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 煉瓦で舗装された道を紗霧は重い足取りで歩く。その足をまるで鉛の足枷で繋がれたように引き摺り、それでも紗霧は無理矢理足を踏み出して一歩一歩ゆっくりと前に進んだ。
 辺りは日が昇りきったようで紗霧を限り無く陽の光が照らし、その存在を知らしめる。


(あ〜・・・、今日も良い天気・・・。でも少しは俺の気持ちも汲んで欲しいな、って思うのはやっぱり我侭だよな)


 はぁ、と暗雲を背負いながら一人溜息を吐く紗霧は、明らかに周囲から浮いている。しかしこの場には紗霧一人しか居なかった為、それも特に違和感は無かった。


(それにしても・・・何て言い訳しようか。一晩寝ずに考えてもコレといった案は浮ばなかったし。己で撒いた種だからリルに相談するなんて事も出来ないし。ホント、どうしよう・・・)


 紗霧の視界に目的とする建造物が見え始めると足取りは更に重くなり、とうとうその場で立ち止まった。紗霧の部屋からここまでは約1時間程かかる長い距離だが、今の紗霧にとっては僅か10分程度の距離しか感じない。


(ん〜、昨日の俺は頭を打って何時もの俺じゃなかった、ってのは?―――駄目だ駄目だ。そんなこと言ったらすぐさま病院(あるかな?)に連れて行かれてしまう!そしたら一発で男だってバレちゃうよ!!)


 ブルブルっと紗霧は首を横に振る。


(んじゃ、昨日の俺は何者かに憑かれていたってのは?―――駄目だ、同じだよ!!どっか教会とかお寺みたいなところ(あるか??)に連れて行かれて身体を調べられたらお終いだ!!)


 あ〜でもない、こ〜でもないと頭を捻り、唸る紗霧にふと大きな影が差す。紗霧は反射的に顔を上げた。


「おわっ!!??なななななな、何してるんだよウィル!!!???」


 こんなところで、っとの紗霧の最後の言葉は、目の前に突然現れた人物がウィルフレッドだと知って驚きのあまりに声も出すことが出来ず、そのまま言葉を飲み込んでしまった。
 驚く紗霧とは反対に、ウィルフレッドは落ち着き払っている。


「何って・・・。シュリアがそこで立ち尽くしたまま動かないのを遠くから見ていたのでな。それで心配で見に来たんだが・・・。シュリアこそ先程からブツブツと何を言ってるんだ?」

「へ?お、俺??な、何か言ってたっけ??」

「いや、声が小さくて内容は聞き取れなかったが。―――何か心配事でもあるのか?」


 心の中で考えていた事がどうやら無意識に口を衝いて出ていたらしい。その事実に一瞬青褪めるが、確かウィルフレッドは内容までは聞き取れなかったという言葉を思い出して紗霧はホッと胸を撫で下ろす。


「あ、や、その、な、何でもないよ!そう、何でも!!」


 あはははは、と乾いた笑いを紗霧は洩らす。ウィルフレッドは首を傾げたが、紗霧がこれ以上内容に突っ込まれたくないという心内を瞬時に理解し話を逸らしてくれた。


「そうか・・・、ならば早く来い。皆がシュリアを待っているぞ」

「は?俺を皆が待っている??何で???」


 一瞬頭の中に『バレたか!?』という考えが巡ったが、ウィルフレッドの態度を見ていると、どうやらそれも違うみたいだ。紗霧は全く考えつかない答えに更に頭を捻る。


「何故、って」


 本当に解らないのか、っとウィルフレッドは呆れた視線を紗霧に送る。だが紗霧は知るか!と内心呟きながら、グッと悪態を吐きそうになるのを拳を握り締めて堪えた。
 ウィルフレッドはそんな紗霧の心の声を察したのか、ヤレヤレといわんばかりに肩を竦める。


「昨日あれほどの立回りを見せ、兵達を完膚無きまで叩きのめしたのだ。皆がシュリアに再戦を申し込むと鼻息を荒くして待っているぞ」

「ええぇぇえぇえぇぇぇ!!??本当に!!??」

「?嘘を言ってどうする」

「・・・だよね」


 がっくりと肩を落とした紗霧を見てウィルフレッドは訝しむ。てっきり嬉しがる姿を想像していたので、この姿には予想外だった。
 そんなウィルフレッドに構わず、紗霧は俯いて何やらブツブツと唱え始める。


(そうやって言ってくれるのは勿論嬉しいんだけど、リルに心配をかけないって約束したし。流石に・・・でも・・・うぅぅぅうううぅぅう〜〜〜〜〜)


 顎に手を当て俯き唸る紗霧に、ウィルフレッドは近づいて顔を覗き込む。


「どうした。嬉しくないのか?」

「や、嬉しいんだけどね。タイミングっていうか、なんていうか・・・」

「?」


 何を言ってるんだと、整った眉を更に寄せるウィルフレッドを見て紗霧は『やっぱり美形って悩んでいても絵になるんだな』と思わず別の事を考えてしまう。紗霧はそんなウィルフレッドをジィっと穴が開きそうなほど見つめた。


「?私の顔に何かついてるか?」

「ふぇ?あ、あぁ、えっと、何でもない!」


 思わず魅入ってしまったなんて口が裂けてもウィルフレッドに言える筈も無く、紗霧は慌てて話を逸らす。


「じ、実はね、俺の身の回りの世話をしてくれてるリルって子と約束したんだ。これ以上心配をかけないってさ」

「シュリアに怪我を負わせてしまう様な素人は親衛隊には居ないが」

「それは凄い!・・・じゃなくて、ん〜と・・・、そう!それに俺が王子の妃候補者なのに、ここに居るなんて事がバレたら拙いしさ!!」

「あぁ、それはもう遅い」

「―――は?」


 即答したウィルフレッドの言葉に、紗霧は一瞬その言葉を理解する事が出来なかった。何度もウィルフレッドの口から出た言葉をリピートすることで、やっとその意味を頭で理解する。


「おおおおおおおおおおおお、遅い!?何で!!!???どうして!!??」

「どうしてって、王子の耳には既に届いている」


 何でもない、とばかりのウィルフレッドの口調に、紗霧はもしかしたら幻聴を聞いたのではないかと思い始める。そしてその言葉をもう一度確かめるべく、紗霧は恐る恐る震える口を開いた。


「うううううううううううう、嘘、だよね!?じょ、冗談でしょ??」

「冗談ではなく真実だ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・終わった」


 一晩中、何て言い訳をしたら王子の耳に届かないかと寝ないで考えたのに、もう報告済みだとは。
 紗霧は身体を支える足の力が抜け、ガクンと地面に座り込むところだったが、力の抜けた紗霧をウィルフレッドが慌てて腕を掴み支えた。
 放心した紗霧の顔をウィルフレッドは再び覗き込む。


「何故だ?」

「何故って・・・仮病だってことバレているんでしょ!?あぁぁああぁぁ〜〜流石に嘘は拙いよ!!」

「大丈夫だが?」

「・・・・・・・・・・・は?ウィルさん、今何て言いました??」


 ウィルフレッドの変わらぬ声音に、紗霧は再び幻聴を聞いたのではないかと己が耳を疑う。だがウィルフレッドは自分を凝視する紗霧の視線を真っ向から受け止め、逸らすことなく紗霧を安心させるかのように頷いた。


「大丈夫、と。ここに滞在する間は、どの様な事をしようがシュリアの自由だと言ってたな。当然ながら幾つかの約束事はそのまま継続だが」


 約束事とは王子に扮したアークライトが告げた@外部と連絡を取ってはならない事A妃候補者は、互いの部屋に出入りしない事B王子の暮らす棟へ足を踏み入れてはならない、である。
 つまり、この3つを守れば自由にしてもいいと、ウィルフレッドに言葉を残していると紗霧は理解した。


「・・・その言葉、嘘でもなくて本気の本気?」

「あぁ」

「・・・・・・だったら俺は何の咎めもなし?」

「そうだな」

「・・・・・・・・・また修練場に行っていいって事?」

「つまり、そういう事になるな」


 紗霧のしつこく何度も確認する言葉に、ウィルフレッドはニヤニヤと笑いながら根気よく答える。質問を次々とぶつける毎に、紗霧の眼には以前の生気が戻っていった。


「っっっっしゃ!!!!!!!!!!!」


 この場で今にも躍り上がらんばかりに、紗霧は喜びに満ち溢れていた。
 地面に座り込もうとしていた紗霧を支えているウィルフレッドの腕の中から立ち上がると拳を握り締め、それを高く掲げた紗霧は何処から見ても貴族の娘ではなかったのだが、ウィルフレッドの前では今更だろう。
 紗霧はバッとウィルフレッドの顔を見上げると心の底から湧き上がる嬉しいという感情をその顔に表し、ウィルフレッドに向けた。


「あのさ、あのさ!俺、又ウィルと剣を交えたいんだ!!」

「私もだ」

「それでね、それでね、俺に挑戦してくる人とも又闘いたいんだ!!」

「それは奴等も喜ぶだろう」

「―――そっか!!」


 えへへ〜、と紗霧の満面の笑顔を見つめ、ウィルフレッドは眩しそうに目を細めた。


「そうと解ればウィル!こんな所でボサっとしてないで早く行こう!!ほら!!」

「あ、あぁ」


 ウィルフレッドのその右腕を取ると、紗霧は走り出すかのようにウィルフレッドを引っ張って行く。ウィルフレッドも紗霧に腕を取られた事を嫌がるのではなく、苦笑しながらも駆け出す紗霧に歩調を合わせ、同じように駆けて行く。


(リルには申し訳ないけど、後でちゃんと話し合おう!又心配をかけるけど、これだけは譲れないもんな!!)


 紗霧は一先ずリルとの約束事を頭の隅に追いやり、今はウィルフレッドや兵士達と闘うという事だけが頭を占めていた。









                                            update:2006/4/16






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