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「ははは・・・、やっちゃった。やっちまったよ、このヤロー」
乾いた笑いを漏らす紗霧のその目はどこか遠くを見つめていた。
紗霧は己に与えられた部屋の前で一人佇む。ウィルフレッドに修練場から部屋のある棟の近くまで送ってもらい、それから別れて部屋の前へと辿り着いたのはよいが紗霧は扉の前で立ったまま何時まで経っても部屋の中へ入ろうとはしなかった。
何故なら今、自分がどれほど悲惨な格好をしているかを自覚している為にリルが待つ部屋の中へと入る勇気がなかったからである。
(リルにこの格好の事を何て説明しよう・・・。はぁ・・・)
紗霧はガックリと項垂れる。
ウィルフレッドと手合わせた後、予想外に周囲に暖かく受け入れてもらえたのは嬉しかった。興奮冷めやらぬままウィルフレッド以外の者が次々と紗霧に対して挑戦を申し出たのを暫し休憩を挟んだ後、調子に乗ってそれらの申し出を全て受け入れ全勝するという快挙を成し遂げたのも気持ちが良かった。
しかし、その熱が冷めた今となっては、己の仕出かした行為がどれ程までに自分の首を絞めるかという事に思い至ると今度は逆にザァっと血の気が引く。
だが今、目の前に直面している問題は紗霧のイメージに合わせて作られたという素晴らしかったこのドレスが今や原型を殆ど留めていない状態をリルに何て説明するかである。
(駄目。こんな格好じゃいくら言い訳を考えても無駄だよ。仕方ない。リルには正直に言わないといけないよな。えぇ〜い!!)
意気込みとは正反対に紗霧は部屋の扉を静かにコンコンと二度程叩くと、扉をそっと押し開き恐る恐る部屋の中へと足を踏み入れた。
「た、ただいまぁ〜。リル?」
部屋の中を覗うようにして入室した紗霧に、今まで部屋の奥に居たリルが紗霧の帰りに気付いて入り口まで急いで出迎える。
「お帰りなさいませサギリさ、ま・・・・・」
正に絶句。いや茫然自失というのだろうか。
部屋へ戻った紗霧の姿を笑顔で迎えたリルだったが、ドレスが散々に裂け、尚且つ髪や顔を砂埃の所為で汚れたその姿を視界に捉えると眼を驚愕に見開き、顎が外れんばかりに口をあんぐりと開く。更に硬直したリルは、紗霧のその姿が信じられないのか何度も瞬きを繰り返す。
「あ、あのさリル。これには理由があって―――ってリル!!??」
まるで貧血を起こしたかのようにグラリとリルの体が揺れた。倒れそうになるリルに紗霧は慌てて駆け寄るとその華奢な身体を支える。意識を失ったのはどうやら一瞬の様で、紗霧に支えられたその腕の感触によってリルの意識は再び戻った。
「リル!?大丈夫!!??今医者を呼んでくるから待ってて!!」
引き摺るようにしてリルをソファまで運んだ紗霧は、リルをソファ座らせると医者を呼ぶべく部屋から飛び出そうとする。だがリルは、その紗霧の腕を震える手で掴むと紗霧が部屋から出て行くのを止めた。
「心配しないでリル。大丈夫。直ぐに戻ってくるから」
「サギリ様!!」
「なな、何??――ッ!」
どこから力が出ているのだろうか。力無く震えていたその手は紗霧の腕を掴むと、たった今倒れそうになった人物とは思えないほどの力で紗霧の腕を掴んだ。
「何て事でしょう!全てわたくしの失態です!!あれほど旦那様からサギリ様の事を任されたのにも関わらず、お一人にしてしまうなんて!」
「あ、あの、リル?痛いよ?」
紗霧を掴むその手に更に力を込めた。リルの美しい顔は今や崩れ、その瞳からは涙が膨大に流れ落ちる。
「サギリ様が何と仰ろうと、やはりわたくしもご一緒するべきでした!申し訳ございません!!わたくしはっ、わたくしはっっ」
「なななな、何か勘違いをしているんじゃ――」
「わたくし如きがこの度の責任を取るというのは痴(おこ)がましいでしょうが、せめて死んでお詫びをっ」
「りりりりり、リル!!??ちがっ、違う!!」
テーブルの上に果物と共に置かれた小さな果物ナイフを手に取ると、そのまま咽を突き刺そうとする。そのリルの手を紗霧は必死になって掴み止めた。
「・・・サギリ様。リルはサギリ様に顔向け出来ません。どうかお止めにならないで下さい」
「だから違うんだって!落ち着いて。ほら、ね。ナイフなんか危ないって」
興奮するリルの手に握られたナイフを紗霧は奪うように取るとリルの手の届かない遠くへと投げ捨てる。そのナイフをリルは床に落ちる最後の瞬間まで目で追っていた。
「サギリ様・・・」
「リル、ちゃんと説明するからっ。俺が悪かったから、頼むから危険なことはしないで」
「・・・・・・はい」
紗霧はホッと力を抜くとソファに座るリルの前で膝を着き、リルの両手を握り締めたままこの様な姿になった経緯を包み隠さず全て告げる。興奮していたリルは話が進みにつれ状況を飲み込み始めると、紗霧が見て解るほどに落ち着きを取り戻していった。
***
「では、サギリ様がこの様なお姿になられたのはご自分で行ったことなのですね」
「そう。ウィルと闘うのに邪魔だったから」
「ならば何者かに乱暴されたかという事ではないのですね」
「らららら乱暴!!??そんなことあるわけないよ!!」
そんな奴がいたら寧ろ滅多切りで返り討ちだ!!
フンっと紗霧は力を込めて拳をつくる。
「よかった、です・・・」
だが紗霧のそんな様子を見て真実だと確信したリルは、一筋の涙を流す。リルのその一筋の涙を見て、紗霧はどれ程までにリルに心配をかけたのか自覚した。
「・・・・・・・ごめんリル。又心配かけた」
「いいえ」
泣き笑いのような笑顔で沈んだ紗霧に安心させるかのように微笑む。
「ですが、どうかもう二度とこの様な怪我の元となる行為はお止めくださいませ。わたくしは心配でいてもたってもいられません」
「・・・・・・・・う、ん。」
小さく『多分』と付け加えたその声はリルの耳には届かなかった。リルは紗霧の瞳から眼を逸らさず更に言葉を続ける。
「では、二度とあの様な場所に近づかないようお願い致します」
「それは無理」
首を左右に振って即答した紗霧に、リルは悲しそうに眉根を寄せた。
「何故ですか?」
「だって、今日の出来事を王子の耳に届いたらヤバイでしょ?だから明日もう一度修練場に行ってウィル達に何か上手い言い訳を考えて口止めしないと拙いって」
「・・・そうですね」
紗霧の言う事に一理あるため、リルは渋々ながらも頷く。
一難去って又一難。自業自得という言葉を紗霧は今日ほど身に染みた言葉はなかった。
「あ〜明日、ウィルに何て言い訳しよっかなぁ・・・・・・」
取り合えずリルには何とか理解してもらえたが、一番の問題はウィルフレッドを含めた王子直属の親衛隊だった。何せ、下手をすると王子の耳にこの件がすぐさま届くという危険性がある。
紗霧は重い溜息を吐くと明日告げるウィルフレッド達が納得するような上手い言い訳を思案し始めた。
update:2006/3/9