――――24


「な、何をしている」


 ウィルフレッドは紗霧の突然の行動に狼狽えた。だが狼狽えたのはウィルフレッドだけではない。二人の試合を見守っていた者達も、紗霧が取った行動に顔を赤らめ慌てて視線を逸らす。
 紗霧の思わぬ行動によって、これまでにない喧騒が広場を埋め尽くした。だがそれらの周囲の声に紗霧は耳を傾ける事ない。一心不乱にドレスのスカート部分を膝上までスリット状に裂き、そしてドレスに付いている余分な装飾品及びデザインとしてのレースを乱暴に取り始める。


(グレイスさん、シアナさんそしてドレスを作ってくれた職人さん。大事なドレスを破いてしまってご免なさい。でも、どぉぉぉ〜〜〜してもあの野郎に負けたくないんです!!!!!!)


 胸中でご免なさいと何度も謝罪しつつ、だが紗霧のドレスを裂くその手は速度を緩めることはない。
 ビィィと高い音をたて、勢いよく裂ける布の音が騒然とするこの場に高く響いた。ドレスが裂けるたびにその部分に縫い付けられた幾つもの小さな飾りがパラパラと雑草一つ生えてない乾いた地面に転がっていく。
 そして紗霧は膝上まで裂いたの布の一方を立ち回る時の足の捌きに邪魔にならないよう固く結んだ。更に装飾品として首に巻いている桜色の花のコサージュが付いたリボンを外し、それを風でなびく長い髪を後ろで一つに纏める。
 最後の仕事として、履いていた3センチ程のヒールがある靴を手で脱ぐと後ろに放り投げた。これで全ての用意は整う。

 作業を終えた紗霧がウィルフレッドを見ると、紗霧の一連の行動に眼を見開いたまま茫然と立ち尽くしていた。紗霧は知らなかったが、この世界で女性の素足を晒す事なんて考えられない事なのである。それを紗霧は膝上まで素足を曝したものだからウィルフレッドを始めとする皆が驚愕するのも無理はなかった。


「俺はまだ地面に膝を着いてないし、負けも当然認めてない。試合は続行だ」


 未だ呆然としているウィルフレッドに対して挑戦的に言葉を投げ付ける。
 紗霧の言葉でハッとウィルフレッドは我に返ると放たれた言葉の意味を理解し、大きく息を吐いた。


「・・・馬鹿な事を。武器を手放した時点でシュリア嬢に勝機はなくなった。大人しく状況を呑みこんで負けを認め――」

「認めない」

「・・・・・・」


 きっぱりと言い切った紗霧にウィルフレッドは、今度は呆れたようにため息を吐くと首を左右に振った。


「怪我をしても知らないぞ」

「余計なお世話」


 紗霧はハンと鼻息を強くしウィルフレッドの忠告を聞き流す。そして拳をつくり両腕を構え上げると、素早く周囲に視線を巡らした。


(俺の木剣は・・・あぁ〜・・・・・・、セオドアさんのとこまで飛ばされたか。俺に向けて投げてくれないかなぁ。・・・あれじゃ無理か)


 ウィルフレッドの後方に立つセオドアは、何故か先程の立ち位置から手を差し出した動作のまま硬直していた。あれから一動作もしてないのだろう。まるで凍り付けにされた人間のようにその場に立ち尽くしている。
 紗霧はセオドアが手を貸してくれないかなという希望的観測を早々に諦め、再び周囲に視線を巡らす。


(―――駄目だっ。武器になるような物はセオドアさんの側に落ちている木剣だけ、か。あ〜〜ぁ、もう!仕方ない!!)


 紗霧は地面を右足で蹴ると、物凄い勢いでウィルフレッドに直進した。今度こそ邪魔にならないドレスの裾に紗霧は満足し、先ほどの鈍い動きをしていた者とは別人のように切れのある動作でもってウィルフレッドに全速力で向かう。
 ウィルフレッドは己に直進してくる紗霧を迎え撃つ為に木剣を構えようとするが、しかし紗霧が何も武器を手にする事のない状態だということを思い出し、木剣を構える事を逡巡する。
 紗霧はそのウィルフレッドの迷いの隙を見つけるとニヤリと笑った。


「ば〜か、甘いんだよ、っと!」


 ウィルフレッドは慌てて木剣を構えるが、瞬間己の視界から紗霧が消える。


「何!?っ!」


 ハッとウィルフレッドが気付くと己の左顔面の直ぐ側に紗霧の色白な膝が迫ってくる。咄嗟に木剣の持っていない左手でガードするが、やはり少なからず左腕にダメージは受ける。ウィルフレッドが痛みに顔を顰めている隙に、紗霧は落ちている木剣に向かって走り出した。


「しまったっ!」

「これで、勝負は判らなくなっただろう?」


 セオドアの側に落ちていた木剣を拾い上げると紗霧は一振り払う。
 余裕を見せるかのような緩慢な動作で再び木剣を構え直した紗霧は、縛った長い髪を風になびかせながら、ウィルフレッドに挑発的に笑んだ。


 見守る兵士達は風のように素早く動き、目に見えない程何度も繰り出す紗霧の剣戟に眼を奪われ、そしてその紗霧に向かって雷が走るかの如く鋭く繰り出すウィルフレッドの剣戟に息を呑む。
 再び始まった二人のこれまでにない激しい打ち合いに、皆は声を枯らしながらも腹の底から声を上げ声援を送る。あまりにもハイレベルなその戦いに誰もが拳を奮わせた。


「〜〜〜っち!これでどうだ!!」

「甘い、なっ!」


 死角から繰り出した紗霧の剣先を上から振り上げた木剣で叩き落したウィルフレッドはそのまま紗霧に向かって木剣を突き出す。


「それはこっちの台詞だ、っての!」


 紗霧は己に向かってくる剣先を叩き落された木剣そのままの勢いを利用し、下から腕を持ち上げて薙ぎ払う。だが、その勢いが拙かった。二人の持つ木剣は同時に手からスポっと抜け、それぞれの木剣は集まった兵士の輪の中へと飛んでいってしまう。
 飛んでいった己の木剣の軌跡を目で追っていた二人だが、互いに木剣を取りに行くなんて事は頭にない。視界から消えた木剣を確認すると視線を互いに戻し、二人はバッと瞬時にして互いに距離を取った。紗霧とウィルフレッドは何故か何も手にしてない両腕を持ち上げ構える。


「・・・へぇ、もしかして同じ事を考えてたりして」

「かもな。だが、今度こそ私の方が有利だな」

「だから、その考えが甘いんだって」


 何の合図もなく二人は同時に走り出した。だがやはり体格の差だろうか。紗霧は右拳をウィルフレッドに打ち込んだがウィルフレッドの大きな手で掴み取られる。ウィルフレッドはそのまま紗霧の背後に回りこむと地面に押さえつけようと紗霧の足を払い体重をかけた。
 だが次の瞬間、地面に押さえ込まれていたのはウィルフレッドの方だった。


「くっ!!」


 ウィルフレッドは痛みに顔を顰めた。己の身に起きた事を知ることもないまま地面に叩きつけられる。


「な、何だ??ウィルフレッド様に何が起こったんだ?」


 取っ組み合い見ていた兵士達もウィルフレッドが何故地面に叩きつけられたのか解らず騒然となる。ウィルフレッド自身も己の身に何が起こったの理解できないようで、その場から動くことが出来なかった。
 周囲の目に映ったのは、背後に回られ足を払われた紗霧が地面に押さえ込まれるかと思った寸前に、その掴まれた右手を高く上げ掌を返しながら体全体を転換させた一連の姿。そして次の瞬間に見たものが、何故かウィルフレッドが地面に叩きつけられた姿だった。


「これは俺の勝ちでいいのか?おい、ウィル。大丈夫か?」


 膝ではなく背中をついたウィルフレッドに向かって右手を差し出す。以前状況が掴めないのかウィルフレッドは差し出された紗霧のその右手をじっと見つめたまま微動だにしない。


「・・・何をした」

「何って、ただウィルを地面に叩きつけただけだろ?」

「違う!そういうことを聞いているのではない!」


 俺の答えに不満ってとこか?ま、当然だな。
 紗霧はにんまりと満足そうに微笑んだ。


「・・・もう一度だ」

「いいよ。んじゃ、最後に起き上がれなかった方が今度こそ負けって事で。ふふ〜ん、又地面に寝転ぶのはそっちだから」

「・・・・・・どうかな」


 開始の合図もなく紗霧達は再び組み合う。先程、紗霧に押さえつけられた事で紗霧を甘く見ていたその目が覚めたのか今度は流石に先程よりはてこずる。
 でもやはり地面に押さえつけられたのは紗霧ではなくウィルフレッドだった。






 あれからどれくらい二人で組み合っただろうか。紗霧は腕を持ち上げることが出来ない程に体力を消耗していた。紗霧とは正反対にウィルフレッドはまだ余裕そうだ。呼吸も全く乱れていない。綺麗についた筋肉はやはり鍛えている証拠なのだろう。
 最後の最後で紗霧はウィルフレッドによって地面に倒された。負けまいと紗霧は立ち上がろうとするが、足がガクガクと震え再び立ち上がる事は出来ない。―――つまり、紗霧の負けだ。


 紗霧は一人地面に座り込むと、その荒い呼吸を整えていた。
 ウィルフレッドに『負けた』という事実に瞳が潤む。


(悔しいっ。ここまでやって最後に負けるなんて!××っ!!)


 受け入れがたい事実に紗霧は蹲ったまま顔を上げることはなかった。激しい取っ組み合いだったが、被った鬘はずれてはいない。しかし一つに括った髪は半分解け顔に軽くかかる。
 がっくりと項垂れる紗霧の耳に何故かパチ・パチとまばらに手を叩く音が聞こえてくる。訝しげに涙で濡れた瞳を拭い重い頭を上げ周囲を見るとそれは兵士達が手を叩く音で、それはすぐに割れんばかりの盛大な拍手へと変わった。


「え?えぇ??な、何???」


 最後の力を振り絞って何とか立ち上がり辺りを見渡す。


「よく健闘しました!」

「小さな身体で懸命に戦いました!素晴らしいです!!」

「感動のあまり私はもうっ!!うぅぅうぅう!!!!!!」


 何事かと驚き周囲の様子を伺っていた紗霧に、兵士達は惜しげもない拍手と賛辞を送る。
 小さな身体で大人相手に、女の身でありながら(もちろん紗霧は男)男であるウィルフレッド相手に互角に健闘したとみている周囲にとって、紗霧は今や英雄扱いだ。
 止まない拍手の中、ウィルフレッドはゆっくりとこれまでに見た事がない爽やかな笑顔を向けながら紗霧に近づくと右手をスッと差し出す。


「馬鹿にしてすまなかった。シュリア嬢・・・いやシュリア、と呼ばせてもらっていいか?私は貴方の『友』として在りたい」

「うぇぇぇええぇぇ!?い、いや、もちろんシュリアって呼ぶ事は全然構わないけど。『友』って!?」

「私の数々の無礼を許してくれるか?」

「え、や・・・許すも何も、俺だって・・・」


 ウィルフレッドの対して取った様々な態度が頭の中を高速で駆け巡る。


「あ・・・、ん。俺もゴメン。ウィル、殿には失礼な態度取った」

「ウィルで構わない。ならシュリア、私を友としてみてくれるか」

「こうやって面と向かって友として在りたいって言われるの初めてだから何か照れるな・・・。もちろん俺でよかったら」

「そうか」


 紗霧が今まで見たウィルフレッドの嫌味のような、何かを含んだような笑顔ではなく、その本心から嬉しいという滲み出る笑顔に一瞬見惚れる。


 初めの出会いが最悪だった所為で紗霧にとって印象が悪かったウィルフレッドだが、戦って初めて相手の本当の姿を紗霧は見たような気がした。悔しいがウィルフレッドという男はとても潔く、本当に格好いい男だ。友なんてこちらから願いたいくらいだった。


(―――願わくば女の格好ではなく男の格好で友達になりたかったけど・・・)


 紗霧は密かに叶わぬ願いを胸で呟くと、差し出されたウィルフレッドの手を強く握る。二人で手を握り合った瞬間、一段と強い歓声が辺りを包んだ。









                                            update:2006/3/5






inserted by FC2 system