――――63




 紗霧は鏡に映った自分の姿をまじまじと見て思わずくぐもった呻き声を上げた。

(うぅぅ、これは一体何の呪いだろう・・・)

 鏡の両端に手を付いてガックリと頭を垂れる。そうやって一呼吸置いてからそっと視線を上げて見ても、やはり鏡に映る姿は紗霧にとって現実の姿であった。
 再び項垂れてから一つ溜息を吐けば、紗霧はふとどこからか強い視線を感じた。
 怪訝に思って視線の先を辿ると、ホゥっと熱い溜息を吐き、熱の篭った瞳で紗霧を見上げるリルの姿がそこにあった。

「り、リル??」

 返事は無い。だが決して無視をしているのではないことは、そのどこか彷徨うような瞳が全てを物語っていた。

「あ〜〜〜・・・。頼むからリル、そろそろ戻ってきて〜〜〜」

 情けない声が出てしまう。
 更に紗霧がくしゃりと顔を歪めれば、漸くリルが我に返った。

「も、申し訳ございません!サギリ様の御姿があまりに可愛らしく、つい見惚れてしまいました」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・はは」

 紗霧は乾いた笑みを漏らした。それこそが紗霧が今一番直視したくない現実だったのだ。
 そう悲しいかな、紗霧は断固として認めたくはなかった鏡に映し出されているのは紛れもない『女の子』の姿であった。
 化粧など施さなくても白皙の肌にほんのりと紅く色づく頬。潤んだ漆黒の瞳を縁取るのは長い睫毛であり、ふっくらとした唇はまるでサクランボの様相を見せる。
 濃紺の色彩を持つ髪は丁寧に梳かれて艶を放ち、その所々には一粒ずつ真珠の髪飾りが散りばめていた。
 幾重にもレースを重ねた白いドレスの裾はふんわりと広がりを見せて可憐さを強調している。しかもよくよく眼を凝らしてみれば、白一色の簡素なデザインに思えたドレスは銀糸によって細かな模様が施されており、それは職人技だと思わず感心せずにはいられない程の緻密だ。
 指先も綺麗に手入れされ、今では爪も綺麗な輝きをみせている。
 その姿はリルが思わず見惚れてしまう程の文句を付けようが無い完璧な出来栄えだった。
 だが、こうして違和感無く鏡に映る己の女装姿ほど紗霧にとって情けないものはない。男の中の男を目指す紗霧には屈辱以外の何物でもなかった。とはいっても、この姿で一月ほど過ごしたのだ。今更女装に対して嫌悪感はなかったが、それでも羞恥心だけは未だ残っている。それは紗霧の心持ち一つでどうにでもなるが、違和感の有無だけは気持ちのあり方で決まるものではないだろう。己の姿のあまりの情けなさに涙が浮かぶ。

「うぅ、俺の理想とする姿は筋骨隆々のごつい男なのにぃ。こんなの嫌だ〜〜!」

「え゛ぇ!?・・・そ、それは無理かと」

「いやいや!理想は高く!せめてウィルくらいにはなってやるっ!!」

 眦に溜まった雫を乱暴に拭うと拳を作り、鼻息を荒くして紗霧は高い目標を掲げる。
 そんな紗霧から一歩後退ったリルは微妙に顔を歪め、細い腕で懸命に力瘤をつくろうと奮闘している紗霧を生暖かい眼で見守っていた。




***




 準備を全て整え終え、静かに部屋で待機していた紗霧にとうとう呼び出しが掛る。
 紗霧の緊張が一気に高まった。
 これで最後。だがここで紗霧が失態を犯せばこれまでの努力が無駄になるだけでなく、恩人であるグレイス達の身に危険が及ぶ。それだけは避けなければと、紗霧は気合十分で使者の後に続いた。
 そして紗霧が通されたのは、『王座の間』へと続く控えの間。この部屋に足を踏み入れるのは、初めて『王子』に拝謁する時以来であった。
 一人室内に入りくるりと周囲を見渡すが、紗霧以外の候補者の姿は確認出来なかった。どうやら紗霧が一番乗りだったようだ。
 扉近くに置かれた椅子に腰かけると紗霧はふぅっと息を吐いて肩の力を抜く。

(う〜・・・顔を合わせるのはちょっと憂鬱かも・・・)

 これから現れるだろう他の妃候補者達。彼女達の悪意のある言葉と視線に晒されて辟易した記憶は新しい。
 再び重い溜息を吐きながら背凭れに身体を預ければ、扉を叩く音が耳に届く。紗霧がどうぞ、と言葉をかければ3人の妃候補達が姿を見せた。
 当然だがその中にヴェレスの姿はない。

(やっぱりない、か。ウィルはヴェレスを悪いようにしないって言ってくれたけど大丈夫かな・・・。よし!後で聞いてみよう。ウィルならきっとヴェレスに対して無慈悲な仕打ちをしないよね)

 何故か紗霧はそう信じている。これといった確証はなかった。だがウィルフレッドが紗霧の望まないことをする筈がないという妙な信頼があったのだ。
 それにしても、と紗霧は彼女達の顔を見渡す。
 ヴェレスの姿がないことに別段疑問に思わない所を見ると、きっと彼女達もヴェレスが起こした事件を知っているのだろう。自業自得とばかりに冷めた眼で紗霧を一瞥し、そしてあからさまに顔を背けた態度を見れば明らかだった。

(つ、辛い・・・)

 うぅっと紗霧は心の中で濁流の如く涙を流した。
 部屋に立ち込めた空気の重さが、紗霧の気持ちをより重くする。

(あれ?でも・・・俺にだけじゃない、よね?)

 周囲の状況をよくよく観察すれば、どうやら冷やかな視線を向けられているのは何も紗霧一人だけではなかった。
 昨日の友は今日の敵とでもいうかのように、これまで仲良くしていた彼女達は互いに睨みあっている。今日で『お妃』が決まるとはいえ、それまでは互いが最大の好敵手なのだろう。牽制するかのような睨みあう様がまるで修羅場のように思えてならなかった。この場から逃げ出したかった紗霧は早く、と念じるように心の底で祈る。
 その時、紗霧にとっては正に天の救いのように扉の外から声がかった。
 失礼します、そう言って姿を見せたのは一人の男性。紗霧は待ってましたとばかりに素早く立ち上がった。
 一刻も早く部屋から出たいという一念で我先にと彼の後に続こうとした紗霧だったが、しかしながら彼女達の一睨みにビクリっと思わず足を止めてしまう。
 その隙に部屋から出た彼女達の背を呆然と見つめていた紗霧は、入り口に立っていた衛兵が心配そうにかけた声でハッと我に返ると慌てて部屋から出て彼女達の後に続いた。








                                            update:2008/12/31






inserted by FC2 system