――――04




「あ、美味しい!」

「サギリ、これもどうだ?シアナの菓子作りの中でも一番得意なものだ」

「頂きます!」


 紗霧は丸く膨らんだお菓子に手を伸ばす。
 長閑な昼下がり、紗霧とウェイン・ロイド・グレイスは屋敷の一角にある小さなティールームで、 紅茶とグレイスの妻シアナの手作りお菓子でティータイムを楽しんでいた。 クッキーとスコーンの手作りお菓子は絶品で、 クッキーの程よい甘さとサクサクのスコーンに塗って食べるジャムも今まで味わった事のない美味なものであった。 それらは紅茶と一緒に食べるとこれまた格別である。
 紗霧の正面に座るグレイスは相変わらず軍服のようなものを着用している。 しかし、こちらではこの服装が普段着のようなもので、 着の身着のままでこちらの世界へ飛ばされた紗霧もグレイスの厚意により同じような服を新たに仕立ててもらいそれを着用していた。


 紗霧がこのデルフィング国に来て5日が経つ。
 ここに来た当初、 混乱のあまり錯乱したがグレイスとシアナが根気よく紗霧に説明してくれたおかげで此処が日本とは・・・ 否、正確にいえば地球ではないどこかの空間世界だという事は何となく理解する事が出来た。 だが、どの様に、又どんな理由があってこの国に飛ばされたかを紗霧はまだ理解する事は出来なかった。 グレイス夫妻に己を見つけた状況を聞いても、  何時ものように娘シュリアの部屋に入ったらそこには既に紗霧が眠っていたのだという。
 どうやって来たか解らない。そして帰り道も解らない。 そんな紗霧の途方にくれた様子を見兼ねた夫妻が、親切にも紗霧を屋敷に住む事を許してくれたのだ。 理由の一つに、紗霧が自分の娘であるシュリアに似ているからというのもあった。

 屋敷に住み始めた最初の頃、紗霧は部屋から一歩も出る事はなく部屋のカーテンも開けずにひたすら籠もっていた。 そんな紗霧を心配した夫妻は、紗霧の不安を少しでも軽くするためか毎日ティールームへ連れ出し、 シアナ自らの手作りお菓子を振る舞った。元々紗霧は気を落とすとトコトン落ち込むが、開き直るのもこれまた早い。 『何時まで殻に閉じ籠もっていてもしょうがない!』と気分を浮上させ、 今ではグレイス夫妻に少しずつこの世界の事を教えてもらっていた。





***





「――と、言う事はこの国には王様がいて、その王様が国を治めているのですね」

「そうだ。王はとても素晴らしい御方だ」


 グレイスは紗霧の方へ身を乗り出し、王が如何に素晴らしいかをとうとうと語り出す。

 そもそもこのデルフィング国は巨大なレヴァティーン大陸の中心地に位置し、 そのレヴァティーン大陸の数ある国の中でも最大の面積を誇る国だ。 デルフィング国の特徴は、どの国よりも肥沃な大地と豊かな緑。 そして掘り尽くすことのない豊富な鉱物資源。そのため建国当時から周辺諸国からの侵略の危機に曝されていた。
 今王治世にその周辺諸国が同盟を結び、あろうことかデルフィング国に攻め込んだ。 だが王は全ての敵を国内に侵入する事を許さず、全て国境で敵を打ち負かす。
 しかし戦争の為にと国民から徴収した税金は膨大で、国民の多くは飢え死にする者が後を絶たなかった。
 グレイス達も国民を守るために色々と対策を立て奔走したが、 それでも己の領地の人々でさえ食料などの配給が追いつかなかった。 食べる物がない、更には食料を買うために働いて稼いだ金は税金として全て国に絞り取られる。 そんなどうにもならない状態に国民は絶望に陥った。
 だが王自らがこの事態に乗り出し、国が保有する財を惜しみなく投げ打って国民の生活を保障してくれたと言う。


「素晴らしい王様ですね」


 とてもじゃないが信じられない様な話だ。これが所謂『名君』なんてものだろうか。
 紗霧は、果たして自分が同じ立場にいたのなら同じ様な采配を下せるかと考え、頭を左右に振る。


(カリスマ性というものは生まれ持ってのもの。俺なんて平凡な庶民にはとても無理な事だよな)


 この場に元の世界の友人がいたのなら、物凄い勢いで紗霧の『平凡説』を否定するところだが残念ながらこの世界にいるのは紗霧のみ。
 紗霧は静かにカップを取って紅茶を一口含み、咽を潤す。


「あぁ。歴代の王の中でも今治世の王は後世に語られる程の御方だ。だが――」

「?」

「王は今、病に伏されているのだ。回復を願っているがあまり良い話は聞かない」

「そうですか・・・」


 先程の興奮した様子とは逆に、王の病状を気にかけ心配げな様子を見せる。紗霧は沈むグレイスを気遣い、話を切り替えた。


「そうだ!王様にはご家族がいらっしゃるんですか?」

「王には御歳27になられる王子が御一人いらっしゃる。 奥方は王子が御生まれになって1週間後に体調を崩され、 王子の成長を見守ることなくそのままお亡くなりになってしまわれた。 王妃も素晴らしい御方だったのだが・・・。とても残念だった。」

「あぅ・・・」

 しまった。失敗したっ。
 紗霧はガクっと頭を垂らす。 グレイスを気遣って話を変えたのだが、またしてもグレイスの気分が沈むような会話を選んでしまった事に紗霧は焦る。


(駄目だ。王家がらみの話と家族の話は禁句だ。 俺の馬鹿!家族の話なんてシュリアさんが居ないグレイスさん達の気持ちを考えろ!!えっと何か、何か・・・)


 紗霧は『あー、うー』など呻き、必死に考えを張り巡らせる。 そんな紗霧の気遣いを察したグレイスは、紗霧に向かって優しく微笑む。


「サギリ、君のご家族は?ぜひ聞かせてくれないかい」


 グレイスは何でもない事のように紗霧に家族の事を問う。


「あ・・・でも・・・」


「私の事は気にしなくていい。 第一、シュリアが出て行ったのは後悔しないよう己の愛した人と幸せを掴むためだ。 私達は反対したが、今となってはシュリアの行動が正しかったと思っている。 だから紗霧、私に気遣う必要なんてないのだよ」


 グレイスは寂しそうに、だがシュリアの取った行動を満足げに語る。
 紗霧は戸惑いながらも、紗霧を気遣ってくれたグレイスの気持ちを汲んで、日本にいる家族の事を思い出す。


「俺の家族ですか?俺の家族は――」


 紗霧はグレイスの話しに乗るべく自分の家族の事を話した。 いつまでも幸せそうに寄り添う両親と、生意気だけど常に俺の事を心配してくれる妹の事を――。
 そうして紗霧とグレイスは、夕食の支度が出来たとシアナが呼びに来るまで話しに花を咲かせた。





***





 夕食を済ませた後、紗霧とグレイス夫妻は居間に集まっていた。
 この世界へ来て紗霧は何故か通じる言葉について心配はしなかったのだが、 そうそう全て甘くなかったらしくこの国の文字を一切読む事が出来ない。 その為、紗霧はグレイス直々にこの国の文字を教えてもらっていた。 そしてシアナは二人のその横で読書を楽しむ。
 そこへ静かに、でも焦るようなノックの音が室内に響いた。


「どうぞ」


 グレイスは部屋の中に招き入れる。部屋へ入室したのは綺麗な赤毛を後ろでに一つに結んだメイドのリルだ。


「お勉強中のところ申し訳ございません。城より使いの方がいらっしゃっております」

「城から?こんな時間にか?」

「はい。火急の用があると申されております」

「・・・わかった。私の部屋へ通してくれ」

「畏まりました」


 リルは恭しく頭を下げると、城からの使いの者をグレイスの部屋へ案内すべく部屋から出て行く。
 グレイスも己の部屋へ向かうため、腰掛けていた椅子から立ち上がる。そんなグレイスをシアナは不安げに見詰めた。


「このような遅くに一体どうしたのかしら。何だかわたくし不安だわ」

「心配はないさ。直ぐ戻る」

「ええ」


 グレイスはシアナの頬に口付ける。


「紗霧、私が戻るまでここからここまでの文章を全て書き写す事。いいね」

「はい」


 紗霧にそう言い残すとグレイスは部屋から出た。


「何でしょうね」


 紗霧はグレイスが部屋から出て行き、開け放たれた扉がパタンと閉じたのを確認して口を開く。


「解らないわ。何事もなければいいのだけれど・・・」


 心配げな様子を見せていた二人は暫し無言で顔を見合わせていたが、直ぐに 先程まで己が行っていた事を再開しはじめた。





***





「・・・そんな馬鹿な」


 グレイスは座っていた椅子からガタンと音を立てて立ち上がる。
 ここはグレイスの執務室。
 この部屋は他の部屋より防音を考慮した造りとなっているため、重要な話がある者はこの部屋へ通す。
 グレイスは何事が起ったのかと訝しみながらも、火急の用件といって城から来た使いの者をこの部屋へ通した。 そして彼はグレイスを驚愕させる事実を伝える。


「わたくしも未だ信じがたいことですが事実であります。王が5日前に崩御なされました」

「5日前・・・。そうか、回復されることは終ぞなかったか」

「はい」


 惜しい人をこの国は無くした。
 グレイスは力が抜けたように椅子に座り、静かに首を左右に振る。
 この場に重い空気が立ち込めた。
 グレイスは溢れ出す涙を男から隠すため目元を右手で覆った。男もグレイスの様子に気付くと彼を気遣って視線を逸らす。
 暫し悲しみに暮れていたグレイスだが、なんとか冷静を取り戻し使いの者へと向き直る。


「・・・そうか。ならば君が此処へ来た理由は例の件か」

「はい。国王の喪が明け次第、王子の妃候補者は全て城へ召集されます。 グレイス公にもその心構えをしておくようにと王子からの伝言であります」


 これが正式な召集状です、と手渡された封書を受け取り、裏を返すとそこは蝋で封されている。 見ると王家だけが使用できる薔薇の文様がその冷えて硬くなった蝋に象どられていた。
 この手紙を受け取ったグレイスは深く溜息を吐く。


「・・・これを断る事は出来ないのだな」

「はい。如何なる理由であろうと、例外がなければ断る事が出来ません。 万が一、シュリア殿が城へ来城されなければグレイス公の領地は没収。 更には王子への反逆の意志があると見なされ投獄されます。そして最悪、死罪であります」


 この言葉を聞くなり、グレイスは更に深い溜息を漏らす。


 例外とは、既に婚姻しているか、シュリアの死亡である。 如何に妃候補が拒否しても、この例外以外は王への妃候補としての責を解消させる事は出来なかった。 当然ながら拒否した妃候補者など過去に一人もいなかったが・・・。


「確かにこの召集状を受け取った。・・・では王の喪が明ける約1ヶ月半後にシュリアを城へと送り出そう」

「我々一同、シュリア様の来城を心よりお待ちしております」


 男はグレイスに深々と礼を取ると、静かに部屋を後にした。
 グレイスは男が出て行った扉を暫く見詰めていたが、座っていた椅子に更に深く凭れかかり宙を仰ぐ。


「シュリア・・・。お前だけでも幸せに・・・」


 どれくらいの時間が経ったのだろう。 グレイスは覚悟を決めると静かに椅子から立ち上がり、これからの務めを果たすべく部屋を後にした。









                                            update:2006/1/2






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