


「・・・吸うのか?」

「冗談。俺が吸うわけないだろ。これはお父様のお土産にしようと思ってね」


 紗霧はまさか、と手を目の前で左右に振った。


「・・・・・なるほどな」


 納得がいったとばかりに、ウィルフレッドは何度も頷く。
 決めた!と紗霧は数多くある品の中から一つの煙管を選び出すと、琥珀色した煙管をウィルフレッドに差し出した。


「ウィル、これが欲しい!」

「あぁ」


 紗霧の前で両手を擦り合わせるでっぷり太った店主にウィルフレッドは金を支払いながら、自分の選んだ品物に対して満足そうに喜ぶ紗霧に柔らかな視線を送っていた。


 途中休憩を挟みながらも、紗霧は城では決して口にする事のない、所謂ジャンク・フード的食物や飲料を口にする。城では何時も高級食材ばかりを口にしていた為、偶にはこういうのもいいなと、手にしたものを美味しそうに頬張った。


「むぐぐっ」


 周囲を見物しながら手にする食物を咀嚼していた紗霧は、突然残りの食物を一気に口の中に押し込むと一軒の店に駆け込む。紗霧が飛び込んだ露店は、どうやら色取り取りのキャンディーを扱う店のようだ。
 形も様々なら色も多種多様である。紗霧は「何だこの飴!?」と珍しい形をした飴を指差しながらもその手に取ってゆく。


「で、これは誰の土産だ?」


 突然走り出した紗霧の後を追いかけて来たウィルフレッドは、紗霧の手の上に載る品を見て呆れ果てた視線を送る。


「あ、バレてる??」

「当然だ。明らかに誰かをその脳裏に描きながら品物を選んでいるのだろう。シュリアが手に取る品はどれも共通点があるからな」


 見ていないようでしっかりと見ていたウィルフレッドに紗霧は感心する。


「正〜解。これはリルのお土産。ウィルが誰にも見つからずにって言ってたからどれがいいのか解んないけど、これならリルも気に入るかなって」


 えへへ〜、と笑みを覗かせる紗霧にウィルフレッドは苦笑するしかなかった。


「全く、お前という奴は」

「え?駄目??」


 不安そうに瞳を揺らす紗霧にウィルフレッドは静かに首を振ると、紗霧の手にする品を手に取る。それは両手に収まるほどの小瓶で、その中にはまるでビー玉の如く縦に線の模様が入った白く輝く飴玉が数多く入っていた。


「これで良いのか?」

「ん。お願いします」


 軽く頭を下げてウィルフレッドに購入を願う。
 勘定を済ませるウィルフレッドから小瓶を受け取った紗霧は、リルの驚く顔を想像してその表情には自然に笑みが浮かんでいた。









                                            update:2006/4/30






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