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 夜空は雲一つない晴れた天だった。遮るものがない所為か、中天にかかる月は城の中まで余すとこなくその銀色の光を照らす。
 だが、執務室の机に向かうウィルフレッドの手元は月明かりでは不十分である為、燭代に置かれた蝋燭によってその手元は明るく映し出される。
 ウィルフレッドは机に積まれた書類の山から順に書類を取ると素早く目を通し、それにサインをすべくペンを走らせる。物凄い速度で次々と書類を片付けていくウィルフレッドによって、机に重ねられた書類の山は見る間に減っていった。
 ペンを滑らす音と紙を捲る音のみが静かな執務室を支配する。
 その静けさの中、部屋にコンコンと扉を軽く叩く二つの音が響く。


「ウィル、入るよ」


 部屋の外から声がかけられたと同時にウィルフレッドのいる執務室へと入室した者はアークライトであった。アークライトはウィルフレッドの返事を待たずに扉を開け入室すると、一直線にウィルフレッドへと近づく。そのアークライトの手には1センチ程の厚みのある資料を携えていた。ウィルフレッドは手に持っていた羽ペンをカタンと置くと両手を組み、顔を上げる。


「で、どうだ?」

「・・・全く駄目。進展はなしだよ。ほら」


 ウィルフレッドはアークライトが此処へ来た目的が何かを察知し、先に己から話を切り出した。アークライトは世間話もなしにすぐさま本題に入るウィルフレッドに肩をすくめただけで、早速携えた資料をウィルフレッドに手渡す。ウィルフレッドはそれを受け取るとパラパラと紙を捲り始めた。


「結構痛めつけているんだけど、今のところ一切口を割らないよ。グレイス公爵の娘であるシュリア嬢とローデン公爵の娘イリス嬢の二人を攫おうとした目的も理由もさっぱり。この時期にウィルの妃候補者である二人を同時に狙うって事は何かしら思惑があるはずなんだけど・・・」


 アークライトが差し出した資料の内容は、デルフィング城の一歩手前で紗霧をかどわかそうとした男と、紗霧と同様にウィルフレッドの妃候補者の一人であるローデン公爵の娘イリスをかどわかそうとした男の取調べ報告書だった。
 資料にざっと目を通したウィルフレッドはアークライトの言葉通り、何ら進展がないことを示す文字を報告書の中から読み取る。


「引き続き吐かせろ。だが死ぬことのない程度にな」

「解ってるよ」


 ウィルフレッドは報告書を机の上に乱暴に投げ置いた。全く進展のない報告書に溜息が出る。そんなウィルフレッドにアークライトは、後――と言葉を続けた。


「セオドアから今日の報告を受けたけど・・・、修練場で何か変わったことあったろ?セオドアは何も言わないけどね。毎度どこか抜けてるセオドアなんだけど、気の所為か今日は何時もよりそれが顕著なんだよな」

「・・・そうか」


 ウィルフレッドはアークライトがいう何時ものセオドアと違う訳を当然ながら知っている。セオドアと別れる直前までの、彼の肩を落とした後ろ姿を思い浮かべ苦笑を漏らした。


「心辺りあるってとこだな?」

「あるな」

「何があった?もちろん隊長の俺としては知る権利があるよね」

「そうだな。・・・・・簡潔にいうなら私を投げ飛ばし、アークの部下を徹底的に叩きのめした者がいたってだけだ」

「投げ飛ばされた?ウィルが!?それに俺の部下もって・・・、一応俺の兵はお前の腕には劣るけど、ウィルの親衛隊っていう事で選りすぐりの連中を集めたつもりだ・・・。―――誰にやられた」


 ニヤニヤと笑うウィルフレッドとは逆に、厳しい表情をするアークライトの声は堅い。当然だ。己の選んだ部下が敗れたのみならず、王族でありながらもその腕前はデルフィング国内のトップレベルであるウィルフレッドもその者に投げ飛ばされたというのだから。
 アークライトは己の思いつく限り、そんな武術に長けた者が城内にいただろうかと考えを巡らす。
 だが、ウィルフレッドの次の一言によってアークライトはその思考を停止させた。


「シュリアに」

「シュリアって??・・・・・・・・・・・・・ま、まさかシュリア嬢!?」

「そうだ」


 アークライトの整った顔は見事なぐらい崩れ去った。ウィルフレッドの放った言葉を脳内で何度もリフレインし、長い時間をかけてその言葉の意味を理解する。


「はぁぁ!?何で、病気で臥せっている筈のシュリア嬢がウィルを投げ飛ばす事が出来て、尚且つ俺の部下まで叩きのめされるんだよ!?ウィル、まさかと思うがお前〜〜」

「ああ、確か病気で臥せっていると報告を受けていたな。・・・おい、何を勘違いしているのか想像が付くが私は潔白だ」

「だよな。いくらなんでもウィルが手を出す程の子じゃ・・・。〜〜〜俺の所に来ないと思ったらウィルの所へ・・・。ちぇ。お蔭で面白くない――って、だから何でシュリア嬢がそんな事できるんだよ!?」

「面白く?――・・・まぁいい。実はな――」


 ウィルフレッドは修練場で起こった全ての出来事をアークライトに話し聞かせた。アークライトに語りながらも、改めて紗霧が見せた武術に対して関心を寄せる。何せ紗霧が繰り出した武術は、ウィルフレッドが己の知る限りでは始めて目にする型であったのだ。少しでも腕に覚えのある者はそれに興味を抱かずにはいられない。


「ふ〜ん、成る程。俺が必死にウィルの代わりを務めている間に、ウィルは楽しくシュリア嬢と遊んでいたってわけだ。ほぉ〜〜〜〜〜〜」

「否定はしない」


 羨ましげに見つめるアークライトに、見せつけるかのようにウィルフレッドはニッと意味深に口角を上げる。アークライトはそんなウィルフレッドの態度に地団太を踏んだ。


「羨ましい!あ〜〜、××ッ。こんな事になるんだったらウィルと代わるんじゃなかった。こんな面白そうな事を逃すなんて!!」

「残念だったな」


 やっぱり悔しい、とアークライトは溜息を漏らす。紗霧とは謁見初日に会ったのみだが、その印象は僅かながらでも鮮明に残っている。
 何といっても誰もが見惚れるだろうと自負していた笑みから、露骨に目を逸らした唯一の人物だ。アークライトはそんな初日の紗霧の態度を思い浮かべる。


「でもやっぱり、シュリア嬢って面白いな」

「?どういうことだ」

「ん?あ、んん、何でもない。だけど実際問題、お前を投げ飛ばせる程の武術を習得した女の子がいるなんて信じられないな」

「・・・そうだな。遊びにしてはシュリアの武術は本格的すぎる。普通の娘があれほどまでに習得する理由が解らない」


 実際に紗霧があそこまで極める事が出来たのは単なる趣味であったのだが、到底そんな考えに思い当たる事が出来ないウィルフレッドとアークライトは二人して唸る。


「―――偽者って可能性は?」

「まさか!グレイス公爵がそんな大それた事をするのは考えられない」

「ま、ウィルがそういうなら俺はこれ以上何も言わないよ」

「・・・・・・・・・うむ」


 ウィルフレッドは顎に手をやり暫し思案する。
 アークライトの言葉を完全に否定する事が出来ない己がいることに気付く。多少なりとも疑うべき余地があればウィルフレッドはそれを見過ごす事は出来ない。そうやって小さなしこりを残した事によって、命を落とした者は数えきれないのだ。
 まさかと思いつつもウィルフレッドは一つの決断を下す。


「ならばシュリアの事を密かに調査させよう」

「その方がいいよ。疑いの芽は少しでも刈り取らないと。と言っても俺は、シュリア嬢から何も出ない事を願うよ」


 ウィルフレッドはその僅かな疑いの芽を否定しながらも、どこまでも己の中で拭い去る事が出来ない違和感に眉根を寄せていた。









                                            update:2006/3/12






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