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 デルフィング城内で己の住処として宛がわれた棟の回廊をウィルフレッドは足早に歩く。
 ウィルフレッドが紗霧やセオドア達と此処デルフィング城へ戻ったのは今し方で、 己の愛馬を衛兵に預けると城を見上げ呆けている紗霧の傍を黙って擦り抜け城の中へと入った。

 与えられた数ある部屋の中で、 ウィルフレッドが普段から己の執務室として使用する部屋の前に差しかかると何やら中から人の気配がする。
 ここはウィルフレッドの許可がなければ立ち入ることが出来ない部屋であり、 その様な部屋に何故人の気配があるのかと疑問に思いながらもウィルフレッドは扉を開いた。


「お帰り。思ったより早かったな」


 ウィルフレッドが扉を開くと同時に、部屋の中にいた男がウィルフレッドに声をかけた。
 男は、ウィルフレッドが普段使用する執務室の椅子に腰掛けて足を組み、肘掛に肘をついた姿でウィルフレッドを迎える。 男の指先は軽く己の頬を撫で付け、その余裕ある姿は本来の部屋の持ち主と見間違えてしまうほどに寛いだ姿であった。


「・・・アーク、お前か。―――あぁ途中でセオドアに遭遇してな。連行された」

「セオドア、ね。それは災難だ」


 溜息が漏れたウィルフレッドにアークと呼ばれた男は苦笑する。

 男の本名はアークライト・ウィン・ウェイナー。
 彼はウィルフレッドの父王の姉、その子供であった。 要するにウィルフレッドにとっては一つ年上の従兄弟にあたる。 又、それだけでなくアークライトはセオドアの上に立つ者・つまり王子直属の親衛隊隊長という役職にもあった。

 ウィルフレッドの従兄弟だけあって彼の容貌はウィルフレッドと似通っている。 一目でウィルフレッドとアークライトとの間に血縁関係があると解るほどには。
 ただし、ウィルフレッドのような太陽のように輝く金の髪ではなく、月の淡い光を吸い込んだような色合いをしている。 肩まである金の髪は後ろで結っているとはいえ、緩やかに撫でつけられた髪は波を打っていた。
 ウィルフレッド同様に気品漂う容貌であったが、しかしながらウィルフレッドに対する印象として誰もが『気高い』と称するが、 アークライトに対しては『華やか』と称する者が圧倒的に多い。
 事実、アークライトの周囲には女性が常に絶えないことで彼は城内では有名であった。

 アークライトは座っていた椅子から立ち上がり、その場をウィルフレッドに譲る。
 ウィルフレッドは明け渡された椅子に腰掛けると、アークライトは対になる執務机に凭れた。 決して行儀の良いことではなかったが、彼らの間では常の事であり敢えて文句を唱えることではない所作だった。


「折角、黙って抜け出したというのにな。もしかしてセオドアに泣き付かれた?」

「ご明察。誰かさんの教育の賜物なのか、泣きながらしがみ掴まれて仕方なくな」

「おいおい〜。それは俺だけの所為じゃないでしょ。ったく、責任転嫁するのは止せって」

「さぁな」


 フッ、とウィルフレッドから笑みが零れる。
 アークライトとの会話にはお互い遠慮がない。それがウィルフレッドとアークライトとの関係の深さが覗えた。
 アークライトはウィルフレッドにとって唯の従兄弟だというだけでなく、己が最も信頼を寄せる者だ。 ウィルフレッドが行う無謀な所行も彼だけは決して否定するのではなくその全てを享受し、 更にアレンジを加えてはそれを共に実行する相手でもあった。
 紗霧がもしその様な関係を耳にしたのならば間違いなく『悪友』と評したであろう。
 しかし、それに何時も振り回されているセオドアにとっては非常に迷惑な事であったが・・・。


 アークライトの前だけは心の底より表情を崩すウィルフレッドだが、 その見慣れた表情に僅かながら何時もと違う色が滲んでいる事にアークライトは気付く。


「ウィル、何か楽しい事でもあったろ?顔が緩みっぱなしになってるよ」
「ん?やはりアークには解るか」

「伊達にお前と長年付き合っちゃいないって事だろうね」

「確かに」


 お互い顔を合わせしみじみと頷く。
 二人の親は姉弟の中で最も仲の良い姉弟であった。 その為、ウィルフレッドがこの世に生まれ出た時からアークライトはウィルフレッドの傍に寄り添うように居たのだ。 二人は幼い頃からどの様な些細な事でも競い合って生長してきた、言わば兄弟同然である。


「で?何があった?」

「面白い人物に会った」

「人?お前が興味を持つなんて珍しいな」


 そうか?と、呟くウィルフレッドにアークライトは強く頷く。


「で?どんな奴なんだ?」

「猫を大量に被った者だ」

「猫を大量に被る?何それ??世の中には面白い奴もいるもんだな。しかしそいつ、肩は凝らないのか?」


 素頓狂な声を上げたアークライトは、右斜め上の宙を見つめ数多くの猫を頭や肩、そして背に乗せた者を思い描く。
 あらら重そう、と猫を実際に背負う姿を想像したアークライトは顔を顰めた。


「さぁな。その内ポロポロと猫達が落下するだろう。それが楽しみだ」


 ウィルフレッドは紗霧の慌てぶりを思い出して自然に笑いが出てくるのを止めることが出来なかった。
 初めは衝動的な小さな笑いだったのだが、次第に腰を曲げお腹を抱え始める。


「おいおい、笑いすぎって」

「―――っっくくく、す、すまない。」


 それでも笑いが止まらないウィルフレッドを見て、アークライトも興味を持ち始めた。


「そいつの名前は解るの?」

「グ、グレイス公爵の娘で、な、名をシュリアと、いう」


「―――って、それってセオドアが迎えにいったお嬢様でウィルの妃候補の一人だろ!? という事は、猫は猫でも『猫被り』って事か?」

「そ、そうだ。猫を被る事に、な、慣れてないの様だった。 猫がは、剥がれた―――っくくく、す、姿を私に見られたと解った時の慌てようが、な、何ともいえなかったぞ」


 止まらない笑いの中、必死で声を絞り出す。


「こんなに笑って、相手に失礼な奴だな。―――・・・あぁ、なるほど。それでウィルはセオドアと一緒に戻ってきたんだね」

「あ、ああ」


 次第に笑いが治まってきたのか上体を起こし、目尻に溜まった涙を掬う。
 笑いの治まったウィルフレッドをアークライトは呆れ顔でチラリと見た。


「なら俺も明日会えるな。―――そうだ、話は変わるけど明日、本当に俺でいいのか?」

「もちろんだ。アーク以外に適任はない。何だ、不安なのか?」

「不安というより、不満だな」

「贅沢な。私に成り代わるという大役はアークにしか出来ないというのに」

「・・・お前が明日からの1ヵ月間、何故に『誰かと入れ代わる』という大それた事を仕出かそうとするかの言い分は理解した。 ウィルの将来の為にもって俺はその事に賛成した。だからこそ、それを実行に移す為にもセオドアを始め、城の連中を説き伏せたよ。 だけど俺がその代役をするなんて一言も聞いてなかったぞ! 何時の間にかにジジィ連中にも根回しが終っていたし。ったく、参ったよ」


 アークライトは溜息を吐くと、背中で凭れかかっていた執務机に後ろ手に両手をつく。
 ウィルフレッドはアークライトが漏らす不満を飄々とした表情で流した。


「そうか?私はアーク以外には考えていなかったからな。既に了承済みなものとばかり思っていたが」

「・・・・・・・腹黒め」

「褒め言葉として受けとっておこう」


 ウィルフレッドとアークライトは顔を見合わせると、同時に噴出し笑う。
 ウィルフレッドの父であるデルフィング王が亡くなり1ヶ月半。この部屋は今日始めて二人の笑いに包まれた。









                                            update:2006/1/26






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