――――20
窓から差し込む眩しかった太陽の陽光も、
昼の12時を差すこの時間帯ではやや中心に昇ったせいか周囲の温度を適度に暖めるだけとなる。
その気温が何とも気持ちよい。さらに紗霧達が寛いでいる居間の窓を全て開け放っているために、心地よい風が紗霧を吹きつけた。
鬘を被っていた為にハラリと落ちた髪の一房を紗霧は耳に掛ける。
その動作で集中が切れた紗霧はソファに座り読みふけっていた本をパタリと閉じると顔を上げ正面に座るリルを見た。
「はぁ・・・、流石に3日も部屋に閉じこもっていると体中が痛いよ」
紗霧と目の合ったリルのその表情は、紗霧を気の毒そうに見つめ返す。
紗霧が部屋に閉じ篭って3日が経つ。本来ならば、今この時間帯に紗霧が部屋に居る筈はなかった。
しかしながら、何せ初日に行われたアークライトとの謁見以来、
仮病を使ってことごとくアークライトとの接触を避けている為に紗霧は大人しく部屋に籠もっている。
その間、紗霧は部屋から一歩も出ずにリルがどこからか借りてくる本を一日中読んでいるという状況だった。
だが読んでいる、という表現は正確ではない。紗霧がこの世界の言語を習い始めたのは僅か一ヶ月くらいである。
なのでリルが持ってくる専門書に近い分厚い本は紗霧の読解力では1/4程にしか理解することが出来ず、現況は文字の羅列を目で追っているだけだった。
最初の頃は読めない文字・理解できない言葉がある度にリルに聞いていたが、いかにせん数が多すぎた。
その為紗霧はリルに対し申し訳なく思い、読み理解する事を諦め、
ただ時間を潰す為だけにその文字列を目で追うのみの状態となっていた。
体調を崩したと報告している紗霧より行動できるリルは何かと部屋から出入りしているが、
紗霧はリルと同じように出来るはずはない。
だが紗霧はまだ16歳という本来ならば活発な年頃だ。部屋に閉じ篭っているのは拷問に等しい。
かといって、妃候補である彼女達4人と共に行動する事は部屋に閉じ篭っている以上に紗霧にとって苦痛でしかない。
今以上に神経を磨り減らしてしまう。紗霧はそんなどうにもならない状況に葛藤していた。
「大丈夫ですか?」
「駄目、そろそろ限界。あ〜・・・体を動かしたいなぁ」
バサッと本をソファの上に投げ出すと立ち上がり、背筋にギシギシと痛みを感じるまで背を伸ばす。
そのまま腕をグルグルと回し始め、それを終えると足をグッと伸ばす等の軽いストレッチを始める。その様子を見てリルは苦笑した。
「ではサギリ様。散歩、というのはどうですか?」
「えぇ?仮病を使っている以上それは拙いんじゃ・・・」
「ですから少々気分が良くなったということで、新鮮な外の空気を取り入れるためとでも仰って出かけるのです」
「おぉ、成る程!それ良い考え!!よしっ、その手でいこう」
ポンっと拳を打つ。リルのその提案に紗霧はスッカリ乗り気になった。
「ではサギリ様、只今準備を――」
「いいよ、このままで十分だって。すぐ戻るし」
「では――」
「あ、ごめんリル!俺一人で行っていいかな?何も考えずにブラブラしたいからさ」
「ですが・・・」
心配そうに眉根を寄せるリル。
しかし紗霧は心配そうに見つめるリルを、自分の気晴らしに付き合せるのも何だか悪い気がしてリルの同行を止める。
「ね、お願い!」
両手を合わせ頼みこむ。その紗霧の必死な様子にリルも『一人になりたいのならば』と折れた。
「解りました。護衛の方々が護って下さると思いますが、くれぐれもご注意下さいませ」
「そんな!!??一人じゃないの??」
「いくら国中で一番安全な城内といえども、何が起こるか解りませんから。今は他の候補者方もいらっしゃいますし」
「ええぇぇぇぇ〜〜!!それじゃ気が抜けないじゃん!誰が襲ってきても返り討ちする自信あるし。
ね、一人にしてって頼んでほしいな」
「無理です」
「だからそこを何とか、さ」
ね?っと可愛く小首を傾けると、キュルンっと目を潤ませ両手を組みお願いの仕草。
ウィルフレッドにも使用したシアナから教えてもらった秘儀だ。リルにも通用するか解らないが―――。
「うっ!!・・・わ、解りました。一応交渉してきます」
どうやら効いたらしい。紗霧は内心でガッツポーズを取るとフラフラと足取り悪く部屋を出て行くリルを見送った。
***
「サギリ様。少々のお時間ならば供を付けないでもよろしいとの事です」
リルが出て行って優に小1時間は経つ。
どうやら粘って交渉してきたようだ。
リルのその表情は、使命をやり遂げたようなそんな満足そうな笑みを誇らしげに浮かべている。
「本当!?流石リル〜。有り難う!!」
「い、いえ」
リルの両手を取ると上下に振る。珍しい紗霧の満面の笑顔だ。それを真っ正面から受けたリルは眩しそうに目を細める。
「んじゃ、早速行ってくる!」
「あ!サギリ様、解っていると思いますが――」
「大丈夫!直ぐに帰ってくるよ。行ってきま〜〜す」
「はい。では、お気を付けていってらっしゃいませ」
紗霧は頭を下げるリルに手を振り、足取り軽く部屋から出て行った。
***
「えっと・・・ここってどの辺りだ?」
地図を貰ってこればよかった、っと紗霧は心底後悔する。
(想像はしていたけど、何て広い敷地なんだよ〜!
方向音痴の人の為にはならないな。・・・って、今の俺が正しく迷子ってヤツ!?)
ギャァ〜ス、と内心で悲鳴を上げ慌てて周囲を見渡すが、
どこも同じような造りの建物ばかりでどの方角から来たかが解らなくなる。流石の紗霧も己のこの状況に焦り始めた。
(どどどどど、どうしよう!!兎に角、誰か人を見つけて道を聞かなきゃ!!)
人、人、っと辺りにキョロキョロと首を巡らすが人の気配が全くない。
この広さだ。何時、どこにでも人がいるって事ではないのだろう。
益々焦り始めた紗霧だが、人通りの多い場所に出ようと勘を頼りに歩き出す。
(誰か人。取り合えず人!誰でも良いから人ぉぉ〜!!―――って、あぁ!!発見!!!!)
紗霧の勘が見事に当たったのか、微かながら遠くに人の背中が見える。
だがその背中もすぐさま視界から消えかけたので紗霧は慌ててその背中を追いかける。
本来なら貴族の娘は走ったりなどしない。
だが、今の紗霧はそんな事を言っている場合ではなかった。
この背中を見失ってしまうと、再び人に出合う事が出来るかが不明だからである。
「あ、あの!!そこの方!!お待ちください!!!!」
大声を上げた紗霧の声が届いたのか、視界から消えかけたその背中はピタリと止まる。
スローモーションのようにゆっくりと紗霧の方に身体を向けたその人物を見て、紗霧は驚きのあまり目を見開く。
「せ、セオドア殿!?」
「え?あ、シュリア様??」
紗霧が呼び止めた人物は、驚くべき事にグレイス領からこのデルフィング城までの数日を共に旅したセオドアだった。
update:2006/2/21