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(王妃という立場の人をウィルが本気で『一生贅沢に遊んで暮らせる。何でも自分の思う儘』とかって思っているなら、ちょっと悲しいな・・・)


 紗霧はこの世界の住人ではない為、この国の歴代王妃がどのようにして暮らしていたかを窺い知る事は出来ない。だが、紗霧の理想とする『王妃像』とは全く異なるということだけは断言できる。


(贅沢に遊んで暮らして、結局は処刑された王妃がいたっけ。有名な人で、確か・・・そう、フランス王ルイ16世の王妃マリー・アントワネット!)


 『パンがなければ、菓子(パン)を食べれば良いのに』との台詞が有名な女性だ。フランス革命の際にギロチンで処刑された。その罪状は反革命を唱えた事と国費の浪費だとか。


 紗霧は、誰もが記憶に留めているだろう王妃の事を思い起こす。だがそれを例に上げてウィルフレッドに説明するわけにはいかない為、どのように説明したものかと紗霧は頭を抱えた。
 一人唸っている紗霧の言葉をウィルフレッドは静かに待つ。
 紗霧は閉じていた目蓋をゆっくりと開くと、ウィルフレッドの視線を真正面から受け止めて、口を開いた。


「えっと、つまり俺が言いたいのは、民から徴収した貴重な税金を娯楽なんかに無駄に使っても良いのか?って事だなんだよね」

「何故だ?」

「何故って。そうだなぁ・・・―――」


 グレイス曰く、デルフィング国は国民から徴収した税によって国は運営されているとか。
 個人資産を保有していない王直系は、国の為にと民から徴収した国家予算の一部分をその生活資金として充当され、それによって日々暮らしているといえる。
 そんな王直系の内、10,000歩譲って考えてウィルの言う、『贅沢に遊んで暮らせる』というのは、程度問題だが王に限っては許せるかもしれない。何せ王は国の為・民の為に日夜働いているのだから。
 正し、民がそんな王に対して許せるのは、王が民に対して善政を敷く場合だ。悪政を敷いて民を苦しめる王ならば、民は反発し狼煙を上げて立ち上がるだろう。
 だが善政といっても、何が善で、何が悪だという事の線引きは難しい。
 ならば単純に考えて、国民が衣・食・住に困る事のない政(まつりごと)を執れば良いのではないだろうか。
 もちろんそれを善政とはいえないだろうが、まずは最低限民が生き続ける事の出来る環境を整えてあげることが最善といえないだろうか。


 ならば王妃は?『一生贅沢に遊んで暮らせる。何でも自分の思う儘だ』というのは、それ相応の行いをした上での事だろうか。
 民の生活を省みる事もなくただ単に、それを当然のように享受して日々を優雅に暮らし、金を湯水のように注ぎ使うだけの王妃ならばフランス王妃マリー・アントワネットにように民の信頼を失い、最後には処刑されても文句は言えまい。


 紗霧は彼の王妃の名を伏せ、このような人物がいたということを書物で読んだ遠い国の話として掻い摘みウィルフレッドに語った。


「―――だから俺はそう考えるわけ。もちろんこれは俺の一個人の考え方であって、ウィルの考えを否定することも俺の考えをウィルに押し付ける事も出来ない」


 でしょ?と紗霧はウィルフレッドに同意を求める。
 同意を求められたウィルフレッドは無言で頷いた。


「・・・ただね、ある領主の残した言葉があるんだけど。―――それは『受け継ぎて国の司の身となれば忘れるまじきは民の父母』ってね。・・・凄いよね。それがとても難しいなんて事は誰もが知ってる。『忘れるまじき』なんて、単に言葉にするだけならば簡単かもしれない。でも、この言葉を掲げて実行しようとするその姿勢が大切だと思うんだ。そして民に対してどのような姿勢を持って政に挑むかはその時代の王次第」


 王の治世を善政だったのか悪政だったのかと判断するのは後世の人々だが、わざわざ自分の国を頽廃に導こうとする王なんていないはずだ。
 ならば王は自らが正しいと思った道を真っ直ぐに見据えて進まなければならない。もちろん苦言を呈する家臣の言葉に耳を防げという事ではないが。


「でもそれは王だけの孤独な闘いじゃない。王は一人じゃない。何故なら王の一番の味方が常に伴侶として側に寄り添っているんだからね。伴侶として選ばれた女性には国のもう一人の要として、そしてより良い国を創り続けようと努力する王を同胞として支え、時には疲労した王を癒し共に民の理想とする国家を創る手助けしてほしい。結局は理想論かもしれないけど、俺はそれが王妃の務めだと思うよ。だから贅沢に遊ぶとか、思う儘という考え方に俺は賛同出来ない」


 紗霧の長い話にティーカップに注がれた紅茶は既に冷めてしまったが、ウィルフレッドも紗霧も気に留めない。
 ウィルフレッドは紗霧の言葉に、ただ静かに耳を傾ける。


「誰もが熱弁を振るって偉大だと語る前王の息子が選ぶ伴侶なんでしょう?ならばきっと、民の信頼を踏みにじるような妃を皆が敬愛した人の息子が選ぶとは思わない」


 ある日、これはここだけの話なのだが、とグレイスは静かに紗霧に語って聞かせた。
 実は前王はこれまでに精力的に民の為にと力を振るってきたが、晩年にはその力も衰え、殆ど成すべき事が見えていなかった、と。しかし前王は崩御する直前まで素晴らしい功績を上げ続け、そして終にこの世を去った。
 ここで一つ疑問が残る。晩年は殆ど成すべき事が見えていなかった前王が何故功績を上げ続ける事が出来たのか、と。
 その答えは簡単だ。前王の名を人々の中で何時までも『偉大なる王』であったという記憶として残す為に、誰にも悟られる事なく前王の政策を密かに陰から支えていたのが王子だった、とグレイスは王子の行った事の全てを理解していたようだ。


「―――だから俺は王子を信じるよ」


 グレイスさんが話してくれた通りの人物ならば大丈夫。きっと素晴らしい王妃を選ぶだろう。
 最後までウィルフレッドの視線から瞳を逸らすことなく紗霧は語る。その瞳の奥には、嘘偽りの無い本心だというように強い意思の光が煌いていた。


「・・・・・・・信じる、か」


 ウィルフレッドはふっと、紗霧を見つめていたその視線を和らげる。


「あ、もちろん俺だけじゃないよ。グレイ――お父様もそれに民も、きっとデルフィング国の新王となられる王子が国を良い方向へと導いてくれるって信じてるよ」


 先ほどまでの真剣な表情とは違い、紗霧は照れくさそうに笑った。
 顔を赤らめた紗霧をウィルフレッドはこれまでに見た事のない柔らかい笑みを浮べて見つめる。


「初めてだな・・・」

「え?」


 ウィルフレッドのその小さな呟きは、紗霧の耳に届かなかった。紗霧は首を傾げ、ウィルフレッドに何?と再び問う。


「・・・いや、王子の事を『信じる』と話す言葉を今初めて耳にした。―――この国の王子はどちらかといえば家臣からは信頼されていない。今の上層部は前王時代からの家臣であり、その前王を慕って集った。だからこそ、前王に何かと反発し続けた王子に良い印象を持っていない」

「・・・・・・・」

「だが・・・そうか。期待してくれる者もいるのだな」


 くくく、とウィルフレッドは突然笑い出した。
 笑い出した理由が解らない紗霧は、ウィルフレッドに対して戸惑いを隠せない。


「・・・うぅ〜。人が真剣に話したのに、何でそこで笑うかなぁ」


 紗霧は唇を尖らせる。そんな紗霧を見たウィルフレッドは、とうとう机に突っ伏すとお腹を抱えて爆笑した。
 ムッとした表情で紗霧はテーブルの上に置かれたティーカップを取ると、冷めた紅茶を乾いた口内を潤す為に一気に飲み干す。
 紅茶は冷めてはいたもののそれでも変わらず美味しく、紗霧の表情は再び柔らかくなった。


「あ、この事は誰にも言わないでね。俺とウィルの二人だけの秘密だ」

「秘密って、俺も仲間に入れてくれない?」

「――え??」


 突然背後から上がった声と共に、紗霧の右肩を抱くようにして手が伸ばされた。









                                            update:2006/4/25






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