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 午後を過ぎた修練場では、全体で一斉に鍛錬を行っていた午前中とは異なり、各人で己の得意分野を更に磨く為に鍛錬する者や苦手分野を克服する為に鍛錬する者等がすべき事を行っていた。
 だが黙々と己を鍛える兵士達から少し離れた広場には、何やら殺気めいた気配が漂う。
 気配の元を辿ると、そこには白い簡素なドレスの裾を膝丈で縛り上げ、更にヒールのある靴を脱ぎその白い素足を曝す紗霧と、周囲の兵士と同じ隊服に身を包んだウィルフレッドが片手に木剣を持つと互いにそれを交えていた。
 そこにカーンっと一際高い音が響く。その音は紗霧が手にする木剣が弾き飛ばされた音であった。
 ウィルフレッドが左横から紗霧の手に持つ木剣に向かって勢いよく打ち込んだようで、弾き飛ばされた木剣は次の瞬間カランという音と共に地面に転がる。


「だぁぁああぁあぁぁ〜〜〜!!何でこんなにやってんのに勝てないんだよ!?」


 紗霧は剣を弾かれた所為でジンっと痺れる右手を左手で掴んだ。痺れを取るためか何度も拳を閉じたり開いたりと単純な動作を繰り返し、最後に2度ほど上下に振る。


「残念だったな」

「・・・・・・何だよその余裕。そうやってるのも今の内だからな!」

「そうか?シュリアが私に勝つことが出来るのは、後100年はかかると思うのだが」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それって生きている内は一生ウィルに勝てないって事かよ」

「どうだろうな」


 ウィルフレッドは挑戦的に目を細め、口元に笑みを湛える。その仕種は、男前なウィルフレッドがやると様になり、それを見るたびに紗霧は微かな嫉妬を覚えた。


(剣の腕も強くて、男である俺の目から見ても贔屓なしに格好良い。性格は・・・・・まぁ最初はこんな奴!とは思ったけど、この一週間付き合っていると本当は良い奴だと解ったしね。・・・って、完璧じゃんよ。うぅぅううぅ〜)


 『格好良い』という単語は、その言葉と無縁な外見をもつ紗霧には一生に一度だけでも言われてみたい言葉であった。


(『天は二物を与えず』っていうけど、ウィルに限っては三物も四物も与えすぎだよ・・・)


 はぁ、と紗霧は肩を落として溜息を吐いた。だが、その姿を見て動揺したのはウィルフレッドである。


「す、すまないっ。先程の言葉はちょっとした冗談だ」


 がっくりと落ち込んだ紗霧を見て、ウィルフレッドは先程自分が放った言葉の所為で紗霧が気を落としたと思い慌てて訂正する。
 紗霧が俯いていた顔を上げると、そこには動揺した様子のウィルフレッドが目に映った。
 すぐさま『違う!』と訂正をしてもよかったのだが、紗霧の中でウィルフレッドに対する悪戯心がムクムクと湧き上がる。


「・・・あー、ホント。傷付いた。ウィルって酷い奴だなぁ〜」


 紗霧は右手で涙を拭う振りをして再び俯いた。そうでもしないと、押さえようとしても押さえられないニヤケた口元がウィルフレッドに見られてしまうからだ。


「本当に私が悪かったっ」


 そんな紗霧を見て、ウィルフレッドは更に動揺する。ウィルフレッドの動揺した姿を見た紗霧は、込み上げてくる笑いにとうとう堪えきれなくなり、肩をふるふると震わせ始めた。


「あぁ泣くな」

「・・・・・・・―――――ぶはっ!!!!!も、もう駄目!!」


 突然お腹を抱えて笑い出した紗霧に、ウィルフレッドは呆然とする。紗霧はその場で立ち続ける事が困難になるほど笑いを深め、とうとう膝を折った。始めは呆気に取られていたウィルフレッドも紗霧の様子から徐々に状況を把握したようで、両手を腰に当てると溜息を吐く。


「まったく、この悪戯娘が」


 だが、そう言い放つウィルフレッドの口元は微笑を浮かべていた。


「・・・何時まで笑っているのだ。ほら、休憩にするぞ」


 次第に笑いが収まりつつある紗霧の肩をウィルフレッドはポンっと軽く叩くと前へと促した。


「―――っはは・・・、って、えぇ??ウィル、今日はまだこっちに居られるの?」

「ん?まあな、そんなに遅くまでは居られないが」


 紗霧がそう聞いた訳は、修練場に通い続けることを心配するリルを何とか説得してこの一週間紗霧は修練場に通い続けているのだが、大抵は午後を過ぎると自分の仕事があるとかでウィルフレッドはこの場を去った。
 既に午後を回った今日も、何時もならばウィルフレッドが自分の仕事に戻る時間帯なのである。だが、どうやら今日は違うようだ。


「ほら、行くぞ」

「う、うん」


 紗霧は慌てて縛り上げているドレスの裾を下ろし、ヒールのある靴を履くと背中に手を添えるウィルフレッドに促されるまま足を進めた。




***




「あ、これも美味しい〜」


 初めから紗霧と休憩を取ると決めていたのか、ウィルフレッドはこの時間帯に来るよう指示していたという城に仕えているメイドを呼び寄せ、修練場から離れた木陰に午後のティータイムを味わえる簡素なセットを作らせた。
 真っ白なテーブルクロスが敷かれたテーブルの上には、見たこともない色とりどりのお菓子が並べられており、紗霧は夢中でそれらのお菓子を堪能する。
 美味しそうに頬張る紗霧をウィルフレッドは楽しそうに眺めていた。だが、ふと何かを思いついたのか、ウィルフレッドは静かに口を開く。


「ところでシュリア、毎日修練場に通っているがよいのか?」

「ん?どういう意味??」


 最後の一口を口の中に放り込み咀嚼していた紗霧は、顔を上げるとウィルフレッドの質問の意図を掴めずそのまま首を傾げる。


「あぁ、すまない。質問の意味が解らなかったか。――要するに、他の娘達同様に王子の歓心を買わなくてもよいのかと聞いたのだ」

「・・・気のせいか、どこか含みのある言い方だね・・・」

「事実だ」


 シレっとした顔で辛らつな言葉を吐くウィルフレッドに紗霧は苦笑が洩れる。
 仮にも王となる者の伴侶候補である4人の女性に対してそのような言い方は拙いのでは、と紗霧は密かに思うのだが、笑みもなくカップに口をつけて紅茶を味わうウィルフレッドには、それはどうでもいい事らしい。


「う〜〜〜ん、そうだなぁ・・・」


 まさか王子が自分に構うから逃げてきたなんて例え口が裂けても言えないし、などとウィルフレッドの問いにどう返答すべきか紗霧は両腕を組むとウムム〜と唸る。
 そんな紗霧をチラリと見たウィルフレッドは更に言葉を続けた。


「欲はないのか?」

「欲????」


 欲とは何ぞや?と更に首を傾げた紗霧に、ウィルフレッドは頷く。


「そうだ。王妃ともなれば一生贅沢に遊んで暮らせる。何でも自分の思う儘だ。そういった欲はないのか?」

「―――は?何だそれ??一体、何時の時代の王妃だよ????」

「何だと?」


 紗霧の一言に、ウィルフレッドは目を見開いて驚いた。その言葉はウィルフレッドの予想もしなかったものだったのか、口を間抜けにもポカンと開いたまま紗霧の顔を凝視した。
 ウィルフレッドのあまりに驚く様子に、紗霧の方が戸惑ってしまう。
 すぐさま我に返ったウィルフレッドは、今度は真剣な顔をして再び口を開く。


「・・・それは、どのような意味だ」

「どうって・・・」


 本気で不思議そうに訊ねるウィルフレッドに、紗霧はどう説明したものかと頭をひねる。
 話をどこから切り出すべきかと瞳を閉じて思考していた紗霧は、目蓋をゆっくりと開くとウィルフレッドの瞳を真っ直ぐに見つめ、口を開いた。


「えっと、つまりね――」


 ウィルフレッドは紗霧の僅かに開いた口元に目を注いで、その口から放たれる言葉を待っていた。









                                            update:2006/4/22






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