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 今回の騒動の発端である『王子のお妃選び』の概要はつまりこうらしい。

 王が亡くなったからといって、その王の子が無条件に次の王になれるということは出来ないそうだ。
 ならば次代の王となれる条件はというと、王子が一人身ではない事。つまり正妃がいなければならないのだ。 第一王位継承権をもつ王の長子が、もし『王子』の時に既に結婚をしているのなら自動的に次代の王となる。
 しかしながら側室のみで正妃がいない、又は一人身では王になれる資格がないそうだ。
 その時は前王が亡くなって喪が明けた後に一斉に王子の正妃候補が城に呼ばれ、そこで王子が自分の生涯の正妻を選ぶ。
 その期間は1ヵ月。
 だがその期間に王子が正妃を選ばなければ王子の第一王位継承権は剥奪され、第二王位継承権を持つ者へと王になれるという資格が移る。
 この様に王子の将来が決まる大事に、正妃候補者がその候補者としての責務を放棄することがないよう、 王子の妃候補者に課せられた『放棄する際の罰則』は重いのだそうだ。





***





 あの騒動から約1ヵ月半。
 月日とは早いもので・・・、 否、やらねばならない事に忙殺された所為か気付いたら1ヵ月半も経っていたというのが正しいのだろう。
 紗霧はグレイスやシアナ、屋敷の者達にあれから散々貴族としての教育を受けた。 話し方から立ち振舞い、テーブルマナーに教養とおよそ1ヵ月半足らずの間ではとてもではないが 覚える事が出来るはずもない量を頭・身体に叩き込まれたのだ。
 この過酷な教育に流石の紗霧もこの期間にげっそりと細くなってしまったのだが、紗霧は一切の弱音を吐く事はなかった。 紗霧曰く『人の生死が掛かっているのに、言い出した俺が弱音を吐いてどーする!』との事。
 きっと負けず嫌いな性格も幸いした。


 紗霧自身の教育だけではなく、紗霧が城で暮らさなければならない1ヵ月の間に必要と思われる生活用品、そして着用するドレス等が着々と集まり、そして仕上がっていった。
 ―――そう、どの様にして、これらの量を城まで運ぶのかと疑問が残るほどに。
 あまりのドレスの多さに紗霧は呆然としたが、シアナ曰く『貴族の中でも5大貴族に入るグレイス家の娘が、 これくらいの量を持って行かなければ馬鹿にされますわ』と。
 紗霧は『なるほど』と納得した。


(そうか、グレイス家は貴族の中でも上のほうだったのか。よく考えたら王子の妃候補になるくらいの家柄だ。当然かもしれない)


 グレイス家の敷地は驚くほど広い。それも貴族の中でもトップクラスなら解るな。
 紗霧はグレイスが実は位の高い貴族だという事を今更ながらに理解したのだ。


 そして出発が明日に迫ったグレイス家では、紗霧を城へ送り出すための細やかな宴が開かれていた。
 普通ならば大々的に宴を開き己の娘を送り出すのだが、今回は状況が状況だ。 派手な宴は控え細やかな、でも十分に気持ちの込もったものを開いた。
 グレイスとシアナはやはり紗霧を城へ送り出すのに不安が残るのか、 心変わりをしたのなら私達に遠慮せず伝えてくれなどと言い最後まで紗霧を困らせた。





***





 まだ陽が顔を出していない早朝の為か日中の暖かい風とは違い、涼しい風が窓を開けた紗霧の部屋へ吹き込む。
 紗霧はその風を感じつつも灯りの不足した部屋に光を灯すべく蝋燭に灯りを灯す。
 今日は城への出立当日。
 その為、日が昇る前に紗霧は起床し準備に取り掛からねばならなかった。
 これだけは今日まで馴染む事が出来なかった女装姿に・・・。


「やはり私の見立てに間違いがなかったわね」

「何てお可愛らしいのでしょう。サギリ様、よくお似合いです」


 鏡を正面にしてドレスの着付けが終わった紗霧の後方で、 シアナと今回城へ同行するメイドのリルが紗霧の着飾った姿にキャッキャッと声を上げる。


「は、はは・・・」


 嬉しくない!と大声で言えたら何て素晴らしいのだろう。
 紗霧の顔は酷く引き攣っていた。
 実は紗霧は以前に、今日同様に着飾られた。 そして可愛いと言って紗霧のプライドを酷く刺激する言葉で喜ぶシアナとリルに『嬉しくない!』と叫んだところ、 シアナは『私のドレスの見立てが悪いのね』と涙を瞳に湛えるし、 リルに至っては『わたくしの着付けが悪いのですね』と青褪めるほどショックを受けていた。
 その後、紗霧は酷く沈んだ二人を宥めるのに必死だったのだ。 以降、紗霧はこの件に関して『二人には何も言うべからず』と心に誓い、 紗霧を着飾るのを楽しんでいる二人の言葉にただひたすら黙って耐えた。


(でも、これじゃまるで別人だよな)


 紗霧は正面の鏡をまじまじと見る。
 小さな花の刺繍を施され、裾が花弁の様に広がった薄青いドレス。 ドレスに施された刺繍の花と、同じ花のコサージュを後ろに垂らした濃紺色の長い鬘(かつら)に軽く結びつけられている。
 そう、鏡に映しだされたのは、可愛く着飾られた『女の子』だったのだ。
 この姿は普段から男らしく見えないとコンプレックスを持っている紗霧のプライドを打ち砕くほどに完璧なものだった。


(可愛いと言われても嬉しくない!嬉しくないぞ〜〜!!でも今回の場合はこれでいいんだよな?な!?)


 違和感のない自分の姿に己の中で葛藤し、無理矢理自分を納得させる紗霧であった。





***





 紗霧の出立を祝うかのような雲一つない快晴。
 その晴れた空とは正反対に、紗霧の心の中は不安で一杯だった。
 グレイスとシアナに心配をかけないためにと明るく振る舞ってきたが、 流石の紗霧でも出発が近づいてくるにつれ、やはり不安になる。 これから行くところは同行するリル以外は見知らぬ人。 更に自分の正体を悟られないよう始終、気を張らなければならない。 『はぁ』っと溜息をつきそうになるがそのまま飲み込み、城から来るという迎えを紗霧は空を見詰めつつ待った。


 中央に陽がかからない前に、城から迎えの馬車が屋敷へと到着した。 見ると屋敷から門へと続く道に馬車が長い列をつくっている。 そしてその一つ一つの馬車に護衛だろうか、兵士の姿をした人が3〜4人囲むようにして騎士の礼を取っていた。


「こ、こんなに?」


 数の多さに紗霧は圧倒された。
 間抜けにもポカンと口を開いたまま、目の前に広がる光景に唖然となる。


「王子の妃候補を迎える護衛隊なのだから、これでも少ない方だよ」

「はぁ・・・なるほど」


 そうか、これで少ない方なのか。・・・・・・ざっと見ても100人近くいるのに。
 グレイスの返答に紗霧は内心で『有り得ない』と呟く。
 兵士服を着た兵士の一人が紗霧達の前えと進み出て軽く膝を折り、胸元に手を当てると礼をとった。


「グレイス公爵及び奥方、そしてシュリア様、お初にお目にかかります。 わたくし、この度の護衛隊隊長を務めさせていただいていますセオドア・アルバート・シーゲルと申します。 今回シュリア様が城へ向かう道中、わたくしが命をかけてお守りする所存でありますのでご安心ください。」

「ああ、信頼している。シュリアをよろしく頼む」

「はい」


 護衛隊隊長のセオドアは軽く頭を下げると紗霧に視線を向ける。
 紗霧の間近で見た彼の印象は『茶色の大型犬』。 紗霧が幼い頃飼っていた犬の『トノサマ』に物凄く似ていた。


(うわぁぁっ〜、飛びついてグリグリしたいっ!!)


 トノサマに似たその優しげな風貌に、紗霧は思わず飛びついてグリグリと撫で回したい衝動を、拳をグッと強く握り必死に押さえた。
 紗霧のその心情とは裏腹に、セオドアは紗霧を見詰めたまま何故か動かない。 屋敷の家人以外では、女装姿のまま人前に出た事はない紗霧は一瞬『やっぱりバレた!?』と 思い身体を硬直させたが、セオドアが照れたような笑顔を見せたのでホッと力を抜く。


「?」


(何だったんだ、今の間は・・・)


「ではシュリア様、そろそろ出立いたしましょう」


 セオドアは何事も無かったかのようにスィと手を差し出す。
紗霧はセオドアのその手に軽くしなやかに手を乗せると、猫を100匹程被った微笑をセオドアに送る。


「長旅になると思いますが、何卒よろしくお願い致しますわ」


 この1ヵ月の教育の集大成である立振舞いを最大限に活かすべく、全神経をその笑顔と話し方に集中させる。


「あ、は、はい!」


 その結果が実ったのか、セオドアはカァっと顔を一瞬赤らめる。そんなセオドアを紗霧は傍目で見て苦笑した。


(おいおい、俺は男だよ。騙されるなって)


 可笑しい程に顔を赤らめ、一瞬だが硬直したセオドアに紗霧は親しみを持った。
 昔飼っていた犬に似ているというのも最大の要因だろうが・・・。


(明らかに6〜7歳くらい年上なんだけど、何だか可愛いんだよな。好きだなぁ、こういう人って)


 先程まで不安一色だった紗霧は、何だかちょっと楽しい旅になりそうだ、と胸内で呟いた。









                                            update:2006/1/6






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