――――09
「ちょ、何なんだ!?何やってんだよ!この、下ろせ!!」
油断した!俺としたことがっ。ってかコイツ何者!?
紗霧を攫った何者かは、呆然としていた紗霧を掬い上げると、うつ伏せのまま紗霧を自分と馬の首の間に押さえ付けた。
その為、今の紗霧の目に映るのは物凄い速さで駆ける馬の足と舗装された煉瓦道。耳に届くのは風を切る音と人々の悲鳴だけだった。
「っこのヤロー!下ろせって言ってるだろ!!」
紗霧は抵抗すべく手足をバタバタと無茶苦茶に振り回す。
その紗霧の抵抗を知った何者かは、紗霧を上から押さえ付けている手に更に力を込めた。
「っぐ!」
(く、苦しい!―――こうなったら落ちて怪我しても構うものか!絶っ対にコイツ許さないっ)
押さえ付けられて苦しいのか紗霧の目尻に涙が浮ぶ。紗霧はギリギリと歯を食いしばり、拳を強く握り締めた。
取り敢えず俺を押さえ付けるこの薄汚い手をどけなければ、
と紗霧は鬘に飾り付けられた花のコサージュに右手を伸ばすとそれを思いっきり引き千切り、
紗霧を押さえ付けている者の顔面目掛けて投げ付けた。
「なっ!?」
コサージュを投げ付けられた男は反射的に顔を庇うべく、紗霧を押さえ付けていた手を離しその手で顔を防御する。
その隙を紗霧が逃す筈はない。
「っってりゃ!!」
自分を支配する力がなくなった瞬間、紗霧は上体を起こし馬の首にしがみ付いた。
そして上体を起こしたその勢いと、何でこんな目にあっているのかという怒り、
更にこれまでの旅で溜まった鬱憤を右足に込め、紗霧を攫った男の顔を力一杯蹴りつける。
どちらかというと『旅で溜まった鬱憤』というのが一番の感情の爆発なのだが、その感情の丈の全てを右足に込めた。所謂、八つ当たりだ。
ドゴっと鈍い音と共に渾身の力を込めた紗霧の一撃は見事に顔面を直撃する。
その蹴りを受けた男はグッと呻き声をあげると紗霧の蹴りを受けた方へと身体が傾き、馬の手綱を放すとそのまま落馬した。
紗霧は落馬した男の様子を見るべくそのまま首を後ろに向ける。
見事に渾身の蹴りが入った為か、
それとも物凄いスピードで駆ける馬から落ちた所為か男は地面に叩きつけられた後ピクリとも動かなかった。
「ざまぁ〜みろ!!―――っと、馬を止めないと」
どうどう、っと紗霧は男が放した手綱を掴むと馬を止めるべく自分の方へと引き寄せる。馬は一鳴きするとスピードを落とし、
やがて紗霧の命令どおりピタリと止まった。
元々紗霧は馬に乗ることさえ出来なかったのだが、
シュリアとして貴族の立振舞いの教育を受ける一貫として馬を操る事も叩き込まれたのだ。
流石にグレイスとてこんな場面で役に立つとは思っていなかっただろうが、
とにかく紗霧は見事な手綱捌きで馬を止める事に成功する。
しかし、アイツ何者なんだ?俺を攫うなんて何の目的が・・・。
紗霧は馬の方向を変更すると落馬した男の元へ戻るべく再び馬を歩かせた。
それほど距離が離れていない為かすぐさま男の元へと辿り着いたが、そこには見慣れぬ黒馬と先客がいる。
見知らぬ男は地面に倒れて気絶する男の上体を起こし両手を後ろでに縛り上げていた。
紗霧が馬で近づいたのに気付いたその先客である男は、顔を上げるとニヤリと笑う。
「勇ましいお嬢様の凱旋だな」
本来ならムッとする笑みだが、この男の優れた容姿によってその嫌味な笑みは嫌味でなくなる。
本来の紗霧の黒髪とは全く異なる男のサラサラとした金髪は、太陽の陽光を吸い込んだ様な色合いを醸し出し、
紗霧を見上げる瞳は澄み切った緑色をしていた。
(何だコイツ。い、嫌味くさい男〜〜!!)
服の上からでも解る。体格は均等なバランスが取れ、きっと筋肉も程よくついているのだろう。
―――紗霧が手に入れたくても入れられない、羨む様な体格な男はしていた。
紗霧は馬からヒラリと飛び降りると男の元へと近づき、ドレスが汚れるのも構わずその場にしゃがみ込む。
「あんた誰?コイツの仲間・・・では、ないよな?」
気絶した男を紗霧は指差し、男に何者かと問う。男は『まさか』と首を左右に振り、即座に否定した。
「仲間ではないな。ただの通りすがりの旅の者だ」
「水戸○門みたいな事をいって」
「は?」
「ううん、何でもない」
紗霧は両手を振って先程の言葉をはぐらかす。男は、『そうか』っと呟くと気絶する男の両手を縛った紐の強弱を確かめるべく強く引く。
「よし、これでいいだろう。・・・さて」
両手をパンパンと叩き、手についた砂埃を落とすと立ち上がる。紗霧も男につられて立ち上がった。
(げっ、やっぱり背も高いのかよ。・・・何かムカツク)
コイツ、何から何まで完璧じゃん。神様、こんな不公平があっていいと思ってんの!?なぁ!!?
紗霧は心の中で神に悪態をつく。
紗霧が見上げた男は、16歳男子平均身長より背の低い紗霧が欲する程の高さ。
確実に紗霧より30センチくらいは高いのではないだろうか。
『×××××〜!』と更に心中で暴言を吐く紗霧は、男の一言で現実に戻される。
「お前、馬鹿か?」
「そうそう馬鹿だよね、うんうん・・・って、は?」
気のせいか今俺に向かって、ばっ何とかって言わなかったかコイツ?
思わず男の台詞を反復した紗霧だが、言われた言葉の意味を一瞬、理解する事が出来なかった。
「ねぇ、今何て言った?俺まだ混乱しているようで、ちょっと聞き違えたかもしれないんだよね」
「そうか?私は『お前、馬鹿か?』と言ったのだが」
「っって、やっぱり聞き違えじゃないじゃん!何だよアンタ、初対面の人に向かって『馬鹿』はないんじゃないか!!?」
紗霧は男を指差し怒りを表す。
紗霧に指を指された男は『ふぅ』と溜息を吐くと首を左右に振った。
「人を指差すとは無礼な。まったく、どこの貴族のお嬢様だ」
「ぐっ、わ、悪かったな!でも馬鹿とは何だよ、馬鹿とは!!」
何で俺が馬鹿って初対面の奴に言われなければならないんだ!?見た目は完璧だけど性格最悪じゃん。
やっぱり『天は二物を与えず』とはよく言ったもんだ。
うんうんと紗霧は納得すると指を引っ込める。
「お前、まだ解ってないのか?」
「・・・何がだよ」
紗霧の全く解ってない様子に男は呆れ顔になる。紗霧はその男の呆れ顔を見て更に不機嫌になった。
「その格好。どう見ても、どこかの貴族の娘だろう?
そんなお前が供もなく町をフラフラなどしているから攫われかけるのだ」
「供?いたよ!嫌になるくらいゾロゾロと!!それでも攫われたんだから、ムカつくけど奴が一枚上手だったんだよ」
寧ろ人数多すぎだろってくらいにな!!
紗霧は気絶する男をビシっと指差し、自分を含め護衛として紗霧を守ろうとしたセオドア達に非が無い事を主張する。
男は軽く顎に手を当てると何か思案しはじめた。
「ならばこの男は、その様な高い危険を承知で何故お前を攫おうとしたのか・・・。お前、何者だ?」
「何者かと言われても・・・俺の名前は紗霧としか・・・あ゛」
しまった!思わず本名を名乗ってしまった。俺の馬鹿〜〜!!
ダリダリと冷や汗を流す紗霧を余所に、男は首を傾げる。
「珍しい名だな。どこの家の者だ?」
「あ、いや、その名乗るほどの者じゃ」
はははっと、紗霧は乾いた笑みを漏らす。
紗霧はこの場をどうやって切り抜けようかと高速で頭をフル回転させていると、
遠くからシュリアの名を呼ぶ声が聞こえたのでそちらに意識を向ける。
(今、シュリアの名を呼ばなかったか?)
声のした方へと顔を向けると、遠くの方で砂埃が舞っているのを眼で確認する。
よく見ると、その砂埃の中心にはセオドアを始めとする護衛の数人が馬を駆り、
紗霧達の方へとシュリアの名を呼びながら近づいてくるではないか。
(ナイスタイミング!これで何とか誤魔化して逃げよう)
「あ、あのさ。俺を護衛してくれている人達が助けに来てくれたみたいだから帰るね。んじゃ!!」
「おい、ちょっと待て」
だぁぁ〜〜、頼むから止めるな!関わるな!突っ込むな!!
そのままその場を去ろうとした紗霧の肩を掴むと、力を入れ紗霧を止める。
「ちょっと、痛いよ!」
「す、すまない。だが、話は―――」
「シュリア様!!」
何時の間にかセオドアが紗霧達の元へと駆けつけていた。
セオドアは馬上からすぐさま飛び降りると、紗霧の元へと駆け付け男から紗霧を庇うべく楯になり、剣を素早く抜き構える。
「?シュリア??」
男は呼ばれた名の持ち主を探すべく辺りを見回すが、紗霧達の他には誰も居ない。
どういうことだ?と紗霧に確認する前に、男と紗霧の間にセオドアに入り込まれたのでその言葉を飲み込む。
「セオドア殿!」
「貴様がシュリア様を攫った痴れ者か!!?・・・って、え?あれ??」
「・・・マズっ!」
男はクルリと後ろを向くと、そのままこの場を立ち去ろうとする。
「はい?え?な、何で??」
「?どうかしましたか?」
セオドアは構えていた剣を下ろすと、何か混乱している様子を見せた。
男はその場を立ち去るべく自分の黒馬の手綱を掴むと、スタスタと歩き出す。
「ちょ、お待ちください!おう――!ムグっ」
スタスタと歩き出したはずの男は驚くほど素早くセオドアの元へ戻ると、男の右手でセオドアの口を塞ぐ。
その突然の行動に呆気に取られている紗霧を無視し、男はセオドアを引き摺って紗霧の眼には映らないところへと移動した。
「な、何なんだ?今のは??」
紗霧はセオドア以外の護衛の者と、その場に呆然と立ち尽くした。
update:2006/1/10