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 夢の中の心地よい微睡みにいるという事はわかっていた。 でも次第に浮上してくる意識に目覚めが近く、時間的にもそろそろ起きなければならないことも自覚していた。 だが、机に伏している頬とは反対側の頬を優しく撫でる風の心地よさに、再び意識が沈み始める。


(そろそろ起きないとヤバイ、よな。何ていったって今は授業中なんだし。――でも気持ちいい・・・)


 自身の机が窓際に置かれているため、誰よりも流れ込む風と日光の日溜まりを近くに感じる事ができた。 そして、そのあまりの心地よさに自然に笑みが洩れる。 風が吹くたびに聞こえてくるサワサワと葉を揺らす音。 そして微かに漂う緑の香りにも、心地よく吹く風と日光の暖かさと共に眠気の原因だ、 と寝ている少年・弓塚紗霧(ゆみづか さぎり)は沈みゆく意識の底で考えた。


(どうしよう眠い。・・・いいや。起こされるまで寝ちゃえ)


 紗霧は睡魔の誘惑に負けた。 眠り続ける自分を見かねた教師が、起床を促しに来るまで眠りにつくべく意識をゆっくりと手放しはじめる。


「シュリア!?」


 しかしその眠りを妨げるかの様に、現実世界の紗霧の背後から声があがる。
 その声は驚きとも喜びともつかぬ男性の興奮したような声だった。


「シュリア!戻ってきてくれたのね!?」


 次いで女性の声が紗霧の背後からあがる。 その声も男性と同じように驚きとも喜びともつかぬ声だった。 ただ先に上がった男性の声とは違い、語尾は感極まった所為か僅かながら震えていた。


(シュリア?そんな名前の人、俺のクラスにいたっけ?)


 沈みかけた意識が再び浮上する。紗霧の怪訝な様子とは反対に二人は益々興奮し始めたようだ。


「ああ、神よ!娘シュリアが私達の元へと帰って来てくれました。心より感謝します!」

「私達の祈りをお聞き下さり、何と礼を申し上げたらよいかっ。うぅ・・・」


 とうとう女性が泣きだしたのか嗚咽が聞こえ始める。 そんな訳の解らない状況に、紗霧は呑気に寝り続ける事が出来るはずもない。


(教室で感動の親子再会?行方不明になっていた娘を両親が見つけ出したのか??)


 感動の場面には違いないが、何も教室で・・・。
 涙ながらに神への感謝の意を示す二人の所為で、紗霧の意識は今や完全に目覚めていた。
 紗霧の背後で騒ぐクラスメートの保護者(紗霧はそう思っている)を見るべく、 机に伏していた顔をゆっくりと上げるとそのまま背後を振り返り、次の瞬間凍りつく。


「うえっ!?な、何、何で?えぇ!??」


 声がした方向へ顔を向けると確かに人は居た。紗霧の後ろで何やら興奮していた2つの声の持ち主が。 その点は別段驚く事ではないが、問題は二人が明らかに日本人ではない事。
 振り返り、まず紗霧の目に止まったのは男性。 年の頃は30代半ばといったところだろうか。 彼は綺麗に刈り揃えられた髪とその目に鮮やかな濃紺色を宿していた。 男性の容貌を不躾に見ていた紗霧だが、彼の着ている服装にも違和感を持った。 一見礼装と思いきや、よく見てみると男性が着ている服は明らかにどこかの国の軍服に近い格好。 全体的に落ち着いた色の紺で纏められ、縁飾りや紐、そして房は金糸で飾られている。 襟元には服と同じ色の濃紺色のリボンが結ばれていた。
 男性の左側に立つ女性もこれまた日本人とはかけ離れた風貌であった。
 彼女も男性と同じくらいの年の頃だろう。 毎日丁寧に手入れされているのであろう金の髪は見事に光を反射し、涙のせいでその瞳は青く揺れていた。 女性の服装も、普段紗霧達が着ることのないすごい量のレースと布を使用したドレスだ。 男性と対をなすかのように布地は濃紺色に染められ、そして女性の大きな胸を強調するかのように胸元は開かれている。 その胸元にはこれまで紗霧が見たこともない大きなサファイアが青色の光を放っていた。


(うわぁ・・・、何て絵になる二人なんだ。何だか俺がここに居る事が場違いな気がしてくる)


 紗霧達は互いに言葉もなく見詰め合う。この場で誰も身動きするの者はいなかった。


(・・・って、ちょっと待て、違うだろ俺!)


 自分でも気付かない内に混乱していたのか、紗霧はやっとこの場の異常さに疑問を持つ。 紗霧はごくりと唾を飲み込みながら、勇気を出して口を開く。


「あの、すみません。お二人はどのようなご関係で?」


 紗霧は自分が発した言葉に一瞬固まった。


(うわ〜ん!だからそうじゃない!そうじゃないだろぉぉ〜〜!!)


 この場の状況を問うべき言葉を発するつもりだったが、口から出たのは間抜けにも二人の関係を問う質問。 いくら混乱しているとはいえアホな事を聞いたと、紗霧は思わず頭を抱えたくなった。 紗霧の内心の葛藤とは別に、二人は眉根を寄せ訝しむ。


「何を言ってるのだシュリア。私達は夫婦で、お前の両親だぞ。私の顔を忘れたのかい?お前の父上だ」

「シュリア・・・どうしたの?貴方がこの屋敷から飛び出して半年とはいえ、私達の顔を忘れるのは早すぎてよ」


 紗霧は自分の言葉によって傷付いた様子を見せる二人に対し戸惑う。それと、同時に違和感を持った。

(ん?俺?俺に向かって聞いているのか??)


 どうやら二人は紗霧を自分の娘と勘違いしているらしい。


「ちょっと待ってください!俺はシュリアって名前でもないし、お二人の子供でもないですよ?」


 紗霧は慌てて二人に人違いだと訴える。そんな紗霧の様子に二人は困惑していた。 それもそうだろう。我が子だと思っている紗霧に、人違いですと言われているのだから。


「何を言っているのだ?何処から見てもお前は私達の娘シュリアではないか。我が子を見間違うはずがあるものか」

「・・・いや、間違ってますから・・・」


 自信たっぷりに言い切る男性に紗霧は脱力する。

 二人の子供に間違われても別段気にするような事ではないけど、よりによって女の子・・・。 それは流石にキツイ。なんせこの顔の所為で今まで散々からかわれたんだ。 もちろんそれ相応のお礼はタップリとしたけど。
 悲しいかな。紗霧の容姿は、一見して男だと見て取ってくれる人の方が圧倒的に少数であった。 どんなに乱暴に扱っても、いつも光を反射し天使の輪をつくるサラサラの黒髪。 未だ成長期に入っていないのか16歳男子平均身長より低い背。 極めつけは幾つになっても少女の様だと称される母親譲りの可憐(近所のおばさん曰く)な容姿。 何もかも紗霧を男だと位置づけるものは皆無だった。
 私服の時は、紗霧の『男らしく』という努力も100%徒労に終わり、 辛うじて制服を着ている時のみ『あぁ、男なんだ』と人々は解ってくれる。 それでも中には紗霧の首から上と下を見比べて首を傾げる人も多いが・・・。
 そして紗霧は自分を女の子といってからかう輩は、その身を持って十分に自分をからかったことを後悔させてきた。 しかしながら今回ばかりはいつもと勝手が違う。何ていったって出ていった娘と自分を勘違いしているのだ。 そんな二人に怒りをぶちまける事は出来るはずもなく、さすがの紗霧も脱力するしかなかった。

  紗霧は自分の中にある家族の記憶を思い浮かべる。

(俺の両親は生粋の日本人で、その彼等のもとで俺は16年間育ててもらった記憶がちゃんとある。 父さんと母さんは息子の俺が見ていて恥ずかしいくらい仲の良い二人なんだよね。 そして『自分より可愛い兄貴なんてムカツク』なんて兄のコンプレックスを刺激する1つ下の生意気だけど可愛い妹の紗良もいて。 ・・・あ、紗良に授業サボった事ばれたら怒られるな・・・)


「シュリアの自慢だった長く美しい髪がバッサリと切られているが、何処からどう見てもシュリアに間違いない。 どうしたと言うのだシュリア?まだ私達が許せないのかい?」


 妹にどう言い訳しようかと頭をフル回転させていた紗霧は男性の寂しげな声で現実に戻された。見ると男性の紗霧を見る瞳がどこか潤みはじめている。


「ち、違います!許せないとかではなくて、本当にシュリアさんって女の方じゃないんです!! そもそも俺は男ですよ。ほら、胸がないでしょ?!」


 慌ててカッターシャツを着ている自分の胸の上を右手で撫で、そこに女性特有の膨らみがない事を示す。


「?シュリアは元々胸が小さいではないか」


 しかし紗霧のアピールも虚しく男性は怪訝そうに小首を傾けた。


(うわっ!・・・・・・シュリアさんって人が年頃の女の子だったら今の一言は物凄く傷付いたと思うぞ・・・)


 この場にいたのが俺でよかった。
 紗霧は未だ会う事のない二人の娘に心からの同情を送る。
 どのように説明したらよいのかと思案していた紗霧の様子を先ほどからじっと見詰めていた女性は沈黙を破り、口を開く。


「アナタ・・・。この方はシュリアではないわ。よく見て。この方が纏う髪の色が漆黒よ。 それに瞳も・・・。恐いくらい黒色でこのまま見詰めていると吸い込まれそう・・・」


 女性のその言葉に、紗霧は『そう、違うんです!よく見てください!』と、ここぞと言わんばかりに物凄い勢いで首を何度も縦に振る。
 そんな紗霧の様子に男性も半信半疑ながらもじっと見詰める。
 さすがにここまでジックリ見られると居心地が悪い。紗霧は思わず反対側の宙へと視線を彷徨わせた。


「・・・本当だ。私達の娘の髪と瞳は黒に近いとはいえ、私譲りでどちらも濃紺色だからな」


 紗霧が自分達の娘ではない事が解った今、二人は悲しげに視線を落とす。 その様子に紗霧まで何だか申し訳ない気がしてきた。
 何か・・・希望を打ち砕いてごめんなさいって謝りたくなるな。
 肩を落とす二人の様子につられ、紗霧まで気分が沈む。
 暫くこのままの状態が続いたが、ふと男性が視線をあげ、紗霧に向ける。


「それなら君は誰だ?」


 良かった。何とかこの状況を聞けるような状態になったみたいだ。
 暗い気分を払拭するべく明るく自分の名を名乗る。


「俺?俺はサギリ。弓塚紗霧です」


 先程の気落ちした様子は未だ男性に見られたが、男性は紗霧が何者かが知りたかったようだ。
 紗霧はその質問に答え、そして紗霧の疑問も解くべく逆に質問し返す。


「貴方達は何で此処にいるんですか?ここは教室ですよ?」


 先程から静かだが、確かに此処は教室のはずだ。
 そう思い、紗霧は周囲を見渡すように首を廻らすとそのまま驚愕に目を見開いた。


「?何を言っているのだ?ここは娘シュリアの部屋だ」


 そう。男性が言ったとおり、ここは教室なんて無機質な場所ではなかった。
 紗霧の目に最初に飛び込んできたのは中央部分の天井から吊り下げられた大きな金のシャンデリア。 そして、その下に置かれた彫りの細かなチェアーと小さいながらもチェアーと同様に細かく細工されたテーブル。 更に視線を左に向けると、そこには桃色の布が天井から垂れ下がった天蓋付きの豪華なベッド。 ベットの横で、その天蓋とお揃いで小さな花の刺繍がされたカーテンが外から吹く風によって揺れていた。 紗霧が寝ていた机も、全国のどの学校でも使用されている飾り気のないパイプの机などではなく、 外国製のオーク家具のような非常に重厚感ある木製の大きな机。それと対の猫脚の椅子。
 どれも学校の様子とはかけ離れた場所だった。
 そう、ここは正しく世間でいうところの「上流階層の女の子の部屋」に近いのではないだろうか。
 紗霧はこの異様な状況に頭の中が真っ白くなる。

「う・・・そ。何、で・・・?」


 俺は未だ夢の中にいるのだろうか。
 試しに自分の頬を抓ると、痛い。頬に走る痛みを感じる事が出来るのを確かめ、更に抓る。そしてやはり痛い。


「嘘!嘘だろう!?何がどうなってるんだ!!?」


 紗霧はこの理解できない状況にふっと気が遠くなりかけた。


(ちょっと待て!思い出せ、思い出すんだ!何でこんな状況になっているのかを!!)


 混乱の為か、さてまた恐怖の為か紗霧の両手が微かに震える。 その両手で頭を押え、紗霧は思い出す限り一番新しい記憶を探り出す。


(そう、確か―――)


 紗霧は停止した頭を必死に働かせ始めた。









                                          update:2005/12/29






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