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 誰かが『始め!』と合図をしたが、その声が紗霧に届く事はなかった。外部からの音を一切遮断し、己の目の前で木剣を構えているウィルフレッドに全意識を集中させていた為である。
 だが互いに向かい合う紗霧達に号令は必要なかった。何故なら二人が木剣を構えた瞬間から戦いの火蓋は切られていたのだから。




「・・・・・なあ、何でウィルフレッド様達はあのまま動かないんだ?」


 木剣を構え睨み合ったまま紗霧とウィルフレッドは何時まで経ってもピクリとも動く気配はなかった。今か今かと待ちかまえていたギャラリーは剣を交えない二人にとうとう焦れ、互いにヒソヒソと呟き始める。


「俺が知るかよ」


 問うた男は『だよな』と一言呟くと溜息を吐く。だが二人の後ろで会話を聞いていた男は会話の内容に苦笑を洩らした。


「馬鹿だなお前等。ウィルフレッド様達は動かないのではなくて、動けないんだよ」

「そうなのですか?」

「あぁ。よく見ろ、あの気迫を。下手をすると先に動いた方が負ける」


 二人は自分達の先輩から発せられた言葉を確かめるべく再び紗霧達を見た。始めは訝しげに見ていた二人も、流石は最難関の試験を潜り抜けウィルフレッド直属の親衛隊に選ばれただけはある。すぐさま二人から発する鬼気迫るような気迫に言葉を失った。


「あ・・・、あ」

「し、信じられない」


 突然現れた少女がウィルフレッドに試合を申し込んだ時は、誰もが『何を馬鹿な事を』と声に出さないまでも内心失笑していた。だが、今目の前に立つ少女が木剣を構えウィルフレッドと対峙した瞬間から漂い始めた底知れぬ気配に、この場に居る全員が我が目を疑ったのだ。そう、紗霧は選りすぐりのウィルフレッド直属の親衛隊員が息を呑むほどの確かな気迫を発する事が出来るのである。

 時間にしてどれ程経ったのか。痺れを切らしたように先に動いたのは意外な事にウィルフレッドの方だった。





***





 突然自分に向かって走り出したウィルフレッドに、紗霧も弾かれるようにウィルフレッドに向かって走り出す。


「くっ!!」


 重い!何て重さだ!!
 紗霧は頭上から振り下ろされたウィルフレッドの剣戟(けんげき)を両手でもって横一文字で受け止めた。木剣同士がぶつかった鈍い低音が辺りに響く。だが両手で受け止めたはずの剣戟はあまりに重く、紗霧はそのまま後方に弾かれる。辛うじて右足で身体を支え体勢を整えたが、すぐさま次の剣戟が紗霧に向かって繰り出された。


(こいつ強い!!――んの野郎っ!!)


 次に繰り出された剣戟も辛うじて弾いた。だが状況は紗霧にとって明らかに不利である。紗霧は態勢を整えるためウィルフレッドから距離をおくべく今度は自らでもって後ろに飛んだ。そして二人の間に僅かに一定の距離が出来る。
 距離をおいたままウィルフレッドの様子を見るが、すぐさま襲ってくる気配はない。今度こそ己の呼吸を整えるべく紗霧は静かに瞳を閉じた。


(・・・落ち着け。相手のペースに嵌ったら負けだ)


 唯でさえ、力・スタミナの面で完全に負けているのだ。俺がウィルに勝っているのは見たところスピードのみ。だがウィルを俺のペースに引き込めば少なからず勝因はある!
 紗霧は閉じていた瞳をゆっくり開けるとウィルフレッドを見る。ウィルフレッドは構えを解いてはないが、紗霧の呼吸が落ち着くのを待っていたようだ。紗霧にとってそのウィルフレッドの余裕は気に食わないが、ここで相手の挑発に乗ればそれこそ自分のペースを崩すだけだということは解っていた。
 紗霧は深呼吸すると右足先で軽くリズムを取り始める。

 トントトン トントトン

 ウィルフレッドは静かにリズムを取る紗霧の様子を見ていたが、再び木剣を振り上げてきた。紗霧に向かってウィルフレッドは何度も何度も重い剣戟を繰り出す。紗霧は唯黙ってひたすらそれらを受け止めた。


「どうした?受け止めてばかりでは私に勝てないぞ?」

「っるさい!解ってるよ!!」


 次第に余裕な表情を見せ始めるウィルフレッドに紗霧は力を込めて睨み付ける。だが紗霧のその睨みもウィルフレッドは目を細め口角を上げただけに留まった。


(笑っていられるのも今の内だ!―――よしっ。呼吸が読めた!!)


 誰しもどんな武器を使用しても人には必ずその人独自の呼吸(リズム)がある。力は無敵だ。だが時に、力は無くともその呼吸を読み取る事が出来た者こそが勝利の鍵を掴み取る事もあるのだ。紗霧が教わった武術はそれを基礎とする武術であった。


(今だ!!)


 受け止めてばかりだったウィルフレッドの剣戟を払うと、紗霧は右足に力を入れ反撃に出た。





***





「くっ!」


 紗霧の突然の反撃に驚いたのか、今度はウィルフレッドが紗霧の剣戟を受け止めるだけとなる。紗霧は暫く連続してウィルフレッドに攻撃を繰り出した。だが、悪い事にこの様な場面で紗霧の体力は次第に落ちていく。
 相手は5人に囲まれても余裕で勝つほどの腕前である。そんな相手に紗霧はよりによって重いドレス姿だった。当然ながら体力の消耗が早い。元々スタミナに欠けていた事も要因となった。
 剣戟を受け止めてばかりだったウィルフレッドも紗霧の体力が次第に落ちてきたのが解ったのだろう。途端に反撃の姿勢に出る。
 紗霧達は暫く互いの剣を受け止めて払い、そしてまた受け止める。そんな長い攻防が続いた。


「な、何て強さだよあの子・・・」

「一体、何者なんだ」


 静まり返っていたギャラリーが再びざわめき立つ。各々が二人の激しい攻防について議論し合っていたが何時しかそれは止み、ざわめきは次第に二人に向かっての大きな声援となっていた。


「しまった!」


 この攻防がどれほど長く続いたのだろうか。何時までも続くと思われたこの戦いに呆気ないほど簡単に幕が下りる。
 運の悪い事に、紗霧は己の長いドレスの裾を踏んでしまったのだ。足元に気を取られた紗霧のその瞬間をウィルフレッドが逃すはずはない。慌てて態勢を立て直そうとした紗霧だが、再び構えなおした紗霧の木剣はカーンと良い音を響かせウィルフレッドによって遠くに弾き飛ばされた。


「私の勝ちだ」


 ウィルフレッドは勝ち誇った顔で勝利を告げる。
 その顔を紗霧はキッと睨み付けた。


「まだ終わっていない」


 そう静かに言葉を放った紗霧は徐(おもむろ)に長いドレスの両端を持ち上げると、そのドレスのスカート部分をおもいっきり左右に引き裂いた。









                                            update:2006/3/1






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