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 翌朝、紗霧やこの屋敷で働いている人々は出入り口の広いホールへと集められた。 グレイスから何か重要な話があるとかで、屋敷で働いている全員が収まる事が出来るこのホールへと呼び出されたのだ。
 呼び出される理由に見当もつかない皆は、身近にいる人に何事かと尋ね回る。 しかしながら誰一人理由が解らず、皆は不安で顔を曇らせた。
 皆の不安がピークに達する頃、ホールの階段上にグレイスとシアナが二人寄り添うようにして現れる。 グレイス達の登場によって先ほどまでのざわめきが嘘のようにホールは静まり返った。 グレイスはホールを見渡し、そこに全員が揃っている事を確認すると広場全体に響き渡る声で話し始める。


「朝早くから皆に集まってもらってすまなかった。 しかし、この様な事は少しでも早く伝えねばならなかったのでな。皆にわざわざ集まってもらった」


 誰一人微動だにせず、グレイスの次の言葉を皆が固唾を呑んで静かに待つ。 グレイスも何か躊躇うような素振りを見せるが意を決して口を開く。


「急なことで申し訳ないが、皆に1週間以内にここを退職してもらいたいのだ。 もちろん次の仕事先の為に紹介状を書く。それと今回はこちらの都合で辞めてもらうのだから、給金も通常の4倍は出すつもりだ」


 一旦静まり返っていた広間は、再びざわざわと人々の声で埋め尽くされる。 グレイスはこのざわめきが止むのを暫し待って再び話し始めた。


「突然の申し出に皆も戸惑うはずだが、これはお前達に不満があったわけではなく飽く迄こちらの都合によるものである。 だから自信をなくさず次の職場でもこれまでのように誇りをもって取り組んでほしい」


 グレイスは伝えたい事を一気に伝えるとシアナの肩を引き寄せる。 見るとシアナはレースの付いた綺麗なハンカチを涙で濡らしていた。
 ホールに集まった皆は、突然のグレイスの申し出にどのような反応を示していいか解らず、誰もがその場を動こうとはしなかった。 否、動けなかったのだ。
 グレイスはその場を後にすべくシアナの肩を抱いたまま立ち去ろうとホールに背を向ける。


「ちょっと待ってください!」


 紗霧は立ち去ろうとする二人を呼び止めた。グレイスも紗霧の声を聞き、後ろを振り返る。


「ああ、サギリ。君はこちらに来たばかりだというのに、突然大変な事に巻き込んですまなかった。 君はシアナの実家に預かってもらえるよう手紙を書こう。大丈夫、心配する事はないよ」

「違います!俺が言いたい事はそういうことではなくてっ!」


 そう、違う。俺は自分の身を案じているわけではない。 確かにここを追い出されたら行くところがないな、と一瞬考えてしまったが、 今俺が言いたい事はそう言う事ではない。


「突然、全員にここを辞めて貰いたい理由はなんですか!?何も言わずに、ただ辞めて貰いたいと言われても皆納得しないと思います」


 グレイスのらしくない発言に紗霧は『絶対おかしい』と、頭の中で警鐘が鳴り響いた。
 数日とはいえグレイスの人柄の良さは自分にだって解る。そんなグレイスが急にこの屋敷で働く人々を解雇するなんて何かあったに違いない。
 紗霧は物凄い胸騒ぎを覚える。

 紗霧の台詞にグレイスは皆を見渡す。先程まで誰も動く事は出来なかったのだが、紗霧の台詞に皆は強く頷く。


「・・・それは・・・」

「旦那様!わたくしは、他の屋敷で虐げられていたわたくしを拾って下さった旦那様に一生尽くすと決めているのです!! どんな事があってもこの屋敷以外で奉公するつもりなどありません!」

「わ、わたくしもです!奥様に母の命を救っていただいた御恩があります! わたくしの為にも、母の為にも奥様に一生尽くすと決めております!」


 次々と『わたくしも』と皆が叫び始める。 その様子を見てグレイスとシアナは嬉しそうに、でも複雑そうに皆の様子を静かに見詰める。
 ―――だが、とグレイスは首を左右に振った。


「皆の気持ちは嬉しい。私達にそのような想いで仕えていたのならば。しかし、それでも駄目だ。 下手をするとこれは私達の巻き添えをくってお前達の生命にも関わる事なのだ。だから私達は、お前達がこの屋敷で働く事を許す事は出来ない」


 生命に関わるとは何やら穏やかでない。皆は再び不安げな顔を見せる。紗霧も命に関わると聞いてゴクリと唾を飲み込んだ。


「・・・解った。真実を伝えよう」


 グレイスは重い溜息を吐くと覚悟を決めた。


「・・・自ずと知れ渡る事だが、6日前に王が身罷われた。 王の喪が明ける1ヶ月半後に王子の妃候補者は城へと招集される。もちろんシュリアにも例外はない。 ・・・これ以上は皆が知っての通りだ」


 『そんな・・・』と誰かが呟く声が聞こえる。広間に集まった人々は一様に青褪めた。 そう、紗霧以外はこの事がどれほど重大な意味を持つ事かを嫌というほど解るのだ。
 唯一人、紗霧だけは状況が把握することが出来ずに一人辺りを見回す。


「あの・・・、すみません。俺、よく解らないのですが」


 紗霧は隣にいたメイドに耳打ちする。紗霧に問われたメイドは唇と声を戦慄かせながらも何とか一言一言声を絞り出した。


「あ、シュ、シュリア様は王子の、妃、候補者の御一人です。 つ、つまり、シュリア様が1ヵ月半後にお城へ、い、行かなければ旦那様の領地は没収。加えて、投獄。さ、最悪・・・」

「さ、最悪・・・?」


 これ以上酷いことがあるのだろうか。
 紗霧は頬を引き攣らせながらメイドの言葉を待つ。


「し、死罪であります」

「う、そ・・・」


 そんな馬鹿な・・・。たったそれだけで死罪だなんて。
 メイドが告げた言葉は紗霧にとってあまりに非現実的な事実に、考える事を放棄してしまう。


「え、じゃ何?つまり1ヵ月半後にシュリアさんが城へ行かなければ、グレイスさんは最悪死罪? 何、何で?どうしてそんな事になるのさ!?」


 紗霧はあまりの理不尽さに湧き出す怒りを押えられない。


「サギリ、こちらの国では普通の事なのだ。仕方ないと諦めるしか―――」

「死ぬかもしれないのに、仕方ないと諦めるなんておかしいよ!!」

「サギリ・・・」

「だって、おかしいよ・・・」


 この世界の事に俺が口出す事はお門違いだと思う。だけど人の生命がかかっているのだ。 黙って成り行きを見守る事など出来るはずもない!
 紗霧は溢れ出す涙を拭うことなく、グレイスを見詰め返したまま目を逸らすことはなかった。
 ホールは今やメイドや紗霧、シアナの嗚咽のみが響き渡っていた。

 どれくらい時間が経ったのだろう。それとも微々たる時間の流れだったのか。
 紗霧は涙を乱暴に拭うと意を決して声を張り上げる。


「俺が・・・俺がシュリアさんの代わりに城へ行く!」









                                            update:2006/1/3






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