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闘技場内は観客の大きな声で包まれる。
紗霧もアークライトに突きつけていた剣を鞘に仕舞うと、呑んでいた息を「ふ〜」と吐き肩の力を抜いた。
闘いを終えた紗霧はアークライトに柔らかく微笑む。そうして紗霧の周囲に漂う、どこか張り詰めた空気は霧散した。
「おめでとう。――ところで足の裏は大丈夫?」
アークライトは紗霧の勝利を素直に心から喜ぶ。だが同時に、刀身の上を駆けた所為で足の裏に傷を負ったのではないかと、その整った眉を寄せて心配げな表情を見せた。
「うん、なんともないよ。アークこそ肩は平気?踏んづけちゃったし、ゴメン」
紗霧は、大丈夫だとばかりにその場で何度か軽く飛び跳ねて足の裏に怪我を負ってない事を証明した。高く飛び跳ねる紗霧を見て、アークライトはホッと胸を撫で下ろす。
「あはは〜。そんなことで怪我をする程、俺の肩は柔じゃないよ」
「そっか、よかった」
アークライトに怪我がないことを知って、紗霧もホッと息をついた。
そして紗霧とアークライトは互いの健闘を称えるべく手を握る。更に大きな歓声と拍手が闘技場内を包んだ。
その歓声の中、『坊主!』と聞き覚えのある叫び声が物凄い速さで紗霧達に近づいて来る。紗霧はアークライトの握った手を離すと、声のする方角へと顔を向けた。顔を向けた紗霧の視界に、自分に向かって突進する満面な笑顔のバトラーが映り込む。両手を上げたバトラーは一瞬にして紗霧の視界を覆った。
「は??」
ヒクリと紗霧の顔が強張る。アークライトは物凄い勢いで紗霧に迫るバトラーに釘付けになった。
そうしている間にもバトラーの紗霧に突進する速度は落ちることはい。
「とんでもない事仕出かしたな、坊主!!!!!!!!!!!!!!」
「―――って、又かよっ!!??んぎゃぁぁああぁぁ〜〜〜!!」
「うわっ、馬鹿、止めっ――!!」
アークライトの制止も既に遅し。バトラーは紗霧に抱き付くと、両腕で力一杯締め付ける。
おまけにバトラーは紗霧に顔を近づけると、ジョリジョリと頬摺りを始めた。
「ちょ、痛い!痛いって!!」
薄っすらと生えた硬い髯は、紗霧の柔肌を容赦なく痛みつける。
そのあまりの痛さに耐え切れず紗霧は頬摺りするバトラーに必死で抵抗するが、両腕ごと抱き締められた所為で抵抗らしい抵抗が出来ない。紗霧の必死なその行動は、殆ど徒労に終わっていた。
抵抗する紗霧に気付かないのか、バトラーは更に己の腕に力を入れるとギュウギュウっと紗霧を抱き締める。そして紗霧の耳元に近い口を大きく開くと、バトラーは腹の底から笑いだした。
そんなバトラーの行動をアークライトは右手を伸ばして阻止しようとしたが、その手は空中で静止したまま動く事が出来なかった。紗霧を抱き締めただけに留まらず、おまけに頬摺りを仕出かしたバトラーの行動に頭の中が一瞬にして真っ白になった所為である。
紗霧の本来の身分を知るアークライトはバトラーの行為にザァっと血の気が引いた。
「・・・・・・・・あちゃぁ〜・・・。これはもう庇いきれないね」
そう遠くない未来に起こるであろう災厄を予感し、アークライトは「死ぬなよ」とバトラーに向かって呟くと天を見上げて溜息を吐く。だがバトラーはそんなアークライトの心配を余所に、今はただ紗霧を抱き締め体全体で勝利の喜びを感じていた。
そしてその一瞬後、バトラーはこれまでにない悪寒をその身に感じたのは言う迄も無い。
***
「これより授与式を執り行う。グレイス隊、前へ!」
先程まで試合が行われていた闘技場中央には王であるウィルフレッドを正面に、試合に出場した各8隊が縦一列にずらりと並ぶ。ただアークライトだけはウィルフレッドの護衛の為、正面に一列に並ぶ王直属親衛隊とは別にウィルフレッドの背後に控えていた。
授与式の進行役を担った男が洋紙をバッと広げると、優勝を勝ち取ったグレイス隊の名を読み上げ他の隊より前へと促す。
先にバトラーが一人進み出ると、紗霧を含めたグレイス隊は席順によりバトラーに続いてその後ろに横一列に並ぶ。バトラーは紗霧達が並び終えた事を気配で感じとると地面に片膝をつけ、王であるウィルフレッドに頭を垂れた。グレイス隊の面々もバトラーに倣い片膝をつけて、ウィルフレッドに頭を垂れる。
進行役を担った男が、この度のグレイス隊の活躍を『これまでにない偉業』だと称えると闘技場内からは賛同するかのように拍手が沸いた。
優勝したグレイス隊には、デルフィング国の紋章である白薔薇が象られた記章をウィルフレッド自らが彼等の胸につける。
常ならば進行役の男が大会終了の口上を読み上げて授与式は執り終えるのだが、ウィルフレッドは終了の合図を告げようとした男の言葉を遮ると紗霧に視線を向けた。それは打ち合わせにはなかったようで、ウィルフレッドの突然の行動に男は驚きを隠せない。だがウィルフレッドは気にすることなく、俯く紗霧に言葉をかける。
「ウィル・グレイス、前へ」
「へ?は、はい」
紗霧は声を掛けられた事で、地面に片膝をつけて俯いていた顔を上げるとウィルフレッドを見た。一般兵として此処に在る紗霧は、本来ならば王であるウィルフレッドの顔を直視することは許されない行為であったが、予想もしなかったウィルフレッドの行動に驚き、紗霧は反射的に顔を上げてその顔を思わず凝視する。
(何だろう)
まさかこんな大勢の前で俺を怒るって事はないよね、と内心の動揺を押し隠し、表面上は何も動じてないとばかりに装って紗霧は前に進み出るとバトラーの横に並ぶ。
だがウィルフレッドはそんな紗霧の心配を余所に、単なる『一般兵』を相手にした態度で接した。
「本来ならこの大会で活躍したそなたにはその健闘を称え、私の妃から祝福を贈るのが通例だが・・・。しかしながら妃は急に体調を崩し臥せってしまってな」
目を悪戯に細め、意味深に口元に微笑を湛えるとチラリと紗霧を見る。
ウィルフレッドの意地悪な物言いに、紗霧はウィルフレッドに向かってこっそりと舌を出した。そんな紗霧の仕種にウィルフレッドはその笑みを深める。
「――そこで代わりといってはなんだが、私の方から何か褒美を取らせたい。何でもいいぞ。私が叶えられる程度で、だがな」
これまで前例がないウィルフレッドの発言に、闘技場内は騒めく。後ろに控えていたアークライトだけはウィルフレッドのその突飛な発言に、又かとでもいうように肩を竦めて呆れた視線を投げた。
紗霧もウィルフレッドの言葉に、驚きに目を見開く。そして空中に視線を彷徨わせて暫し思案した後、真顔になると再びウィルフレッドに頭を垂れた。
「・・・・・・ならば、王。一度貴方と剣を交えることを許して頂きたい」
「馬鹿っ!!何てことを――んぁ!?お、王??」
ウィルフレッドに続き、突飛な望みを口にした紗霧を横に並んだバトラーは慌てて己の手で紗霧の口を塞いだ。
だがウィルフレッドは、一般兵として分不相応な望みを口にした紗霧ではなく、その紗霧の口を塞いだバトラーに氷の如く鋭い視線を投げつける。バトラーはウィルフレッドの凍てつくようなその視線に息を呑んだ。
暫しバトラーを睨みつけたウィルフレッドだが、フィと視線を外すと背後に控えるアークライトに合図を送る。
「・・・よかろう。アーク、私の剣を」
「・・・ったく、ほらよ」
視線を外され、やっと呼吸が出来るようになったバトラーの背には、滝のように汗が流れ出ていた。
アークライトから手渡された剣を受け取ると、ウィルフレッドは周囲に無言で合図を送る。それを了解したのか紗霧とウィルフレッドを中央に残して皆は闘技場内の端に移動した。バトラーもふらつく足に鞭を入れてよろめきながらも何とか端に辿り着く。そして闘技場中央には紗霧とウィルフレッドの二人が残された。
「サギリと剣を交えるのは久方振りだ。・・・もちろん手加減は無用だな」
「そんなのいらないね。俺の実力知ってるでしょ?」
紗霧は「馬鹿にするな」と呟き、腰に手を当てると唇を尖らせた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・身をもってな」
そんな紗霧にウィルフレッドは苦笑すると、鞘から剣を抜く。ウィルフレッドの剣は小柄な紗霧が持つ細身の刀身の2倍はあり、真っ向から受け止めたならば紗霧の剣が折れてしまうような太さだった。だがそんな剣の大きさに怯むことなく紗霧もウィルフレッドに対して剣を鞘から抜くと構える。
「なら全力でヨロシク」
紗霧の準備が整った事で、二人は視線を交えると無言で頷く。
頷き合った次の瞬間、紗霧は剣を上段に構えるとウィルフレッドに向かって突進し、剣を振り下ろし切りかかった。
***
「く〜や〜し〜い〜〜〜!!!!絶対今度こそはって思ったのにぃ〜〜!!」
広い浴室に紗霧の叫び声が反響する。
紗霧とウィルフレッドは身体の疲れを癒すべく王族専用の浴室にて湯に浸かっていた。
乳白色で纏められた浴室は王族専用というだけあって無駄に広く、初めてこの巨大な円状の浴槽を見た紗霧がついつい泳いでしまったのも無理はない。両端には壷を持った女性の彫刻が置かれ、その壷からは止まることなくお湯が流れて出ていた。
流れ出る湯を目にする度に、元々庶民であった紗霧は「もったいない」と呟くのである。
お湯の中に身を沈めるウィルフレッドの膝の上に、後ろから抱かれるような形で紗霧は座る。
「最近剣を握ってないウィルに勝つ自信はあったのにさ。ムカツク!!」
拳を握り締め興奮する紗霧の後ろから腕を回し、紗霧の前で両手を組んだウィルフレッドは興奮した紗霧の様子に苦笑する。
「私は夫として、妻であるサギリに負けてしまっては情けないだろう?これだけは譲るわけにはいかないな」
「何だよソレ!?納得いかない!!!!!」
後ろを振り向きウィルフレッドを睨みつける。だがウィルフレッドは紗霧のその睨みに動じる事はなく、ただ口角を上げて笑うだけだった。
紗霧がウィルフレッドとの闘いを望み、そして叶った試合は、ウィルフレッドの勝利で幕を閉じた。
流石の紗霧もこれまで全試合を一人で闘ってきた所為かウィルフレッドの試合にはこれまでと違って剣の生彩を欠き、試合開始程無くしてウィルフレッドに己の剣を遠くに弾かれる。反撃しようとした紗霧だが、ウィルフレッドに剣を突きつけられたことで止む無く敗北を認めるしかなかった。
ウィルフレッドを振り返り睨みつける紗霧の顔と、ウィルフレッドの顔の距離は僅か。お湯に浸かっている所為か紗霧の顔は上気し、瞳も熱く潤んでいる。ウィルフレッドは至近距離にある紗霧の唇に、思わず口づけた。
「なっ!?」
突然のウィルフレッドの口づけに紗霧は顔を逸らす。
だがウィルフレッドの行動はそれだけに留まらず、紗霧の背後から伸びたその手は、何やら紗霧の太股の内側を撫でるという怪しい動きを始めた。
「だぁぁ〜〜、くすぐったい!!ウィル、どこ触ってるんだよ!?」
紗霧はウィルフレッドの手の動きを防ぐ為に、太股を撫でる右手を慌てて両手で押さえた。
「いや、なに。酷使しすぎた所為でどうやらここが強張ってるようだからな。揉んで解そうとしているだけだ」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜そんなところ揉まなくてもいい!!!!!って、こら!!!・・・んっ」
ウィルフレッドは紗霧の両手首を左手で一纏めにすると、再び右手を太股に這わせた。最初は抵抗した紗霧だが、次第に抵抗するその力も弱まってくる。必死に抵抗していた力が弱まった為、紗霧の内股を這うウィルフレッドの手は大胆な動きを見せた。
「ん?どうやら了承だという事かな」
「ばっ、か!!そんな事聞くなっ!!―――ひゃっ!?」
「それは済まない。・・・――愛してるよサギリ」
「・・・っ俺も、だよ」
紗霧は後ろを振り返りながら、ウィルフレッドの熱い口づけを享受する。
長かった紗霧の1日は終わりを告げ、そして今度は二人の長い夜が始まろうとしていた。
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update:2006/4/13